【森泰斗騎手・引退会見】調教師転身を視野も「具体的なことは、しばらくはゆっくりしてから考えたい」

引退会見を行う森泰斗騎手

 船橋競馬場で11月29日、同日で騎手生活にピリオドを打つ森泰斗騎手=千葉県騎手会=が会見を行い、電撃引退の真相や、その胸の内を明かした。

 会見会場に勝負服姿で登場。約50人のマスコミ関係者を前に、引退を決意した理由を「“心技体”とよく言われるが、その心と体の部分で衰えを感じ、2年ほど前から自分としては納得のいかない面が出てきた。体の面では長年乗ってきての関節の経年劣化、とくに怪我や手術などの影響で右足首が思ったように動かない」と満足のいくパフォーマンスができなくなったことを挙げ、この時期にステッキを置くのも、寒さでの痛みを意識してのことと説明した。

 心の面は「親交のあったジョッキーが落馬事故で大けがをした。また、今年に入ってもジョッキーが命を落としている。以前なら考えもしなかったが、怖い仕事なんだと改めて感じた」と心境の変化があったとした。

 これまでの騎手人生を「80点」と辛口採点。「ネガティブな性格で、いいことも多かったのに、どうしても“あのとき、こうしていれば”ということばかり考える。一生やっても100点にはならない。それでも、充実した騎手人生だったと思う」と馬と過ごした26年間を振り返った。

 今後は「1月の調教師試験も視野には入れているが、具体的なことは、しばらくはゆっくりしてから考えたい」と現在は白紙という。「これまでの騎手人生で一度も太ったことがない。ジャンクフードを食べて、夜中までゲームをするような生活をしてみたいかな」とジョークを飛ばしつつ、船橋移籍時に所属し、2018年12月に逝去した松代眞調教師について「まずはお墓参りに行く」と師匠に報告することを語った。

 さらに、「自分が引退することで変わってくると思いたい」とし、若手騎手に「頑張れよ!」とエールを送った。

 同騎手は1998年に足利競馬でデビュー。同期には、後にJRAに移籍した戸崎圭太がいる。2000年に一度、免許を返上したが2001年に再デビュー。その後、2003年に足利競馬が廃止となり宇都宮の所属となったが、同競馬場も2005年に廃止。船橋に移籍した。船橋に所属した当初は振るわなかったものの、2010年に地方通算500勝を達成すると拍車がかかり、2014年から南関東リーディングを8度、2015年から地方競馬全国リーディングを5回獲得した。また、2017年にはヒガシウィルウィンで東京ダービー・S1を制覇、2018年にキタサンミカヅキで東京盃・Jpn2を制すなどダートグレード6勝を含む重賞71勝。南関東だけでなく、地方競馬の雄として活躍した。

 引退式は次の船橋開催初日の、12月16日(月)に船橋競馬場で行われ、詳細は近日中に発表される予定だ。

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