「2位は記憶に残らない」川崎フロンターレが譲らなかったもの。自分たちのスタイルを捨てて掴んだ天皇杯優勝の価値【コラム】

【写真:Getty Images】

●PK戦で決着がついた天皇杯決勝

天皇杯(JFA 第103回全日本サッカー選手権大会)決勝、川崎フロンターレ対柏レイソルが9日に行われた。0-0のままPK戦に突入し、川崎が3年ぶりに大会を制覇している。幾度となく訪れたピンチを救ってきたGKチョン・ソンリョンの活躍は、苦しみ続けた今季のチームを象徴するかのごとく、最後の最後で結果へと結びついた。(取材・文:藤江直人)
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<a href="https://www.footballchannel.jp/2023/12/11/post523678/" target="_blank" rel="noopener">【動画】躍動する守護神! 川崎フロンターレ対柏レイソル</a>

 時間にしてわずか40秒ほどの間に、川崎フロンターレの守護神、チョン・ソンリョンは思考回路をフル稼働させながら、濃密な経験のなかから確信に近い答えを弾き出していた。

 舞台は柏レイソルと国立競技場で対峙した天皇杯決勝。場面は延長戦を含めた120分間を、両チームともに無得点で終えてもつれ込んだPK戦。正規の5人ずつが蹴り合って4-4、サドンデスに突入しても7-7で決着がつかない息詰まる攻防は、天皇杯史上最長の10人目を迎えていた。

 先蹴りの川崎はソンリョンがキッカーを務めた。柏のキャプテン、DF古賀太陽が試合中に負傷し、キッカーを担える状態になかった。柏の申し出を川崎も了承。鬼木達監督は柏に人数を合わせるために、前日練習でPKの精度を欠いていたDFジェジエウをPK戦に臨むメンバーから外した。

 ゆえに両チームのキーパーが、最後の10人目のキッカーとしてスタンバイしていた。しかし、ソンリョン自身は「まさか自分のところに回ってくるとは、思ってもいなかった」と本音を明かす。

 それでも、ソンリョンはフィールドプレイヤーも顔負けのキックを柏ゴールに突き刺す。

「ピッチ状態が悪く、ところどころに穴も開いていたので、インサイドで落ち着いて蹴りました」

 ミートを心がけたインサイドキックはゴール右隅、一番上のコースを正確に射抜いた。川崎5人目のFWバフェティンビ・ゴミス、6人目のDF 登里享平のPKを立て続けに阻止。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が介入し、キックより早く前に出たとして蹴り直しになったものの、2人目のFW瀬川祐輔のPKも止めていた柏の守護神、松本健太がほとんど動けない完璧な一撃だった。

 次は松本がキッカーを務める。その心理状態に、ソンリョンは約40秒間で思いを巡らせた。

●タイトルを手繰り寄せた守護神の駆け引き

「僕が最初に、こちらから見て右隅へ蹴って成功させたじゃないですか。同じゴールキーパーならば心理的にも、同じようなコースには蹴ってこないだろう、というイメージがありました。もちろん自分と同じインサイドキックでも蹴ってこないだろう、と。そのように考えていました」

 とっさに立てた仮説を具現化させるために、ソンリョンは巧妙な罠も仕掛けている。

「さらに一度左へフェイントを入れて、タイミングを合わせてから右へ飛びました」

 松本がキックモーションに入った刹那に、ソンリョンは自身から見て左側へわずかながら重心を傾けた。当然ながら松本の視界にも入る。松本が蹴ってくるコースをほぼ完璧に限定した上で、満を持して逆方向へ飛んだ。ボールを両手で弾き返した瞬間に、川崎の3大会ぶり2度目の優勝が決まった。

 120分間で放たれたシュート数が、川崎の7本に対して柏が3倍近い19本。川崎の最大にして唯一の決定機は、延長後半13分に途中出場のゴミスが放ったヘディングシュート。それも松本のビッグセーブに阻まれた展開を、鬼木監督は「終始、柏のペースだった」と素直に振り返っている。

 それはJ1リーグで一度も優勝争いに絡めないまま8位に甘んじ、YBCルヴァンカップでもグループリーグ3位で敗退した今シーズンの苦しい戦いと重複するような120分間でもあった。

「最後まで自分たちの形でサッカーができなかった。そのなかで選手たちには、120分間だけでなくPK戦も覚悟しておこうとミーティングで話していた。PK戦になっても、最後は気持ちが大事だよ、と。実際にはそのようにならない展開がよかったけど、そうしたものを体現し続けてくれて、最後は勝利を持ってきてくれた結果に対しては、本当に選手たちとファン・サポーターの応援に感謝している」

●川崎フロンターレが本来の戦い方を捨てた理由

 柏の前線からのプレスにパスワークを分断され続けた。パリ五輪世代のFW細谷真大を中心に、一撃必殺のカウンターを擁する柏に対して、いつしかパスをつなぐプレーを躊躇するようにもなった。

 ベンチ前のテクニカルエリアから修正を指示したくても、大会史上最多の6万2837人で埋まったスタンドからとどろく大歓声でどうしても遮断されてしまう。鬼木監督は途中から本来の戦い方を捨てた。もちろんネガティブな選択ではない。失点を阻止するためのポジティブな判断だった。

「我慢せざるをえない状況だった。相手の勢いもあって、自分たちがプレッシャーをかければ背後に落とされて、どんどん間延びさせられてしまう。自分たちがボールを握る時間が極端に減ってしまった反面、柏の一番脅威となるカウンターを……何て言うんですかね、自分たちがボールを持てない分だけ、そこを冷静に見ながらというか、折り合いをつけながら勝負をかけていこうと」

 自分たちが中途半端な形でボールを失わなければ、カウンターを発動されるリスクも軽減される。らしくない戦いなのはわかっていても、相手が得点する確率を下げる試合展開を優先させた。

 それでも69分、延長戦突入後の100分と細谷に裏へ抜け出された。しかし、大ピンチでともにソンリョンが立ちはだかる。前者は細谷のボールタッチがやや流れたところを前に出てボールをキャッチし、後者では右足から放たれたシュートをビッグセーブ。失点を防いだ38歳の元韓国代表は胸を張った。

●苦しんだチョン・ソンリョンの2023シーズン

「速い選手が大勢いて、カウンターも鋭いので、そういう状況が起こりうる、という予測は試合前に立てていた。僕のストロングポイントは1対1で止めるプレー。なので、先に僕が転ばないように最後まで相手を見て、逆に威圧感を与えようと。あとは本当に運がよかったと思っている」

 韓国Kリーグの水原三星ブルーウィングスから加入したのが2016シーズン。以来、川崎のゴールマウスを守ってきたソンリョンも、来日8年目の今シーズンはベンチを温める試合が続いた。

 J1リーグの出場22試合は移籍後で最も少ない。なかなか上向かないチームに歩調を合わせるように、今シーズンに京都サンガF.C.から加入した上福元直人の後塵を拝した試合も続いた。

 それでもソンリョンは「一人の選手として、試合に出たい気持ちは当然ある」とこう続ける。

「試合に出ていないときに、チームのために最善を尽くす。あるいは、試合に出ている選手をサポートする。そうした状況を100%で続けていく先にチャンスが来ると信じていた。個人的なことよりもチームが大前提なので、そういう気持ちで最善を尽くした。それがプロだと僕は思っている」

 シーズンを通して切磋琢磨してきた34歳の上福元とは、試合前日にPKを蹴り合ってきた。ソンリョンが蹴るPKに上福元が対峙し、上福元のそれをソンリョンが受ける。柏との決勝戦を翌日に控えた練習でも2人の真剣勝負は変わらない。そして、ソンリョンのPKを上福元が止めた。

 実際にPKを蹴るシーンが巡ってきた柏戦で、前日の失敗が生きたとソンリョンが明かす。

●活かされた失敗とタイトルに込められた思い

「正直に言うと、練習では僕は常にPKを決めてきた。それが前日にカミ(上福元)に止められた。上のコースを狙ったところが、下に蹴ってしまった。なので、今日はしっかりと上に蹴りました」

 優勝を決めた直後のひとコマ。雄叫びをあげながら自軍のベンチ方向へ走り出したソンリョンの視界に、狂喜乱舞しながら駆け寄ってくる上福元の姿が真っ先に飛び込んできた。

 熱い抱擁を交わしながらピッチに転がり、喜びを分かち合う2人の上にフィールドプレイヤーが次々とのしかかってくる。大半の選手が居残りトレーニングで、ソンリョンや上福元を相手に黙々とPKを繰り返した。調子が上がらない日々でも、欠かさなかった努力が花開いたとソンリョンは振り返る。

「フィールドプレイヤーたちがしっかりとPKを決めてくれたので、自分が一回でも止めれば勝てる、というタイミングが必ず来る。そういう気持ちで臨んでいたなかで、最後にそうなって本当によかった」

 仲間に感謝したソンリョンに試合後、1番手でPKを決めていたFW家長昭博が声をかけた。

「PKを止めたのもすごいけど、PKを決めたキックも本当にすごかったよ」

 川崎の天皇杯制覇は、コロナ禍で準決勝からの出場となった2020シーズン以来、3大会ぶり2度目となる。このときは「異次元の強さ」と形容された独走劇で制したJ1リーグとの二冠に輝いた。

 しかし、このシーズン限りで精神的支柱を担ってきたバンディエラの中村憲剛が現役引退。当時の主力から三笘薫、守田英正田中碧、旗手怜央、谷口彰悟が次々と海外へ移籍している。翌2021シーズンは苦しみながら2度目のJ1リーグ連覇を達成したが、昨シーズンはついに無冠に終わった。

 悲願の初タイトルを手にした2017シーズンから、必ずタイトルを獲得してきた歴史も5シーズンで途切れた。ひとつの時代の終焉を感じさせた川崎の苦しむ姿は、今シーズンの大半を通しても変わらなかった。鬼木監督も「正直、いろいろな思いがある」とこの2シーズンをこう振り返る。

●復権を予感させる川崎フロンターレの執念

「どんな形でもタイトルは取り続けていかないと、タイトルを取れない状況にみんなが慣れてしまう。そのなかでとにかくタイトルを取ることで、言葉ではなかなか説明できない、タイトルを取るときの空気感といったものを選手たちには味わってほしかったし、さらに次の世代にも伝えていってほしいと思っていた。その意味でも、今回タイトルを取れたことは非常に喜ばしいと思っています」

 優勝を決めた後のピッチで、今シーズンからキャプテンを務めるMF橘田健人が、昨シーズンから中村憲剛の「14番」を志願して引き継いだMF脇坂泰斗が、昨年のカタール・ワールドカップ日本代表のDF山根視来らが泣いていた。そして、鬼木監督の目にも光るものがあった。

「本当に苦しかったシーズンで、実際にJ1リーグもああいう形なった。決勝戦も終始、相手のペースだったし、PKを含めて、絶体絶命のピンチが何回もあった。でも、選手たちはそこを気持ちで乗り越えてくれた。本当に目に見えない部分での最後の頑張り、といったものに感動したというか、選手たちのさまざまな苦しみが報われた瞬間なのかなと。そういう思いもあって、少し涙が出てしまいました」

 ちょっぴり照れくさそうに指揮官が涙の意味を説明すれば、川崎が獲得したすべてのタイトルを知るだけでなく、城南一和天馬(現城南FC)時代にはACLを制した経験を持つソンリョンも続いた。

「ここまで来れば2位のチームは記憶に残らないし、優勝できなければ絶対に後悔する。それは自分の経験からもわかっていた。3年前は(準決勝から登場して)2回勝っての優勝で、ちょっと微妙な感じがあったけど、2回戦から勝ち上がった今回はまた違った嬉しさがこみ上げてきている」

 120分間を通じた試合内容だけを見れば、勝利にふさわしかったのは柏の方だったかもしれない。それでも、肉を切らせて骨を断つ、とばかりに川崎は最後の一線だけは絶対に譲らず、何がなんでも、という執念をむき出しにしながら経験をフル稼働させて、直近の7シーズンで7個目のタイトルをクラブの歴史に加えた。来シーズンのユニフォームに添えられる7個目の星が、川崎の復権を予感させる。

(取材・文:藤江直人

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