「違う自分を見せるのも大事」伊藤涼太郎がサッカー日本代表でベールを脱ぐ「自分にしか出せないプレーが…」【コラム】

【写真:Getty Images】

 サッカー日本代表は2024年1月1日、TOYO TIRES CUP 2024でタイ代表と対戦する。昨夏、アルビレックス新潟からシントトロイデンへ移籍した伊藤涼太郎は、この試合で代表デビューを果たす可能性が高い。紆余曲折の末に掴んだチャンスに、遅咲きのファンタジスタは何を思うのだろうか。(取材・文:藤江直人)

●描いていた青写真と異なる現実

 プロの世界へ飛び込んで9年目を迎えた。浦和レッズ史上で5年ぶりとなる高卒ルーキーとして、伊藤涼太郎が岡山県の強豪・作陽高から加入したのが2016シーズン。ピッチに立つ機会こそなかったものの、柏レイソルとのファーストステージ開幕戦ではいきなりベンチ入りを果たした。

 当時のミハイロ・ペトロヴィッチ監督から、それだけ大きな期待をかけられていた。伊藤自身も浦和で大活躍を演じて日本代表入りを果たし、さらに海外へ移籍するプロ人生の青写真を描いていた。キャリアのなかには1998年2月生まれで出場資格があった、自国開催の東京五輪も含まれていた。

 しかし、コロナ禍で開催が1年延期された2021年夏の東京五輪だけでなく、昨年冬に中東カタールで開催されたFIFAワールドカップも、伊藤はテレビ越しに応援する立場だった。PK戦の末にクロアチア代表に敗れ、悲願のベスト8へつながる道を断ち切られた悔しさを、伊藤は日本で共有していた。

 もっとも、伊藤の脳裏を駆け巡っていた感情は悔しさだけではなかった。

●ユニフォームに袖を通し…。こみ上げる特別な思い

「僕自身、同年代の選手たちが活躍しているのを見ながら『自分は何をやっているのか』と思うところもあったし、同時に大きな感動を与えてもらったなかで、次は僕がそういう立場になれるように、という思いもありました。ワールドカップというのは誰しもが出たいと思う場所だし、やはり日本人に生まれたからには日本代表入りを果たして、日の丸を背負って戦いたい、という思いが本当に強くなった」

 カタール大会では1998年生まれの堂安律が、ドイツ代表戦に続いてスペイン代表戦でも同点ゴールを決めた。同じく1998年生まれの田中碧が、スペイン戦で逆転ゴールを決めた。日本中が熱狂してから1年とちょっと。カタールの地で眩い輝きを放った同じ年の2人がいま、伊藤の目の前にいる。

 タイ代表を東京・国立競技場に迎え、史上初めて元日に行われる国際親善試合に臨む日本代表に招集された伊藤は、所属するシントトロイデンの試合スケジュールの関係で、チームメイトの鈴木彩艶とともに初日から1日遅れの12月29日に帰国。千葉市内で行われていた合宿に合流した。

 憧れ続けてきたA代表に、26歳になる直前でようやく名を連ねた。左胸の部分に八咫烏のエンブレムがつけられたる練習ウエアを身にまとった瞬間、伊藤のなかで特別な思いがこみ上げてきた。

「この練習ウエアを着て、日の丸を背負って練習していると、何かいままでとは違った重みを感じているというか……本当に日本を代表して戦う、という意味が込められたエンブレムだと思っているので。ちょっと緊張気味なところもまだありますけど、早く馴染みたいですね」

 J1リーグでゴールもアシストもゼロだった伊藤が、昨シーズンの前半だけで7ゴール4アシストをマーク。代表招集待望論が高まるほどの大ブレークを果たし、6月にはアルビレックス新潟からシントトロイデンへステップアップした伊藤を初めて招集した理由を、森保一監督はこう語る。

●「トップ下だけでなく…」伊藤涼太郎がサッカー日本代表に初招集された理由

「これまで招集していなかった選手も含めて、代表として戦える選手を幅広く見てきた。新潟時代からシントトロイデンでも非常にいいプレーをしているなかで、代表の戦力として十分に戦える選手だと判断して選出した。彼のよさは得点に絡み、あるいは奪うといった攻撃面にある。そのなかでトップ下だけでなく10番や8番のポジションでも存在感を発揮している点も、今回の招集につながった」

 気持ちも新たに参加した練習で新たな気づきがあった。森保監督の要請を受けて合宿へ特別参加した日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチ、中村憲剛氏と言葉を交わしたときだった。

「自分のプレースタイルや代表でやりたいプレーなどを聞かれて、その上で『それらが新潟にはすごく合っていたよね』と言っていただきました。新潟だけでなくシントトロイデンも含めて、いままでは周りを生かすプレーを意識してきましたと言うと『でも、周囲に生かされるプレーも大事になってくる』とも言われました。そういった点も考えながら、これからも自分らしくやっていきたい」

 トップ下やボランチとして、川崎フロンターレで一時代を築いた憲剛氏から伝授された「生かし、生かされる」という金言に感銘を受けた。その上で、伊藤は代表でのあるポジションに狙いを定める。

「やはりトップ下ですね。日本代表で自分と同じポジションの選手は、みんなヨーロッパの5大リーグで活躍している。そういう選手に負けないのも大事だけど、そういった選手とは違う自分を見せるのも大事だと思う。ラインの間で受けるプレーとか、そういったアイデアのところでやっていきたい」

 タイ戦に招集された選手で言えば南野拓実が、森保ジャパンの常連では鎌田大地や久保建英がトップ下を担う。そのなかでも役割的に鎌田とかぶるのでは、と問われた伊藤はこう答えている。

●「伊藤涼太郎にしか出せないプレーがたくさんある」

「鎌田選手のプレーを見て、参考にする部分もたくさんありますけど、やはり誰かを目標にするよりも、僕もそういう選手たちになりたい、目標とされるような選手の一人になりたい、という思いの方が強いですね。自分にしか出せないプレーが、たくさんあると思っているので」

 J1リーグで出場わずか1試合にとどまっていた2017年9月に、浦和からJ2の水戸ホーリーホックへ期限付き移籍。翌年も移籍期間を延長して武者修行に励んだ。2019シーズンには期限付き移籍先を大分トリニータへ変更し、満を持してJ1へ再挑戦するもリーグ戦出場は4試合に終わった。

 2020シーズンには浦和へ復帰したが、リーグ戦の出場が5試合、プレー時間も85分間にとどまる。翌2021シーズンには出場わずか1試合という状況で、7月に再び水戸へ期限付き移籍。自身を巡る状況を変えようと必死だった、当時の伊藤の焦りにも近い胸中が伝わってくる。

 ターニングポイントが訪れたのは同シーズンのオフ。当時J2を戦っていた新潟から届いたのは、期限付き移籍ではなく完全移籍のオファーだった。水戸への期限付き移籍を延長する選択肢もあったなかで、伊藤は新潟への移籍を、つまり浦和との決別を選んだ。伊藤は後にこう語っている。

「一人のサッカー選手として、もう若手と呼ばれる年齢ではなくなってきたなかで、J1での実績がほしい、という強い思いがあった。当時の新潟はJ2でしたけど、ここで活躍できなければ僕のサッカー人生はこのまま終わってしまう。そうした覚悟と危機感を持って新潟に来ました」

 文字通り退路を断って臨んだ2022シーズン。リーグ戦で全42試合に出場した伊藤は、チーム最多タイの9ゴールをマーク。アシストも11を数え、新潟をJ2優勝と6年ぶりのJ1昇格へ導く原動力になるともに、右肩上がりに転じた成長曲線を2023シーズンの前半と海外移籍へとつなげた。

 紆余曲折あるサッカー人生で、A代表は言うまでもなく、東京五輪も含めて年代別の代表にもほぼ無縁だった。タイ戦に臨むメンバーでは、堂安や町田浩樹とともにプレーした経験がある。しかし、それも数えるほど。伊藤も「初めまして、という選手が多い」と苦笑しながら、不安はないと強調する。

●「思い描いていたようなプロサッカー人生を送って来られなかった。それでも…」

「だからこそ、すごく楽しみですね。レベルや基礎技術が高い選手が本当に多いので、初めてでも何の違和感もなくやれる。自分の特徴ややりたいプレーを早くチームに落とし込んで、選手たちとコミュニケーションを取って、ピッチ内でいいサッカーを、いいプレーを見せたい。ピッチ上でボールを触っていくなかで、いろいろと感じられるところがあるので、どんどんイメージを共有していきたい」

 タイ戦前日の大晦日に試合会場の国立競技場で行われた公式会見で、森保監督はこれまで代表歴のない数人の選手を先発させると示唆した。そのなかには伊藤も含まれているだろう。ポジションはトップ下。試合後には12日からカタールで開催される、AFCアジアカップに臨む代表メンバーが発表される。

「もちろんアジアカップ代表にも選ばれたい。その意味で、タイ戦はアピールするチャンスになる」

 タイ戦とその先に待つ、日本が3大会ぶり5度目の優勝を狙うアジアカップへ抱く思いを明かした伊藤は、同時に今回の活動だけで終わるのではなく、未来への始まりになると前を見すえた。

「正直、アジアカップがすべてじゃない。ワールドカップを含めたその先の代表活動であるとか、自分のチームでの活躍といったところにつながっていくようなプレーをしたい」

 その瞬間、瞬間に抱く思いを正直に、かつ臆さずに言葉に変換する姿は10代の頃から変わらない。強気な性格が色濃く反映された自身の過去・現在・未来を、伊藤はこんな言葉で表現した。

「ここに来るまで長かったというか、僕自身、思い描いていたようなプロサッカー人生を送って来られなかった。それでも絶対にあきらめず、自分のプレーを貫き通した結果としていまがある。その意味でも、これからも自分を信じて、もっともっと頑張っていきたい」

 浦和との決別を介して、プロサッカー人生を好転させてから2年あまり。J2からJ1、さらにヨーロッパへ一気に駆け上がった遅咲きのファンタジスタは、挑戦していく舞台に森保ジャパンが加わる未来を思い描きながら、託された背番号「7」とともに元日の聖地に鳴り響くキックオフの笛を待つ。

(取材・文:藤江直人

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