カヌーの羽根田卓也選手(36)“一番良い色のメダル”目指して挑む5度目のオリンピック コロナ禍には“茶道”にも挑戦

10月に行われたカヌーのアジア選手権で優勝。見事5大会連続のオリンピック出場を内定させた、愛知県豊田市出身の羽根田卓也選手(36)。

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、この競技でアジア人として初の銅メダルに輝きました。

しかし、金メダルを目標に挑んだおととしの東京オリンピックでは、10位という悔しい結果に終わり、涙も。

来年のパリでリベンジへ。5大会連続のオリンピックに挑む、その思いの丈をたっぷりと伺いました。

CBC

来年にオリンピックを控えた今のお気持ちは?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「10月末にアジア選手権で優勝して、無事にパリオリンピックを決めることができて、今はオフシーズンなんですけどもすごくほっとしていて、来年のパリを楽しみにしています」

羽根田選手のこれまでを振り返りながら、パリへの思いを語っていただこうと思います。まず、初めてのオリンピック出場が15年前の2008年の北京大会でした(当時21歳)。

当時、今の羽根田選手の姿というのは想像できていましたか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「いや…正直これだけの回数、オリンピックで重ねるとは思ってもみなかったですね。当時のことはよく覚えているんですけど、本当に初めてのオリンピックに翻弄されてしまって全然地に足がついていなかったのを覚えていますね」

では改めて羽根田選手のプロフィールをご紹介していきます。

CBC

愛知県豊田市出身の羽根田選手。9歳の時に本格的にカヌーを始められたんですよね。どういうきっかけでとか、当時の心境は覚えていますか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「元々家族でカヌーには親しんでいたんですけども、割と僕の家の周りが矢作川という豊田市を流れる川で、すごくカヌーが盛んな地域だったので、最初は川遊びの延長でカヌーに親しんでいたんですけど、それからどんどん競技として魅力にハマっていって始めました」

いろんな競技ができたと思うんですけども、やっぱりカヌーだったんですね。

(カヌー・羽根田卓也選手)
「いろんな競技もやっていましたし、遊びの延長でサッカーもバスケットボールもスキーもスノーボードもいろんなスポーツをやっていたんですけど、カヌーが自分の中で一番身近だったということと、強豪の社会人の先輩方がたくさんいらっしゃって、小学生の自分にとってはなかなかそういった環境ってサッカーとか野球とかってないじゃないですか。日本のトップでやられた方がたくさんいたので、そういった環境がすごく激的でハマってしまったのかなと」

CBC

今は子供たちが羽根田さんが地元にいると思うと、同じような心境ですよね。

「小さな石ころでしかない」言葉がわからない中スロバキアへ武者修行

そして、高校卒業とともに単身スロバキアへ武者修行ということなんですよね。この時の気持ちはどうでしたか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「高校3年間で世界で活躍したいという思いが強くて、3年間自分の学業以外の時間は全てトレーニングに費やしたというほどの自負があって、本当に一生懸命世界で活躍しようと思っていたので、その3年間で何に気づいたかっていうと“このまま日本にいたら、グローバルでは勝てない”ということに気づいて、これは海外に行きたいというよりは、この日本にいちゃいけないという危機感がすごく強くなってこれは行くしかないと思って」

スロバキアの言葉はどうでしたか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「スロバキアの言葉は全くわからなかったですね。でもそれってその目標達成をする上で本当に小さな石ころでしかなかったので、『じゃあ語学を覚えればいいじゃん』というマインドだったので、それは全然海外に行くということを阻む理由の一つには全くならなかったですね」

『小さな石ころでしかない』ちょっと名言ですね。今から始めようと思っている方は背中を押されたと思います。

CBC

そして、2008年は北京オリンピックで予選14位。2012年が2度目のロンドンオリンピックで7位入賞です。そして、ついに2016年のリオオリンピックでアジア人初の銅メダルだったんですよね。

この時は『もうこれいけるんじゃないか』という手応えがあったんじゃないですか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「確かにこのシーズンは非常に調子が良くて、ワールドカップでも表彰台に上ったんですけど、本当にオリンピックって何が起こるかわからない舞台で、特にこの競技は誰が勝つかというのはもう予想がつかない。これだけ不確定な要素がたくさんある激しい競技ですので。ただ力を出し切れば『もしかしたら』という気持ちは確かにありました」

カヌーは世界の15人は、どの順番になってもわからないぐらい拮抗してると言いますけれども、この時に銅メダルをとれた最大の理由は何だったんでしょうか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「一つは自分にとって3大会目のオリンピックということで、非常にオリンピックの大舞台でもリラックスして臨めたというのが、他の選手からのアドバンテージであったかなと思いますね」

CBC

これで人生は変わりましたか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「変わりましたね。自分だけの人生ではなくて、このメダルをきっかけに日本中の方々にカヌーという競技を知っていただくことができましたし、次の東京オリンピックに向けても非常に大きな盛り上がりを作れたので、忘れられないオリンピックです」

実は“茶道”にも造形が深い? コロナ禍では精神を整える時間も

そして、2大会連続メダルを目指し挑んだ前回の東京オリンピックでは、惜しくも10位でした。今だからこそ言えるこの時のお気持ちはあるんでしょうか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「いろいろあった東京オリンピックですけど、結果がどうのこうのというよりは、とにかく東京オリンピックに向けて本当に大きな応援モードを日本人の方々が作ってくださいましたし、自国開催のオリンピックというのは我々にとって本当に特別なものなので、その中で開催無事することができて、また皆さんの応援を受けながらこの大舞台で力を尽くせたというのは、自分の人生の中で本当に貴重な体験をさせていただきました」

この大会直後のインタビューで、涙を流しながら感想を述べていましたが…

(カヌー・羽根田卓也選手)
「自分の中では悔しいとかそういう感情ではなくって、延期やいろんな声がある中で臨んだ東京オリンピックで、本当に自分の全てを費やしたことに感極まってしまって流れた涙なんですけど…」

あの不完全燃焼がある意味ご自身の中で『よしやってやろう』という思いになったんですか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「実は不完全燃焼ではなくて、東京オリンピックではもう完全燃焼しきったというぐらい思いっきりやったので、次のパリを目指す理由は不完全燃焼ではないんです」

そして、羽根田選手は子供たちの後進の育成にも尽力されています。ご自身の名前を冠にした小中学生対象のカヌー大会や、今年5月には地元豊田市でカヌーの体験イベントも開催されたんですよね。

(カヌー・羽根田卓也選手)
「なかなか身近な場所でカヌーに親しむのは難しいと思っていますし、いろんな方々からそういう声をいただくので、自分が皆さんのきっかけの一つとなってカヌーに親しんでいただいて、東海地方には素晴らしいカヌーを始める、世界を目指す環境がたくさんあるので、これをきっかけに世界を目指す子どもが出てくれば嬉しいですし、それだけではなくてレジャーとしてもカヌー魅力をたくさん伝えれたらよかったなと」

CBC

子どもたちには、どんなことを一番伝えたいですか?

(カヌー・羽根田卓也選手)
「まずは外で体を動かすことの気持ちよさやカヌーを通して、競技だけではなくていろんなアクティビティだとかそういったものを通して自分の人生が、これだけ豊かになるんだよということをお話しさせていただきました」

実は、カヌー以外にもいろんなことにチャレンジされている羽根田さんですが、茶道にも造詣が深いんということで、かっこいいですね

(カヌー・羽根田卓也選手)
「造詣が深いわけではなないんです。好きでやっているだけです。きっかけはまさに東京オリンピックが延期になったコロナ禍で自分も何か先がわからない悶々とするムードを感じていたので、ちょっと自分と向き合ったりだとか、競技だとかオリンピックのことから1回離れて、少し精神を整える時間が茶道でできるかなと思って」

CBC

パドルに花を植えるなどの取り組みもしているんですよね。

(カヌー・羽根田卓也選手)
「茶道はただ抹茶をたてて飲むだけではなくて、いろんな芸術がそこに詰まった総合芸術というふうに呼ばれていますので、そういったことも親しみながら、カヌー以外の視点も増やすと競技にも生きるんじゃないかなと思って」

来年のパリオリンピックに向けて、改めて意気込みをお願いいたします。

(カヌー・羽根田卓也選手)
「自分にとっては5大会目のオリンピックになるんですけど、やはり5回目という回数は他の選手にはない、すごく大きなアドバンテージになると思うので、皆さんの応援を背負って、期待に応えられるような結果を出したいと思います。頑張ります。」

その結果というのは、どんな結果ですか。

(カヌー・羽根田卓也選手)
「できるだけ高いところですね。オリンピックというのは出て終わりではなくって、皆さんの期待もあると思いますので、自分の全てを出して、一番いい色のという思いでやりたいと思います」

ジャンルで探す