〈50‐50達成〉「イチローさんとは真逆のアプローチです」日本で唯一“大谷翔平独占インタビュー”を続けるライターが明かす、大谷の傑出した「イメージから逆算する能力」
現ドジャースの大谷翔平が、エンゼルスに入団した2018年から7年間にわたって受け続けたインタビュー集が、「野球翔年(しょうねん)Ⅱ 大谷翔平ロングインタビュー」(文芸春秋)として発売された。取材をしたのはベースボールライターの石田雄太氏。大谷本人が信頼を寄せ、これだけの回数のインタビューに応じてきた取材者は、石田氏ただひとり。知られざる取材現場の内幕を聞いた。
【画像あり】大谷翔平が語った二刀流の危機、右ヒジ手術の真相、結婚…
7年間に及ぶ独占ロングインタビュー
――石田さんはこれまで500人以上のプロ野球選手にインタビューをされてきたと伺いましたが、そのなかで大谷翔平選手はインタビュイーとして手ごわい相手ですか?
石田(以下同)「手ごわい」っていろいろな解釈ができると思うんですけど、「やりにくい相手か」と言われたら決してそうではないですね。例えば最初から心を開く気がなかったり、質問を聞いてもくれない人に対しては「やりにくい」と思うこともありますけど、大谷選手にはそういうところはまったくないです。
最初から話をするつもりでインタビューに臨んでくれるし、こちらがきちんと突っ込んでいけばどんどん扉が開いていく感覚があります。日によってエンジンがかかるまでの時間に違いはありますけど(笑)。
――7月に出版された「野球翔年Ⅱ」は、大谷選手が渡米した2018年から7年間にわたるインタビュー集です。石田さんは高校時代から大谷選手への取材やインタビューを続けてされていますが、特にアメリカに行ってから大谷選手が変わったなと思うところはありますか?
言葉選びについていえば、遠慮だとか、妙に謙虚な言い回しがアメリカに行ってからは極端に減ったように思います。これは表現方法の変化というよりかは、自分に自信がついた現れのようにも思います。インタビューをしていて、こちらが「そこまで言う?」と思うこともたびたびです。
実績を積んで自信がついてくると言葉の重みも増してきますから、急に怖くなってしゃべらなくなる選手もいるんです。でも大谷選手は自分の言葉に影響力があるということをわかったうえで、オブラートに包むのではなく、よりはっきりと表現するようになったように思います。
――そうした変化は、渡米後の6年間で徐々に変わってきたものですか。それとも急に?
ひょっとしたら急にかもしれません。例えば、二刀流がすごくうまくいった2021年のシーズンの終わり頃、インタビューで大谷選手のほうから「実は今年の春の時点でピッチャーとして駄目だったら、もう二刀流は終わりかもしれないと思っていた」と吐露したことがありました。
この言葉はまったく予想していないことだったので、現場で聞いたときは「まさかそんな不安を抱えていたとは」「大谷翔平をもってしても二刀流は難しいのか」と純粋に驚いてしまったんですが、今思えば、大谷選手は二刀流でやっていけるという手ごたえをつかんだからこそ、ああいう話を自分からしてくれたのだなとも思うんです。それも彼の変化なのかもしれません。
あえてアメリカ人的表現で自分を鼓舞
――23年のWBCの決勝でマイク・トラウト選手を三振にとった後、グローブを投げつけたのがすごく印象的でしたが、あのシーンを見たとき、大谷選手もすっかりアメリカナイズされたように感じました。
アメリカの風土も影響しているのかもしれません。日本ハム時代は、栗山監督、吉村GMなど、投手と打者のふたつをやるということを、疑いなくサポートしてくれる人がいました。もちろん、エンゼルスだってサポートを約束してくれていたとは思いますが、そこはやはり日本とアメリカの文化の違いで、本当に彼らの言葉を額面どおりに受け取っていいかどうかはわからない部分があります。
これは大谷選手に聞いたことはありませんが、アメリカでは味方がいない、ひとりで戦わないといけないという状況の中で、彼はあえてアメリカ人的な表現方法を使いながら、そこでひとりで戦っている自分を鼓舞しようとしたという面もあるのかもしれません。
――プレーに関していえば連日、驚かされることばかりですが、インタビューをされていて、大谷選手の底知れない恐ろしさのようなものを感じられたことはありますか?
今でこそ50-50も、ホームラン王も当たり前のように語られていますが、この一冊がスタートした時は、バッターとしてはホームラン20本、ひょっとしたら30本というのが僕の中では想像のマックスの数字でした。
そうしたものを大谷選手は軽々と超えてくるので、こちらとしては常に想像の斜め上をいかれる感じがあるのですが、この斜め上というのは、単に僕から見た斜め上であって、大谷選手からするとちっとも斜め上ではないんです。
実際にそう感じさせる言葉がインタビューの中でもたくさんありました。「ピッチャーとしてはゲリット・コールで、バッターとしてはマイク・トラウトで」みたいな、そういう名前がサラッと出てきて、そこまで自分は行く、あるいは超えるということを現実的に考えているわけです。
今となっては、大谷選手がそういうところを目指すことはまったく不思議ではないですが、かなり早い段階から、それも投打の2つをやりながら、両方で世界一になるということを現実的に考え、そして目指していたことには、あらためて驚かさます。
――ただ目指すだけではなく、具体的なイメージを持っているということですね。
はい。さらに言えば、それができると思っているし、だから目指すのだという。大谷選手から、そういう自信にあふれた言葉を聞くたびに、こちらとしては「やられた」「また上を行かれた」と思うわけです。
傑出した「イメージから逆算する能力」
――これまで多くの選手を取材されてきた石田さんから見て、大谷選手のそうしたイメージから逆算できる能力というのは、他の超一流の選手たちと共通するものですか? それとも大谷選手ならではのものなのでしょうか?
他の選手たちとは明らかに違うと思います。例えばイチローさんが2004年に、メジャーのシーズン最多安打記録を塗り替えた際、「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」と話したことがありました。ひとつひとつを積み重ねていった先に、想像もしない頂上があった、と。
大谷選手は逆で、最初から世界一、頂点の明確なイメージがあって、そこから逆算して歩みを進めているように思えます。彼は野球における頂点を「すべての能力が100ポイントの野球の神様」と表現するのですが、常にその場所を見据えながら、今、自分はどこにいて、頂点までどのくらい距離があるのかをイメージできているのだと思います。
もちろん、それはイチローさんその他、何人もの先人たちの存在が道しるべになっているからこそだとは思います。ただ、そんなアプローチをしていると感じさせられたのは大谷選手ただひとりです。
――その「イメージから逆算する能力」というのは、どのように育まれたのでしょう。
それについては、彼が映像世代であることも大きいと思います。NHKで大リーグの中継が始まったのが1988年で、野茂さんが海を渡ったのが1995年でした。1994年生まれの大谷選手は少年時代から、メジャーを含めた様々な映像を見て育ってきています。
理屈ではなく、見たものを自分で表現することが特別なことではない世代の中で、特に大谷選手は、映像を自分の中に取り込んで、それを再現する内的センサーが優れているように思います。日本にいたときからよく選手のモノマネをしていましたが、彼は人のフォームをぱっと見ただけで、自分の頭の中で映像を重ねあわせて、再現できてしまうんです。
それで言うと、アメリカに行ってみて最初にトラウトという偉大な選手が目の前にいたことも、彼にとってはすごく大きなことだったと思います。トラウトを見て、「なぜ、あんな打ち方であんなに打球が飛ぶんだろう」と、それを真似するところから、大谷選手のアメリカでのバッティングははじまっているんです。
――「野球翔年Ⅱ」は、大谷選手がメジャーで50本のホームランを打つことが当たり前ではなかった時代からの、貴重な肉声が記録されています。あらためて石田さんが、インタビューに込めた思いなどを教えてください。
実は日本編にあたる『野球翔年I』では一問一答形式の原稿は少ないんですが、『Ⅱ』ではほとんどを一問一答形式にしています。ただでさえ、1対1のインタビューを受けることがほとんどない大谷選手ですから、僕が変に解釈して地の文で加工するのではなく、ストレートに届けることで、大谷選手の言葉、息づかい、表情、そしてインタビュー時の空気感といったものが読者の方に伝わればいいなと思っています。
取材/集英社オンライン編集部
09/20 17:00
集英社オンライン