パラ五輪4回出場の谷真海さんが語るパリ大会の楽しみ方「『どこが悪いんだろう』ではなく『わお!』という驚きを感じてほしい」
8月28日に開幕するパリ2024パラリンピック。45個のメダルを獲得したオリンピックに続くアスリートの躍進に期待が集まる。2021年の東京オリ・パラの招致活動に携わったパラトライアスロン選手・谷真海さんに、『パラリンピックと日本人』(小学館新書)の著者でノンフィクションライターの稲泉連氏がインタビューした。
【写真】招致活動も行なった東京大会でお台場の地を駆け抜ける谷真海さん
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パラリンピックに4度の出場経験を持つ谷真海さんは、東京五輪・パラリンピックの招致活動に携わった。東京大会では開会式の旗手も務めた彼女が、骨肉腫によって右足を失ったのは20歳の大学生の頃だった。
「将来がまったく見えなくなってしまった私に、希望をくれたのがスポーツでした。当時は『義足で走る』という考えすらありませんでしたが、切断者スポーツクラブ『スタートラインTokyo』の臼井二美男さんに出会い、『走ってごらん』と勧められたんです」
谷さんは競技種目に走り幅跳びを選んだ。1センチ、2センチと跳躍の距離を伸ばしていくプロセスが、「義足になって人生をゼロからやり始めた自分の気持ちにマッチしたから」だという。
2004年にはアテネ大会に出場し、パラアスリートとして活躍してきた彼女は、2015年に第一子を出産。以後、年齢を重ねても長く続けられる競技をしたいと、パラトライアスロンに種目を転向し、東京大会に出場した。一昨年には第二子を出産し、今年から競技に復帰している。
そんな谷さんが競技を通して発信してきたのが、「スポーツの力」を多くの人に伝えたい、という思いだ。東京大会の招致では、ブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションに参加し、自身の思いをスピーチに込めた。
「スポーツがあったことで、私は人生をポジティブに楽しめるようになりました。目標を持つと人には前向きなエネルギーが湧き出てくる。そこから人生が開けていったと思っているんです。だからこそ、スポーツ界にいる私は、スポーツを通して一人でも多くの人たちに笑顔になってもらいたい。ダイバーシティの意味を表現し、人々が手をつなぎ合うきっかけづくりができたらいいな、と常に意識してきました」
そう語る谷さんはパリ大会に向けて、次のような言葉を続けた。
「パラスポーツを観戦するときは、『この人は体のどこが悪いんだろう』とか『どこが大変なんだろう』というふうに見てしまう人が多いかもしれません。でも、人間としての可能性を各競技が魅せてくれるのがパラリンピック。スポーツの『わお!』という驚きを感じながら、思う存分に楽しんでほしいですね」
【プロフィール】
谷真海(たに・まみ)/1982年、宮城県生まれ。走り幅跳びでパラリンピック3大会、パラトライアスロンで東京大会に出場。東京大会では旗手も務めた。サントリー所属。
取材・文/稲泉連(いないずみ・れん)
1979年、東京都生まれ。2005年、『ぼくもいくさに征くのだけれど-竹内浩三の詩と死-』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『復興の書店』『豊田章男が愛したテストドライバー』『日本人宇宙飛行士』『サーカスの子』など。1964年の東京パラリンピックについて取材した『パラリンピックと日本人 アナザー1964』が好評発売中。
撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2024年8月30日・9月6日号
08/28 07:15
NEWSポストセブン