“6試合しかない”日本の女子シニア選手が世界最高峰で4人もトップ10入りできたのはなぜか?

今夏、女子シニア世界最高峰の舞台「全米シニア女子オープン」で日本選手が大いに躍動した。5打差・単独首位で最終日に臨み惜しくも2位に終わった山本薫里(やまもと・かおり)をはじめ、日本選手がトップ10に4人。なぜここまでの活躍ができたのか、優勝目前だった山本薫里が振り返る。

海外選手から「日本のシニアにどうしたら出られるのか?」

 今年の夏、「全米シニア女子オープン」で優勝争いを演じた山本薫里が、先週から行われている日本のレジェンズツアー3連戦に登場。初戦は優勝こそ逃したが2位タイと存在感を示した。

優勝したリタ・リンドリーを中央に、山本薫里(右)と大竹エイカ 写真:本人提供

優勝したリタ・リンドリーを中央に、山本薫里(右)と大竹エイカ 写真:本人提供

 45歳以上の選手が出場できる日本の女子シニア、レジェンズツアーは「カヤバレジェンズオープン」(10月25~26日、岐阜県・日本ラインGC)で約4カ月ぶりに試合が行われた。

 日本で試合がない夏の間、山本は米国で大活躍。シニアメジャーの舞台に予選から初出場し、アニカ・ソレンスタム、ジュリ・インクスターのホール・オブ・フェイマー(殿堂入り選手)らに5打差・単独首位で最終日に臨んでいた。

 結果から言うと、残念ながらリタ・リンドリ―に逆転負けの2位。しかし、ローラ・デービース(英)、アニカ・ソレンスタム(スウェーデン)ら、ホール・オブ・フェイマーで大会歴代優勝者もいるフィールドで強さをアピールするには十分だった。

 山本を筆頭に、3位には鬼澤信子、5位には久保樹乃、7位タイには表純子と、トップ10に日本勢が4人入ったこともあり、現地では選手たちの間で日本のシニア(レジェンズ)ツアーのことが話題になった。「『どうしたら出られるのか?』と、たくさん聞かれた人がいたみたいです」(山本)と注目を集めた。もちろん、日本の同世代や後輩プロたちに可能性を示したのは言うまでもない。

「3日間トップでやったので、もったいなかった。(最終日の)最初に私が伸ばせてたら違ったかも。悔しいけど魂込めてやってたので悔いはありません」。帰国後、最初にこう口にした。続けて、「何も分からないなかでやったんだから上出来じゃないですか?」と笑った。初めてのメジャーは予選から数えると45日間の遠征だった。

 予選会場選びは慎重に行った。会場は16もあるが、各会場から本戦に進める人数は数人と少ない。その切符を争わないよう、日頃から試合で行動をともにし、前年はキャディーとして大会を体験させてくれた大竹エイカとは違う場所で挑戦することにした。もう一つ大事だったのは「(斉藤)裕子さんとは違うところでやりたかった」ということだった。

 第1回大会に予選から出場して4位となり、翌年の出場権を獲得した斉藤は、毎年本戦出場を果たしている。その息の長い活躍ぶりがジワジワとプロたちの間で広がり、日本から挑む者が増えた面もあるのだが、今年は予選から挑む斉藤と同じ場所で予選を受けたくはない。斉藤にどこで受けるか尋ねてもはぐらかされる。アリゾナ州に縁があるのは分かっていたため、当たりをつけてそこは避けた。結果的に山本はテキサス、大竹はカリフォルニア、斉藤はアリゾナでそれぞれ予選を突破することになった。

 7月1日の予選を山本は6打差1位で突破。1週間後に大竹もカリフォルニアで本戦出場を決めた。お互いキャディーとしてサポートし合った。

 前述のように「何も分からないなかで」と口にしているのは、決して謙遜ではない。キャンプなどで米国を訪れることはあったが、いつも帰国子女の大竹が頼り。日本では長距離にも慣れている車の運転さえしたことがなかった。予選が終わった後、カリフォルニアの知人宅に滞在しながら、ゴルフだけでなく「左ハンドル、右側通行」の車の運転も練習した。同じ選手として出場する以上、スタート時間が違えば別行動になるからだ。もちろんゴルフの練習もした。斉藤に「急に来ても(対応は)難しいよ」と言われた「カサカサの洋芝」(山本)にも、予選と本戦の間の長い期間に慣れた。

 日本以外の選手のこともあまり知らなかった。例えば“ビッグママ”の愛称で知られるホール・オブ・フェイマー、ジョアン・カーナーは息の長い選手として知られるが、山本は「ビッグママって誰?」という状態だった。

 そんななか、初めて臨んだ大会での優勝争い。

「(初日の)朝は緊張したけど、去年(大竹の)キャディーをしたとき、アメリカ人はプレーがメチャメチャ遅いな、という印象があったので覚悟していた。(トラブルが)何もありませんように、と思いながらスタートしました。でも、思ったよりプレーはサクサク進んだし、言葉ができない分、集中できたかもしれません」

 初日から首位。リーダーボードを見ても「(ローマ字で書かれた“YAMAMOTO”は)ダラダラ長い名前やから自分やな。上位や」という程度にしか意識しなかった。

 しかし、5打差首位で迎えた最終日前半は「設計者の思うツボにどっぷりとハマってた」というフラストレーションの溜まるプレーとなった。後に映像で見ても「もったいない単純なミスをしていた」と、ボギーが先行。その間に、リンドリ―が猛攻で逆転首位に立っていた。

 山本も17番、18番連続バーディーと迫ったが及ばず、2打差で逆転負け、2位に終わった。

「50歳になったら出場しようと“全米貯金”しました」

 ローラ・デービースが優勝した18年の第1回大会で、先輩の斉藤裕子が4位になった時、1973年生まれの山本は45歳。日本のレジェンズツアー入りしたばかりだった。「そんなん(全米シニア女子オープン)あるんや」と、あまりピンと来ていなかった。それでも、予選から挑む日本選手がじわじわと増えていくのを感じていた。

 1歳(2学年)上の大竹が初めて挑んだ23年大会でキャディーをしたことで、一気に大会は身近になった。自分も50歳になったら出場しようと「“全米貯金”始めました」。世界経済の中で円安が進むタイミングでもあり、予選から挑むとなると経費も高額になるからだ。しかし、今度は心配いらない。2位になって来年の出場権はすでに獲得。10万8000ドルの賞金で遠征費も出るだろう。

 24年は日本のレジェンズツアーを主戦場にしている山本だが、51歳になった今もQT(クォリファイング・トーナメント)からレギュラーツアーでのプレーを目指す気満々だ。

「ケガは少ないし、腰が少し痛いくらい。ストレッチも『してる』って言ったら怒られる程度(笑)。身体的には恵まれてますね」と元気いっぱい。11月9日からのファーストステージ(A会場:福島県・五浦庭園CC)から挑む。

 その前にあるObbliカップ(10月31~11月1日、高知県・土佐CC)、ボンドカップ(11月6~7日、三重県・近鉄賢島CC)のレジェンズツアーでは優勝を狙って弾みをつける。

 全米女子シニアオープン2位の自信と来年の大会でのリベンジへの思いが、挑戦を続ける気持ちを支えている。「今年ができすぎて来年怖いですね」という言葉が、不敵に聞こえる。

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