35歳、元世界12位テニス選手の引退に世界王者らがキャリアを讃えるメッセージ

写真は2020年「ATPカップ」でのトロイツキとジョコビッチ

ビクトル・トロイツキ(セルビア)が引退を発表した。ノバク・ジョコビッチ(セルビア)やヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)と幼い頃から共に切磋琢磨し、チーム戦でも素晴らしい成績を残し、セルビアの黄金時代を支えた元世界ランキング12位のトロイツキに世界中からメッセージが寄せられた。ATP(男子プロテニス協会)の公式ホームページが伝えている。

「これまで素晴らしい経験だったよ」とトロイツキは語った。「自分が達成したことに満足しているし、子供の頃からの友達と一緒に夢を叶えられた。思ってもみなかったことを達成できた。でも今は家で家族と楽しむ時間が欲しい」


トロイツキは2011年のヨーロッパのクレーシーズン中に、あと一歩で世界ランキング10位というところまで成績を伸ばした。これまでにシングルス3大会、ダブルス2大会で優勝している。だが、2010年「デビスカップ」決勝の最終戦でクロスコートのバックハンドのリターンウィナーを放ち、ミカエル・ロドラ(フランス)を6-2、6-2、6-3で下した時の感動に勝るものは無いそうだ。地元ベオグラードで1万7000人のファンに見守られながら掴んだ勝利は、彼にとって「最高の経験だった」という。


世界ランキング1位のジョコビッチは、引退を表明したトロイツキに次のようにメッセージを送った。「素晴らしいキャリアだったね。君を知っている僕らにとっては悲しい日だ。8歳の頃から長い間友人で、セルビアではたくさん試合をしたね。一緒に世界を周ったし、ダブルスも一緒にプレーした。“ATPカップ”と“デビスカップ”で優勝して、ツアーでもコートでも忘れられない思い出がたくさんある」


「友達として、同僚として、そして同じ祖国を持つ人間として君のキャリアを目の当たりにできたことは素晴らしい旅路だった。君のセルビアのテニスチームへの貢献は前例がないほど素晴らしく、セルビアの何世代もの若いテニス選手にずっと影響を与えてきた。君は、自分の成し遂げたことに胸を張るべきだ」


子供の頃から重要な試合に出たいと夢見ていたトロイツキは、努力の人だ。2020年「ATPカップ」の決勝でジョコビッチとペアを組み、スペインのパブロ・カレーニョ ブスタ(スペイン)とフェリシアーノ・ロペス(スペイン)とのダブルス戦に勝利したトロイツキは、男子のチーム対抗戦3大会で優勝した最初の選手となった(彼は2009年と2012年にデュッセルドルフで行われた「ワールドチームカップ」でも優勝している)。


「僕はデュッセルドルフで行われた“ワールドチームカップ”2大会で優勝して、“デビスカップ”と“ATPカップ”でも優勝した。すごく誇りに思っているよ」とトロイツキは語った。「2010年に、自分の国の観客の前で勝負を決める最後の試合に勝ち、“デビスカップ”で優勝できたのは最高だった。一生の宝物だよ」


ティプサレビッチも友人にメッセージを送った。「君の信じられないような素晴らしいキャリアにおめでとうと言いたい。君と良い時も悪い時もすべて分かち合えたこと、特に君が好調な時に一緒に時間を過ごせたのは光栄だった。君はテニスのトップにたどり着いた。テニスコートで見せた姿勢と熱意で、これからの人生でもきっと新たな高みに到達すると信じているよ」


元ダブルス世界1位のネナド・ジモニッチ(セルビア)は言った。「彼は素晴らしいキャリアを築いた。世界ランキング12位に到達し、“デビスカップ”チームの一員となり、フランスとの最終戦を勝ち優勝を決めた。彼は自分のキャリアに誇りを持つべきだ。これからの幸せな人生を祈っている。素晴らしい思い出がたくさんある。彼は僕より10歳若いし、僕は多くの選手の助けになりたい。ビクトルも例外じゃなかった。それから、僕たちは2017年に”ATP250 ソフィア”で優勝する機会もあった」


トロイツキのジュニア時代はセルビアの経済が不安定な時期だったが、トロイツキの両親は息子をテニスで成功させてあげたい一心で金をかき集めたそうだ。トロイツキはセルビアのジュニア大会でジョコビッチやティプサレビッチに出会い、10代の時には2年間アメリカのフロリダ州でトレーニングを積んだ。


「ノバクのことは彼が8歳の頃から知ってるよ。彼が大会に出始めた頃に出会ったんだ」とトロイツキは語っている。「2回戦で対戦して、ゲームカウント9-0で勝った。ヤンコは僕より2歳年上で、弟みたいに可愛がってくれた。いつも僕が心地よく過ごせるよう助けてくれたり、アドバイスをくれたり、サポートしてくれたんだ」


「僕は、同年代の何人かの選手に比べると才能は劣っていたと思う。だからトップ選手になるためには自分に実力があることを示し、人よりたくさん努力しなければならなかった。僕は決して諦めなかった。世界を旅して、競い合い、良い友人を作るのは素晴らしかった」


2004年「ウィンブルドン」のジュニア部門でロビン・ハッサ(オランダ)とペアを組み準優勝するなど好成績を残していたトロイツキは、ドイツのハレでJan de Witt氏の指導を受けることになる。彼のもとで自制力やプロ選手としての振る舞い方を学んだトロイツキは、その後長年お世話になることになるフィットネストレーナーMilos Jelisavcic氏と出会う。


「彼は、朝から晩までトレーニングすることができた」と語るのは2006年から2012年まで彼のコーチを務めたde Witt氏。「彼は毎日練習していた。強靭な肉体を持っていたし、ファーストサーブも良かった。毎年進歩していたよ。450位から220位、そして2年目の最後には120位、それから60位、30位、20位、そして彼が最も良かった年には10位まであと一歩のところまで行った。始めは、セカンドサーブを重点的に練習してもっとポイントを取れるように、そしてセカンドサーブのリターンでもポイントを取れるようにしていった」


「彼は、ハレでのチーム環境を楽しんでいた。自分の周りに人がいるのが好きだった。ポジティブな気分になれたみたいだね。セルビア人はみんなチームプレーヤーだよ。国のために戦うことをすごく誇りに思っている。“デビスカップ”に向けて練習を始めた時、そして最終戦で彼らの夢が叶えられた時、本当に素晴らしかった。努力をすれば限界はないってことをビクトルから学んだよ。彼は、僕が思っていたよりずっといい成績を残した」


トロイツキは、2007年のウマグ(クロアチア)での大会で当時世界3位だったジョコビッチに勝利したことも含め、トップ10選手相手に10勝した。最後までトロイツキのコーチを務めたジャック・リーダー氏と二人三脚で、2014年の「ATP250 深セン」では世界5位だったダビド・フェレール(スペイン)を、2016年の「ATP1000 上海」ではやはり世界5位だったラファエル・ナダル(スペイン)を破っている。


だが、挫折も多く経験している。2011年の「全仏オープン」4回戦では、アンディ・マレー(イギリス)に対し最終セットのゲームカウント5-3、30-0までリードしていながら勝利を決めることができず、トップ10入りのチャンスを逃した。2013年の出場停止処分から復帰したトロイツキのランキングは847位まで落ちてしまっていた。そこからリーダー氏と共に死にものぐるいの努力を重ね、たった1年で827ランキングを上げトップ20に返り咲いた。


だが、トロイツキにとって2010年の「デビスカップ」優勝より嬉しい勝利はなかった。決勝の3戦目でトロイツキはジモニッチとペアを組み、フランスのアルノー・クレメン(フランス)とロドラのペアと対戦したが、2−0でリードしながら逆転負けしてしまった。その時点で2勝1敗とフランスがリードしていたが、翌日のシングルス2戦でジョコビッチとトロイツキが勝利し、セルビアが優勝を手にした。


「最後の試合で誰がプレーするか、はっきりと決めていなかったんだ」とトロイツキは語る。「僕が出ることになって、プレッシャーが凄まじかったよ。ノバクが[ガエル・モンフィス(フランス)との]4戦目をプレーしている時、僕は近くのホテルの自分の部屋にいた。僕の人生の中で最もプレッシャーがかかった時だったよ。でもチームのみんながいたし、国中が応援してくれていた」


「コートに出たら、本当にすべてを忘れてしまった。今までで一番集中できたし、すごくいいプレーができた。何もミスしないような感覚で、嘘みたいなパフォーマンスができた。一生忘れないよ」


ここ数年、トロイツキはいくつもの怪我に悩まされてきた。今後は妻と二人の娘と、ベオグラードでゆっくり暮らすつもりだそうだ。ただし、これからもテニスには関わり続ける予定で、今後も「デビスカップ」のセルビアチームのキャプテンを務める。


「セルビアのチームと一緒に“東京オリンピック”にも行くよ」とトロイツキ。「それから、ATP250の大会を2つ開催したノバク・テニスセンターを拡大させる予定なんだ。今年、ノバクのアカデミーを始動させる計画を立てている。チームを組み、計画を実行に移しているところだ。プレーするのと同じくらい楽しいことになるといいな」


(テニスデイリー編集部)


※写真は2020年「ATPカップ」でのトロイツキとジョコビッチ
(Photo by Cameron Spencer/Getty Images)

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