清原和博(慶大)、渡辺俊介(東大)の息子も。東京六大学野球で奮闘する「2世」たち

慶応義塾大で4番を担う、清原和博の長男・正吾。中学、高校は野球以外のスポーツを経験したが、大学4年にしてチームの主軸に


慶応義塾大で4番を担う、清原和博の長男・正吾。中学、高校は野球以外のスポーツを経験したが、大学4年にしてチームの主軸に

神宮球場のベンチ前で、慶応義塾大の内野陣がノックを受けていた。ファーストミットをつけた大柄の選手が打球をこぼすと、傍らで後輩部員が「キヨさん~!」とはやし立てる。ミスをした選手はバツが悪そうに苦笑いを浮かべ、後輩にイジられる。その振る舞いに「番長」のムードはみじんもなかった。

【写真】元ロッテ・渡辺俊介の長男・向輝

今春、慶応義塾大の4番打者を任されているのが、背番号3をつけた一塁手の清原正吾である。清原の父・和博は元プロ野球選手であり、野球ファンなら誰もが知るスター選手だった。

PL学園高では甲子園に5季連続出場し、通算13本塁打をマーク。西武、巨人、オリックスでプレーしたプロ時代には、歴代5位となる通算525本塁打を放った大打者だった。

正吾は偉大な選手の2世というだけでなく、「前代未聞」といっていい経歴の持ち主である。何しろ、正吾は中学、高校の6年間で野球をプレーしていないのだ。

小学生時は軟式野球クラブ「オール麻布」でプレーしていたものの、中学から友人の誘いを受けてバレーボール部に入部。さらに高校ではアメリカンフットボール部に入っている。

大学進学時に野球への思いが再燃し、6年のブランクを経て野球部へ。そして4年生になった今春、正吾は慶応義塾大の4番打者として東京六大学リーグで活躍を見せているのだ。

慶応義塾大は昨秋に東京六大学を制覇し、明治神宮大会も優勝して大学日本一に輝いている。部員数は学生スタッフを含めて199人という大所帯。そんな名門チームにあって、正吾は今春リーグ11試合を終えた段階で全試合に出場。打率.273(リーグ13位)、0本塁打、6打点の成績を残している。

チーム内には正吾だけでなく、前田智徳(元広島)の息子である晃宏(3年・投手)や広池浩司(元広島)の息子である浩成(2年・投手)も在籍。「有名人の息子」が珍しくない慶応義塾大の環境もプラスに作用しているのかもしれない。

プロ注目の逸材投手が集まるリーグで、大学で初めて硬式野球をプレーした選手がこれだけの数字を残すのは驚異としか言いようがない。ただし、本人はプロ志望を明言するように、見据える世界はもっと高みにある。果たして、正吾はドラフト指名を狙えるだけの存在なのか。

身長186㎝、体重90㎏のたくましい肉体は明らかに父譲りだが、プレースタイルは異なる。正吾はバットをグリップから指2本分短く握り、初球から積極的に打ちにいく打撃スタイル。

ボールに対してバットを強く叩きつけるスイングだが、柔らかく伸張性のあるフォロースルーというわけではない。つまり、今のところ父のように飛距離を伸ばせる「スラッガー」の雰囲気はないのだ。とはいえ、野球歴の短さを考えればそれも致し方ないだろう。

一方で、正吾は父にはなかった武器を持ち合わせている。マルチスポーツ経験者ゆえの、運動能力の高さである。今春のリーグ戦では内野安打を3本放つなど、足でもアピール。慶応義塾大の堀井哲也監督が「外野の経験もある」と語るように、試合途中から右翼を守るシーンもあった。

どのスポーツだろうと、プレー中にとっさの反応や戦略的な思考が求められるもの。正吾は野球以外のスポーツを経験した点を自分の強みととらえている。ハイレベルな東京六大学の投手たちに正吾が順応できたのも、中高生時代のマルチスポーツ体験が大きく寄与しているはずだ。

野球歴が浅いにもかかわらず、スローイング動作に変なクセがないのも評価ポイントだ。今後の伸びしろを考慮して、獲得に動き出すNPB球団もあるかもしれない。

元ロッテ・渡辺俊介の長男・向輝は東京大に現役で合格。高校時代に父と同じアンダースローに転向し、大学3年目で登板機会が増えた


元ロッテ・渡辺俊介の長男・向輝は東京大に現役で合格。高校時代に父と同じアンダースローに転向し、大学3年目で登板機会が増えた

今年の東京六大学は正吾だけでなく、プロ野球選手の2世選手が存在感を放っている。ドラフト候補に挙がる吉鶴翔瑛(法政大4年)は中日、ロッテの捕手だった憲治を父に持つ。先発投手として定着した大越怜(立教大3年)の父は、ダイエーで好守の外野手だった大越基

そして、東大にも有名選手の2世がいる。なんと、親子二代でアンダースローという変わり種。渡辺俊介(元ロッテほか)を父に持つ渡辺向輝(3年)である。

父・俊介はプロ通算87勝を挙げ、2006年、09年のWBC制覇にも貢献したサブマリンだ。ただし俊介は、中学時代は3番手の控え投手だった。アンダースローについて「野球選手として最後の手段」と語っており、若くしてアンダースローに転向することに否定的な立場をとっていた。

向輝は都内屈指の進学校として知られる海城高時代にアンダースローへと転向している。マウンドでのひょうひょうとしたたたずまい、左足を上げて軸足一本でゆったりと立つ姿は父とうりふたつだ。

ただし、父と決定的に違うのはリリースポイント。「世界一低いアンダースロー」と呼ばれた父は地上スレスレの位置でボールを離していたが、向輝のリリースポイントは父ほど低くはない。それでも、向輝はホップして見えるカーブやシンカーを生かして、打たせて取る投球を展開する。

今春は8試合を終えた段階でチームは全敗中だが、向輝は6試合にリリーフ登板して防御率3.38とチーム随一の安定感を見せている。今後は先発マウンドに上がる可能性もあるだろう。

2世選手は偉大な父と比較され、図らずも注目され、苦しむこともあったはずだ。現に正吾は父・和博が不祥事を起こしたタイミングで一度は野球をやめている。それでも、「両親を喜ばせたい」という思いから再び野球のユニフォームに袖を通し、今や神宮を沸かせる強打者に成長した。

清原正吾も渡辺向輝も、それぞれの方法で輝きを放ち始めている。学生野球の聖地で彼らが人生をかけて表現する野球を、心ゆくまで堪能したい。

取材・文/菊地高弘 写真/アフロ

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