北の富士さんが遺した粋な色気…大相撲中継で名コンビを組んだ元NHK・藤井康生アナが明かす“中洲の酒宴秘話”

 

 多くの相撲ファンの願いは、残念ながらかなわなかった。

 

 忖度なしの解説で絶大な人気を誇った元横綱・北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭)さんが死去していたことが、11月20日わかった。82歳だった。角界きっての“洒落者”としても有名だった。

 

「現役時代から破天荒な力士として人気者でした。1972年、この年は初場所から調子が悪く、負け越したり途中休場したりと、さんざんでした。さらに、休場後にハワイに渡ってサーフィンしていた写真が新聞に載り、協会から厳重注意を受けたのです。普通の力士ならへこむところですが、秋場所で全勝優勝したんです。

 

 

 また、夜の街がよく似合いました。185cmの長身にあのマスクですからね。『プレイボーイ横綱』『夜の帝王』と呼ばれ、とにかくモテました。銀座のお姉さんたちが『順番待ちしている』なんて、嘘のような話が噂されたほどでした」(相撲担当記者)

 

 引退後は九重親方として、千代の富士北勝海と2人の横綱を育てるなど、将来は協会幹部として期待された。だが、「師匠は50歳まで」と公言していたとおり、あっさりと身を引き、NHKの解説者に転身。ここで出会ったのが、名実況で有名となる、若き日の藤井康生アナウンサーだった。その藤井アナが述懐する。

 

「北の富士さんは角界入りのため、1957年1月7日の早朝に北海道・旭川から上京してくるわけです。じつは、同日、同時刻ごろに私が生まれたんです。それを伝えると『たいへんな縁だね』と喜んでくれました」

 

 以降、2人は名コンビの道を歩んでいく。コンビは1998年から約24年間続いた。

 

「あの方の解説をたとえるなら、『語りの名人』『聞かせる達人』というところでしょうか。ひとつ話題を振ると、物語がどんどん膨らんで展開していく。私は実況に集中しなければいけないのですが、聞き入ってしまうほどでした」

 

 藤井アナ自身が、解説を人一倍楽しんでいたという。

 

「若いアナウンサーが『いまの攻めは?』と聞くと『あっゴメン、見てなかった』なんて言うわけです。もちろん見ていたんだけど、経験の浅いアナウンサーを試したり。でも、あたふたするようなら『向正面の舞の海なら見えてるよ』と助け舟を出してくれる。

 

 また、マイクを前にして真面目なことを言ってるんだけど、手元では『今日終わったら行く?』とか『東の客席にきれいどころが来てるよ』と、メモして渡すわけです(笑)。生き方に余裕のある方なので、仕事にも余裕がありました」

 

 巧妙な話術とともに話題となっていたのが、北の富士さんの服装だった。

 

「着物姿が多かったので『面倒では?』と聞いたら『長年、着てるから楽なんだよ』と。全国各地に、着物を作ってくれるなじみの店があったようです。北の富士さんのおしゃれは評判になっていたので、解説のときはいつもより放送席を映される回数が多かったように思います。赤のレザージャケットを着てきたときは、本当に驚きましたね。『似合ってます』と言いましたが、『こんな70歳、いる?』というのが本音でしたね(笑)」

 

 それは、宴席でも変わらなかった。いまでもよく覚えているのが、九州場所中に開かれる“北の富士会”でのことだ。

 

「NHKの男性アナ10人くらいを、北の富士さんが贔屓にしているちゃんこ屋さんに連れて行ってくれるのですが、店では『むさ苦しい男だけだから、隣同士間隔を1m空けて座ろう』と言うんです。で、しばらくするとコンパニオンの方々が来て、空いたスペースに座っていく。2時間くらい楽しく飲んでお開きになると、北の富士さんは女性一人ひとりにご祝儀袋を渡すわけです。すでに、女性たちが所属している会社には払っているのにですよ。そういうところも粋ですよね。

 

 さらに、2軒めに中洲の高級クラブに行くと、ママが『うれしい~、1年ぶりね』なんて言いながら、お店の女の子たちをすべて我々のテーブルに呼んじゃうわけです。すると『ダメダメ、ほかにもお客さんがいるんだし、これだと店じまいになっちゃうよ』と、元いたテーブルに帰すわけです。でも、いつの間にかほかのテーブルからお客さんが集まってきて、即席サイン会になったりしてました」

 

 コンビは2022年1月20日、初場所12日目で幕を閉じた。

 

「もう一度、10分でも20分でもいいから、2人でやりたかった。私は、北の富士さんのような生き方に少しでも近づきたい。結局、追いつけないままでした」

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