世界の福本豊 プロ野球“足攻爆談!”「村田兆治の急逝にモヤモヤしたまま」

福本豊

 テレビの朝のニュースを見て驚いた。11月11日に元ロッテのエース・村田兆治が東京・世田谷区の自宅火事で死亡した。出火原因がわからないし「兆治、何でや」とモヤモヤが消えない。現役時代にしのぎを削ったライバルで、2歳下の男の訃報はほんまにショックで胸が痛い。

 最後に会ったのは4、5年前やったかな。まだコロナが流行する前やった。僕が大阪で持っていたラジオ番組にゲストで出演してくれた。アナウンサーがフォークの投げ方を聞くと、ラジオブースの中でボールを投げはじめた。アナウンサーはグラブをはめていたけど、至近距離から投げるから危なくて仕方なかった。テレビならわかるけど、ラジオで実演しても‥‥。それも兆治のいいところ。熱くなりすぎて、周りが見えなくなることがあった。

 左足を大きく上げて、上から投げ下ろす「マサカリ投法」は、今も目に焼き付いている。並外れた走り込みで作り上げた独特のフォームやった。フォームも荒々しければ、投げるボールも荒々しかった。ストレートは速くて重い。他の人が「消える」と表現したフォークは何とか見えていたが、ストレートの重さに苦労させられた。右肘の手術から復帰してからはスライダーを覚えて、ますます攻略が難しくなった。左打者の外角のボールゾーンから曲がってきた球がストライクになる。世間的には剛球投手のイメージがあるけど、若い頃に比べてコントロールもよくなり、技巧派の一面もあった。

 研究熱心な男やったが、出塁できたら盗塁ははっきり言ってタダやった。「フクさん、クセがわかっていたんですか」と引退した後に聞いてきたので、種明かしをした。「お前の背中を見たらわかるねん。ホームに投げる時は背中が硬いけど、牽制の時は柔らかい」と。「そんなことをわかっていたんですか」と驚いていた。

 2003年のシアトルへの弾丸ツアーも、いい思い出になった。イチローと大魔神・佐々木がいたマリナーズの「ジャパニーズ・デー」に招待され、ユニホームをプレゼントされた。ほんまは衣笠さんと行く予定やったけど、スケジュールが合わず、代役に兆治が選ばれた。ナイター当日の昼間に到着して、早朝に飛び立つ忙しい日程で、観光する時間なんてなかった。ナイター後はホテルで兆治と一緒に野球の話をしながら、ステーキを食べた。

 野球が大好きで球界に恩返ししたいと言い続けていた。特に力を入れていたのが「離島甲子園」。僕も長崎の五島列島について行って、子供たちを一緒に教えた。「50になっても60になっても速い球を投げたいし、フォークも投げたい」と、引退後もきついトレーニングを続けていた。フォークを投げる指を鍛えるためと、中指と人さし指で一升瓶を挟んで酒をついでいたのを思い出す。

 金田正一さんに恩義を感じていて、金田さんが名球会を脱退した時に、一緒になって抜けた。「昭和生まれの明治男」と言われるぐらい頑固やった。今年9月に羽田空港の保安検査場で女性検査員ともめて暴行容疑で逮捕された件も、その性格が悪いほうに出たのかもしれん。肩を押した程度と聞くので、笑って済ませれば大事にならなかったかもしれないのに。あの事件から、すぐこんなことになるなんて。もっと兆治と野球の話がしたかった。

福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コーチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。

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