元横綱北の富士勝昭さん死去、82歳=優勝10回、名師匠名解説

元横綱北の富士勝昭さん 



大相撲の元横綱で、親方として千代の富士北勝海の2横綱らを育て、解説者としても人気があった北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき、本名竹沢勝昭=たけざわ・かつあき)さんが12日に亡くなった。82歳だった。体調を崩し、療養していた。
北海道美幌町生まれ。横綱千代の山に誘われて出羽海部屋に入門し、1957年初場所初土俵。63年春場所新十両、64年初場所新入幕。66年名古屋場所後、大関に昇進した。
引退した千代の山の九重部屋創設に同行して移籍。70年初場所後、玉の海とともに横綱に昇進し「北玉時代」とうたわれた。かち上げから出足を利かせた寄り、投げ、外掛けの速攻を得意とし、全勝3回を含む優勝10回。
美声を買われてレコードを出したり、休場した場所の直後にハワイでサーフィンをして日本相撲協会から注意を受けたりするなど、ドライで奔放な言動から「現代っ子横綱」と呼ばれた。
74年名古屋場所で引退し、通算786勝427敗69休。殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞3回。
井筒部屋を興した後、九重部屋を継ぎ、多くの関取を育てた。相撲協会理事として審判部長、広報部長などを歴任したが、98年の役員選挙をめぐる混乱から退職。NHK相撲放送の解説を務め、率直で軽妙な語り口が人気だった。


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