アンカーで逆転負けした青学大の塩出に原監督がゲキ「駅伝の悔しさは駅伝で晴らすしかない」

3位でゴールする青学大のアンカー塩出翔太

 学生3大駅伝第2戦の全日本大学駅伝(3日、名古屋市~三重・伊勢市=8区間106・8キロ)で3位だった青学大の原晋監督(57)は4日、最終8区で首位でタスキを受けて2人に抜かれた塩出翔太(3年)に対し「駅伝の悔しさを駅伝で晴らすしかないぞ」とゲキを飛ばし、第101回箱根駅伝(来年1月2、3日、東京・大手町~神奈川・箱根町芦ノ湖往復=10区間217・1キロ)で奮起を期待した。

 全日本大学駅伝は、今季開幕戦の出雲駅伝(10月14日、島根・出雲市=6区間45・1キロ)を制した国学院大が、伊勢路でも強さを見せつけ、5時間9分56秒で初優勝を飾った。エースで主将の平林清澄(4年)を中心に、第101回箱根駅伝(第1月2、3日)で初優勝と史上6校目の3冠を目指す。

 5連覇を狙った駒大は28秒差の2位だった。

 青学大は国学院大と45秒差の3位。2区で区間賞の鶴川正也(4年)、4区で区間新記録の黒田朝日(3年)、7区で平林と同タイムの激闘を演じた太田蒼生(4年)らの力走で、最終8区まで首位に立っていたが、アンカーの塩出翔太(3年)が、国学院大の上原琉翔(3年)、駒大の山川拓馬(3年)に抜かれて3位に後退した。塩出は「先頭でタスキを受けたのに、ふがいない走りで3位になってしまいました。申し訳ない気持ちです」と、がっくり肩を落として話した。

 青学大はこの日は東京・町田市の選手寮に戻り、各自調整で静養に努めた。原監督はスポーツ報知の取材に応じ、区間15位と本来の力を発揮できなかった塩出について「まずは体調に問題ないことを確認した上で『凡レースだった。レース勘がなかった』と事実を伝えました。その上で『まだ、3年生だし、挽回のチャンスはいくらでもある。駅伝の悔しさは駅伝で晴らすしかないぞ』と奮起を促しました」と話した。

 これまで、青学大では全日本大学駅伝アンカーで苦い経験したケースが多い。

 15年は神野大地(当時4年)が27秒差の2位でタスキを受けて逆転が期待されたが、逆に突き放された。19年は飯田貴之(当時2年)がトップでタスキを受けて2位。20年は吉田圭太(当時4年)はトップから4位に後退。21年は飯田(当時4年)が2位でタスキを受けて一時は首位の駒大に並んだが、ゴール前で競り負けて2位に終わった。

 しかし、いずれも箱根駅伝では挽回した。16年の神野は5区2位、20年(19年度)の飯田は5区区間新記録の区間2位、21年(20年度)の吉田は1区6位、22年(23年度)の飯田は4区3位。4人とも、箱根駅伝優勝メンバーとなった。

 「今までの全日本大学駅伝のアンカーで負けた選手は、それぞれ負け方も理由も異なりますが、先輩たちは気持ちと体を立て直して箱根駅伝では頑張ってくれました」と原監督は話す。塩出は前回8区区間賞の実力者。「塩出は箱根駅伝優勝するためには必要な選手。巻き返してほしい」と原監督は期待を込めて話した。

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