他人が怖い、外出できない…少年の人生を救った高校野球

打球を一塁に送球するわせがくの横山匠吾主将(左)。苦楽をともにした同級生とバント処理の練習をした=2020年7月19日午後1時41分、千葉県多古町西古内、福冨旅史撮影

 山々の谷間に田園が広がる千葉県多古町西古内。ここに、わせがく野球部のホームグラウンドはある。

 内野はでこぼこで、ところどころに雑草も生え、ノックの打球は不規則にはねたり、すぐに止まったりする。おまけに、一塁ベンチ奥の裏山から野犬や野ウサギが時々出てきて練習が中断する。

 「すごいところに来ちゃったな」。昨年2月、高校1年の終わりに転校してきた横山匠吾君(3年)は面食らった。小学5年でリトルリーグのチームに入り、中学でもごく短いがシニアリーグを経験していたから、同高の野球環境の厳しさはよくわかった。

 わせがくは、早稲田予備校を運営する学校法人早稲田学園が2003年に創設した通信制の高校だ。同町に本校があり、主に首都圏に11キャンパスがある。いじめに遭って不登校になったり、学習障害などのハードルがあったりする子を多く受け入れてきた。

 横山君もまた、「他人が怖い」という障害に苦しんでいた一人。小5で野球チームの主将に就いたが、チームメートと衝突して以来、外に出るだけで体がけいれんを起こすようになった。自分の部屋から外を見ることすら怖く、カーテンも開けられない。中学は3年間で数える程度しか登校できなかった。

     ◇

 それでも諦められなかったことがある。高校野球で甲子園を目指す夢だ。

 原点は両親に連れられて行った09年夏の千葉マリンスタジアム(当時)。千葉大会決勝で、八千代東のエースの躍動に回を重ねるごとに応援席が沸き、球場全体が揺れていた。

 試験に合格し、最初に入学できたのは硬式野球部のない東京都内の通信制の高校だった。軟式野球部に入ったが、甲子園はめざせない。数カ月悩み、両親に思い切って伝えた。「転校したい」。慣れた環境を自ら出ることはかつてない恐怖感があった。両親は背中を押してくれて、わせがくを見つけてくれた。

 わせがく野球部で出会ったのは、似たような悩みを持つ先輩や同級生だった。お互いの過去は聞かないし、詮索(せんさく)もしないのが、暗黙のルール。それでも、プロ野球の往年の名選手に詳しい先輩など、野球好きが集まっていた。

 昨夏の千葉大会。甲子園に続く念願の道の入り口に立った。だが、初戦の松戸向陽戦で、3―20で七回コールド負けした。

 相手に許した安打は11。四球18、暴投7、失策3。自身は小学校時代から続ける捕手として出場したが、7度の盗塁を許した。

 全体練習は土曜日の週1回だけ。その日の気分などで、練習に来られない部員も多い。人数も足りず、助っ人を集めて、なんとか出場――。そんなチームでも、試合後、球場の外で、全員がおえつを漏らして泣いた。

 「何もできなかった」。自分も泣いた。ただ、泣けるほど本気でやれたことは何よりもうれしかった。

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 昨秋。新チームになり、主将になった。チームは人数が足りず、秋季大会には出られなかった。

 今年5月、甲子園中止が決まると、3日間は何をしたか覚えていないくらい、頭が真っ白になった。自分の部屋に引きこもり、昔の自分に戻ってしまうと恐れた。

 6月の休校明け。グラウンドに見慣れた顔が待っていた。新入生が加わり、体調を崩していた同級生も戻ってきた。思わず走って、その輪に加わった。泥だらけでノックを受け、珍プレーは笑い合った。ここが自分の居場所。小学5年から続く長いトンネルから抜け出せた気がした。

 主将だが、「打てないし守れない」と自認する。それでも、主将の役割は果たしたい。一人ひとりに「体調はどう?」「痛いところはない?」と声をかける。

 捕手としては、試合の「流れ」をつくる配球をめざしたい。まずは四球を減らすこと。大瀧優毅部長は「どっしりとした体つきでミットをど真ん中に構え、投手を安心させてほしい」と期待する。

 県独自大会の初戦は3日、相手は多古。「人生を救ってくれた高校野球に、恩返しがしたい」。初戦に勝てば、野球と出会ったZOZOマリンスタジアムで、試合ができる。(福冨旅史)

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