大坂なおみとサーシャの「別れ」。女子テニス特有のコーチの役割。

大坂なおみとサーシャ・バインのコンビが2つのメジャータイトルを取ったことの価値は、何があっても薄れない。 photograph by Getty Images

 大坂なおみが突然のコーチ解任を発表してから1週間が経つが、まだ何もかもがモヤモヤしたままだ。原因についての憶測が乱れ飛び、大坂とサーシャ・バインが紡いだ1年あまりのストーリーに酔いしれていたファンの気持ちは、一向に晴れない。

 かつてこれほどテニスコーチが日本で話題になったことはない。錦織圭にマイケル・チャンがコーチについてからしばらくの間の例があるが、それにしたってこれほどではなかった。

 それに、自身がグランドスラム優勝経験もあるチャンはもともと日本でも選手時代からよく知られた存在だった。選手としても指導者としても“それまで”の情報が何もないにもかかわらず、日本でこんなに人気者になったテニスのコーチはこのバインくらいだろう。

 それゆえ、大坂とバインの契約解消だけがこうして取り沙汰されているのは当然のことだが、実はこの2カ月間、女子テニス界ではめまぐるしいコーチ移動が起こっていた。

 WTAは公式サイトで、昨年末からのトッププレーヤーたちのめまぐるしいコーチ交代の様相をまとめて、『コーチング・メリーゴーランド』と呼んで紹介している。

 スタートは、昨年11月に当時世界1位のシモナ・ハレプが4年来のコーチだったオーストラリア人のダレン・ケーヒルと別れたこと。「家族との時間を持ちたい」というケーヒルの意向で、とりあえず1年間の期限付きということだ。そしてハレプは全豪オープン後に、つい最近までダビド・ゴファンのコーチだったベルギー人のティエリー・ファンクリーンプットと試用期間に入ったが、わずか1週間でそれを解消した。

ケルバーも、アザレンカ、ビーナスも。

 昨年のウィンブルドンで通算3つ目のグランドスラム・タイトルを獲得したアンゲリク・ケルバーは、1年間をともにしたベルギー人のウィム・フィセットとWTAファイナルズ前に別れている。

 4週間後、そのフィセットが2015年から2016年に組んでいた元女王ビクトリア・アザレンカのもとに戻り、そのさらに2週間後、ケルバーは同じドイツ人で元男子世界ランク5位のライナー・シュトラーを新コーチに招いた。

 超ベテランのビーナス・ウィリアムズは、11年もの年月をともに歩んだアメリカ人のデイビッド・ウィットとオフシーズンに別れた。24歳のマディソン・キーズは元女王リンゼイ・ダベンポートと別れて、2017年に大坂のコーチについていたオーストラリア人のデビッド・テイラーとのトライアル期間を経て、これまで主にアメリカの男子選手のコーチを務めてきたジム・マドリガルに落ち着き、コーチのテイラーはその後、昨年の全豪オープンベスト4のエリス・メルテンスが拾った。

 一昨年の全米オープン・チャンピオンのスローン・スティーブンスの長年のコーチだったアメリカ人のカマウ・マリーの姿は全豪オープンになく、大会後にプエルトリコのモニカ・プイグがこのマリーを雇ったことをツイッターで発表した。そして締めくくりは、世界的にも衝撃的だった大坂とバインの“分裂”だった。

結びつきの強さと脆さは諸刃の剣。

 国境など無関係に、くっついたり、別れたり、奪い合ったり、ヨリが戻ったり――そんなことは女子テニス界では日常茶飯事だ。その傾向は男子以上に強い。

 技術や戦術を授けるコーチ本来の能力以前に、相性の良さや新鮮さ、信頼感といったメンタル面への効果が重んじられる。それゆえ、結びつきの強さと脆さは諸刃の剣だ。

 ハレプと別れたケーヒルは、ハレプが昨年の全仏オープンでグランドスラム初優勝を果たすまでに3度敗れた決勝戦のうちの、2度目、3度目を間近で見ている。のちにこんな話を打ち明けた。

「グランドスラムを獲るために妨げになっているのが僕なのか、彼女自身の問題なのかはわからなかったけれど、彼女が僕ではなく別の誰かの声を求めているのではという問いかけは、自分の中で繰り返していたよ。彼女にとって起爆剤になるなら、最後の手段としてそれ(コーチを退くこと)も考えていた」

コーチをベンチに呼ぶシーンは見もの。

 たった1人でコートに立ち、何時間も戦い抜かなくてはならないテニスにおいて選手は、特に女子選手は、自分を支え、励まし、勇気づける“声”を常に求めている。そして時には、コーチの能力とは関係なくただシンプルに新鮮な“声”を求める。

 より高いステージに到達したとき、あるいは何かにつまずいたとき。ちなみにケーヒルのコーチ経験は豊富で、中でもレイトン・ヒューイットを史上最年少世界1位に導き、アンドレ・アガシを当時史上最年長世界1位に復活させた実績で知られる。数々の女子のトップ選手のコーチも務めてきた名コーチだ。

“声”を求める女子選手とコーチとの密接な関係は、WTAツアーのみが採用しているオンコートでのコーチングにも見ることができる。選手は試合中にコーチをベンチに呼んでアドバイスを聞くことができる。原則として1セットに1回だが、それ以外に対戦相手がトイレットブレークや治療のための休憩をとった場合も許されている。

 その際、コーチは小型マイクをつけており、中継するテレビはその会話を拾って視聴者に届ける。WTAはいわばこれを“ショー”の一部として売りにしているのだ。どこの言語で話そうがかまわないので全て理解できるわけではないが、プロのコーチはプロの選手にどういうアドバイスをするのか、どんなやりとりが行なわれるのかは、ファンには興味深い。

あくまでも、選手が雇用主である。

「コーチ、助けてください。私はいったいどうしたらいいのですか?」

「わかりました。やってみます。ありがとうございます!」

 そんな日本のスポ根アニメのようなシーンをイメージしてはいけない。あくまでも選手がコーチを雇っているという関係だ。

 コーチの目を見て健気にうなずいたり、返事をしたりしている選手は稀で、だいたいは聞いているのか聞いていないのかわからないような態度だし、中には激しく口答えする選手すら目にするが、このコーチングをきっかけに試合の流れが変わるというケースは多々ある。

 だから今回の大坂の件で、たとえばコーチが話しているときに大坂は横を向いて水を飲んでいたとか無視していたとか、さまざまなことが“兆候”として取り上げられているが、女子選手とコーチの関係においてはそれ自体が異様な光景というわけではない。

 ただ、こんなテニスの世界の中でも、大坂のケースはそのタイミング、その唐突さにおいて異例といえる。

 大坂は新たな“声”を求めていたのだろうか。それだけでは説明がつかない事実が散見されるのだが、目下の関心事は次のコーチが誰になるのかということ。今週のドバイには日本のナショナルコーチである吉川真司が急きょコーチとして同行している。

 しばらくその体制を続けるのか、3月に連覇のかかるインディアンウェルズとそれに続くマイアミのビッグな両大会に向け、あっと驚く新コーチが登場するのか今はまだわからない。

コーチなしで戦える世界ではない。

 ただ確かなことは、この苛酷な世界では、自分以外の“声”なく生きてなどいけないということだ。それができるなら、誰も高額の報酬と経費を支払ってコーチを雇ったりしない。公式にはコーチ不在のまま全豪オープンを戦ったハレプだが、ケーヒルから引き続きアドバイスは受けていたという。

「彼が近くにいてくれたのはありがたかったけど、もう私のチームの一員じゃないというのは悲しい。自分だけでは、何をどうすればいいかわからないの。私にはコーチが必要。このレベルでたった1人戦うことなんてできないわ」

 そう話していたハレプは、4回戦でセリーナ・ウィリアムズに敗れて大会明けのランキングで3位に落ちた。

 意表をついた21歳の新女王の決断がどう出るのか、そしてこれからどう動くのか、複雑な思いの絡んだ視線が世界中から注がれている。

(「テニスPRESS」山口奈緒美 = 文 / photograph by Getty Images)

ジャンルで探す