「褒めていい方向に導いてくれた」師匠だった北の富士さんを八角理事長が追悼「怒ったのは見たことない」

87年5月27日、相撲協会の使者から北勝海(左)の横綱昇進の伝達を受ける九重親方

 大相撲の第52代横綱で、人気解説者だった北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭)さんが12日午前に東京都内の病院で82歳で死去したことが明らかになってから一夜明けた21日、日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)が師匠を追悼。千代の富士と自身の2横綱らを育てた名伯楽の手腕に、尊敬の意を示した。12月18日に都内の八角部屋でお別れの会が開かれる予定。

 自身を横綱まで育て上げてくれた恩師との永遠の別れから約1週間。八角理事長は悲しみを胸にしまうかのように冷静に、時に笑みを交えて思い出を語った。

 北の富士さんが晩年、入退院を10回ほど繰り返したことを明かし、「具合が悪いのは聞いていた。体調が悪くなってから、リハビリなどを頑張ったと思う。(7月の)名古屋場所でテレビ(NHKの大相撲中継でVTR出演)に出た時に満足したのではないか」と82歳で天国へ旅立った師匠を思いやった。関係者によると最近1年間は持病の心臓疾患や脳梗塞(こうそく)で入退院を繰り返し、今月に入って体調が悪化したという。

 北勝海(現八角理事長)は、兄弟子で優勝31回を誇る横綱・千代の富士との猛稽古が有名だ。ただ師匠としての北の富士さんは「楽しい師匠で、盛り上げてくれた。怒られたこともなく、褒めていい方向に導いてくれた。技術的には何も言われたことがない」と振り返った。一方、19歳で新十両に上がった際には「その気になるんじゃない」と叱咤(しった)されたこともあった。人気を博した解説同様、硬軟織り交ぜた指導で千代の富士、北勝海の両横綱ら、多くの関取を育てた。

 理事長も1993年に創設した八角部屋の師匠として指導にあたる。「私が部屋を持った時(元小結の)海鵬が伸びないことを相談したら『褒めることだよ』と言われた」との思い出を披露した。その上で「今でもできていないけどね。すぐに怒ってしまう。難しい」と苦笑し、「師匠が怒ったのは見たことがない。親方だったから2人の横綱が誕生したのだと思う」。千代の富士北勝海(優勝8回)で九重部屋10連覇を達成するなど“最強部屋”を作り上げた手腕に脱帽した。

 今年に入り面会する機会はあったが、本場所中に旅立った師匠の最期に会うことはかなわなかったという。「リハビリの病院で会った時はよく飲んだ話をした。(新宿の街を)指さして『覚えているか?』と言ってね」と語った。お別れの会は北の富士さんの遺志で八角部屋で実施予定。また1998年1月の協会退職後に長らく専属解説を務めたNHKに配慮し、死去の報は同局から発表を望んでいた事実を明かし「義理堅いところがあるよ」と故人をしのんだ。(三須 慶太)

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