「井上尚弥vsネリ」4万人を超える興行は“150年に一人の天才”の悲願だった

写真・時事通信

 

 2024年5月6日、東京ドームにて行われるボクシング世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥対ルイス・ネリ。

 

 東京ドームで世界戦が行われるのは今回で3度目だが、過去2度はともにマイク・タイソンが主役だった。1度めは1988年3月21日。ボクシングの東京ドーム興行はこれが初めてだったが、タイソン人気とバブル景気も手伝って同会場には5万1000人の大観衆が詰め掛けた。

 

 身長180cmとヘビー級にしては致命的な小柄な体躯だったが、それを補って余りある“豪腕”。その期待どうりのパンチ力を見せつけて2回KO勝ちとなったが、その瞬間はあまりの強さに大観衆は一瞬静まり返り、しばらくして大きな歓声がドーム内に木霊したほどだった。

 

 

 2回めは約2年後の1990年2月11日。さらに観衆数を更新し、東京ドームは日本ボクシング界最多となる5万1600人で膨れ上がった。

 

 しかも“絶対王者”として君臨していたタイソンが、“無名”のジェームス・ダグラスにKO負けという大波乱。このときのタイソンは、ボクシング中心から多くの取り巻きによって生活が乱れ始め、2年前の目を疑うほどの強さはなかった。

 

 そして今回の井上対ネリ。この一戦を感慨深い思いで迎えるのが井上が所属する大橋ジムの大橋秀行会長だ。

 

 大橋会長は1985年2月にプロデビュー。最軽量級とは思えないパンチ力を武器に、1990年にWBC世界ミニマム級王座、1992年にWBA世界同級王座を獲得。愛称は「150年に一人の天才」と呼ばれるほど人気を博した。

 

 大橋会長はこの試合を東京ドームで観戦し「ヘビー級は迫力がすごい。東京ドームは違う」とうらやんだそうだ。

 

 ベテランのボクシングライターが語る。

 

「タイソンが衝撃のKO負けを食らう4日前の2月7日、大橋会長は韓国の崔漸煥(チェ・ジョムファン)に挑戦し、9回KO勝ちを収め世界WBCミニマム級の王者となりました。当時の日本ボクシング界は“暗黒の時代”と呼ばれ、世界王者が一人もいませんでした。しかも日本人の世界挑戦は21連敗中。そんななかで大橋会長は世界王者となり、後楽園ホールに詰め掛けたファンは熱狂したものです。

 

 でも、大橋会長は不満だったと言っていました。後楽園ホールに来てくれた2000人のファンは嬉しかったそうですが、タイソンを見にきた5万1000人のファンには遠く及ばない。そのときに誓ったそうです。自分も防衛を重ねて、『いつかこの階級(体重が軽いミニマム級)でも東京ドームで試合をやる』と。その夢は実現しませんでしたが、夢は持ち続けていた。そして34年のときを経て、愛弟子・井上尚弥が、実現してくれたというわけです」

 

 34年ぶりの東京ドーム興行には、4万人を超えるファンが詰め掛けることは確実と言われている。そして井上のファイトマネーは、それに相応しい10億円が噂されているという。

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