《“武豊時代”に終止符》中央競馬の大スターがトップの座から陥落した2009年…予兆を感じさせた岩田康誠の“名勝負”を振り返る

 JRAでの勝利数歴代最多記録を更新し続け、いまも現役のジョッキーとして第一線で“中央”競馬界を牽引し続ける武豊氏。デビュー時から華々しい活躍を見せ、一時は向かうところ敵なしといった成績を残していた同氏に「待った」をかけたのは“地方”から現れた日本人騎手だった。

【写真】この記事の写真を見る(4枚)

 ここでは、競馬ライターの小川隆行氏、競馬ニュース・コラムサイト「ウマフリ(代表・緒方きしん)」の共編著『競馬伝説の名勝負 2005-2009 ゼロ年代後半戦』(星海社新書)の一部を抜粋。永遠に続くとさえ思われていた「武豊時代」のターニングポイントを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ナンバー1ジョッキーに告げられた有力馬からの降板

 1989年、デビュー3年目にして初めて全国リーディングを獲得して以降、長きにわたって中央競馬のトップを独走し続けてきた武豊騎手。数々の最多・最年少・史上初の記録を打ち立ててきたレジェンドの快進撃はとどまるところを知らず、03年から05年にかけては3年連続で年間200勝を達成。他の追随を許さぬ勢いで勝ち星を量産する姿を見る限り、「武豊時代」に終止符が打たれることなど当時の私には想像できなかった。

「武豊騎手」

 しかし、長く巨大な勢力を築き上げたあのローマ帝国も終わりを迎えたように、不動の王者にも時代の分岐点が訪れた。07年、ディープインパクトがターフを去り、新たな勢力争いが繰り広げられる中、武豊騎手が古馬中距離戦線でコンビを組んでいたのはアドマイヤムーン。前年春のクラシック戦線から手綱を取り続け、3歳時こそGⅠには手が届かなかったものの、明け4歳のドバイデューティフリーで待望のGⅠ初制覇。そのまま国内外のビッグタイトルを積み重ねていくように思われたのだが、続く香港クイーンエリザベス2世Cでの敗戦を受けコンビを解消。時を同じくして、3歳のクラシック戦線のお手馬アドマイヤオーラの鞍上も交代することとなった。圧倒的な存在感と実績を誇るナンバー1ジョッキーに告げられた有力馬からの降板。ましてやそれがアドマイヤベガやアドマイヤグルーヴらとともに数々の勝ち鞍を挙げてきた近藤利一氏の所有馬であったことは、ファンに大きな衝撃を与えた。

ポップロックとのコンビで雪辱を期すことに

 代わって両馬の手綱を取ることになったのが、前年に園田競馬からJRAへの移籍を果たした岩田康誠騎手。園田競馬在籍時から、限られた機会ながら中央競馬にも参戦し、04年にはデルタブルースで菊花賞を制するなど早くから大舞台で結果を残してきた名手である。JRA移籍初年度から126勝を挙げ全国3位に入ると、2年目は年始から武豊騎手・安藤勝己騎手と三つ巴でリーディング争いを展開。そして、アドマイヤムーンとの新コンビで上半期の総決算・宝塚記念に臨むことになったのである。

 1カ月前の日本ダービーで歴史的な勝利を収めた牝馬ウオッカの参戦もあって、大変な盛り上がりを見せた春のグランプリ。天皇賞・春を制したメイショウサムソンやマイル王ダイワメジャーと肩を並べる形で、アドマイヤムーンは単勝3番人気の支持を集めていた。一方、己のプライドにかけても黙って引き下がるわけにいかない武豊騎手は、前哨戦の目黒記念を制したポップロックとのコンビで雪辱を期すこととなった。

 雨の中で行われたレースは序盤からローエングリンら先行勢が速いペースで引っ張り、4コーナー手前から多くの馬が脱落するほどの消耗戦に。ウオッカもこの厳しい条件で本来の力を発揮できずに苦しむ中、最後の直線入り口で先頭をうかがうのはメイショウサムソン。アドマイヤムーンもそこに応戦する形で並びかけると、さらに外から迫りくる影が――道中からアドマイヤムーンの直後で徹底マークを敷いていた、ポップロックと武豊騎手だった。

絶対に負けられない一戦

 迫力満点の攻防はゴール前まで続き、最後は世界を制した豪脚が前年の二冠馬を捕らえアドマイヤムーンが勝利。メイショウサムソンが2着に粘り、そこから少し離れてポップロックが3着。それぞれが死力を尽くした激闘は興奮とともに幕を下ろした。

 日本競馬を代表するトップジョッキーからのスイッチという、究極の選択を下したアドマイヤムーン陣営にとっては絶対に負けられない一戦だった。その期待に「テン乗り」ながら最高の結果で応えた岩田康騎手の手綱さばきは、長らく並び立つ存在すらいなかった武豊騎手にとって強力なライバル登場を予感させるものがあった。

 アドマイヤムーンとのコンビでは秋にもジャパンCを制し、年度代表馬にも選出されるほどの活躍を見せた岩田康騎手は、翌年にはGⅠを4勝とさらなる飛躍を遂げた。単勝11番人気のブラックエンブレムで秋華賞を制するなど、前評判の低い伏兵も勝利に導く勝負強さは圧巻の一言。思い切ってインを突く大胆な戦法はその代名詞となり、GⅠタイトルを次々と射止めていった。その後はジェンティルドンナやロードカナロアら歴史的な名馬ともコンビを結成。2000年代後半から2010年代にかけての競馬界をリードするジョッキーの一人へとのし上がっていった。

節目を迎えた「武豊時代」

 一方で武豊騎手も、宝塚記念の敗戦後は新たにメイショウサムソンの鞍上に任命され、天皇賞・秋を制覇。翌年はウオッカとも新たにコンビを組み、天皇賞・秋でダイワスカーレットと死闘を演じた末に勝利を収め、全国リーディングの座も死守。迫りくる新たな強敵を相手に一歩も譲らないその姿からは、中央競馬の第一人者としての意地を感じさせた。

 それでも、ついに「その時」は訪れた。09年、武豊騎手が全国リーディングから陥落。その牙城を崩したのは、岩田康騎手と同じく地方競馬から移籍してきた内田博幸騎手だった。さらにその翌年は落馬負傷による長期休養もあってリーディング争いからも脱落。永遠に続くのではとさえ思われた「武豊時代」は、こうしてひとつの節目を迎えたのである。

 長く競馬を見ているうちに、時代のターニングポイントには何度も遭遇してきた。それらには全く予期せず訪れるものと前兆を感じさせるものがあったが、07年の宝塚記念は吹き荒れる嵐の前ぶれのようなざわめきがあったことを覚えている。何しろ「あの武豊が降ろされた馬が勝ったGⅠレース」だったのだから。この衝撃の強さは可能な限り克明に、後世に語り継いでいきたいと思う。

文=橋本祐介

【続きを読む】購入した馬が数百億円の賞金を稼ぐことも…それでも馬主が「丈夫で堅実に走ってくれるのが一番です」と語る“切実な理由”

購入した馬が数百億円の賞金を稼ぐことも…それでも馬主が「丈夫で堅実に走ってくれるのが一番です」と語る“切実な理由” へ続く

(小川 隆行,ウマフリ)

ジャンルで探す