中村俊輔、所属クラブ歴代ポジション。マリノス、レッジーナ、セルティック…左足1本で世界を驚かせた男の系譜

中村俊輔の左足は、世界に衝撃を与えた。セルティックではレジェンドとして記憶されている。しかし、そのキャリアは決して順風満帆ではない。若くしてJリーグ最高の選手となり、2000年代の日本サッカー界をけん引した名手はどのような道を歩んできたのだろうか。41歳になっても向上心を抱き続けるファンタジスタの現在に至るまでの活躍を、所属したクラブごとに振り返っていく。

【写真:Getty Images】

横浜マリノス/横浜F・マリノス(95年〜02年夏)

 中村俊輔の左足は、世界に衝撃を与えた。セルティックではレジェンドとして記憶されている。しかし、そのキャリアは決して順風満帆ではない。若くしてJリーグ最高の選手となり、2000年代の日本サッカー界をけん引した名手はどのような道を歩んできたのだろうか。41歳になっても向上心を抱き続けるファンタジスタの現在に至るまでの活躍を、所属したクラブごとに振り返っていく。

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【リーグ戦成績】
1997年:27試合出場5得点
1998年:33試合出場9得点
1999年:26試合出場7得点
2000年:30試合出場5得点
2001年:24試合出場3得点
2002年:8試合出場4得点

 桐光学園高校から全国高校サッカー選手権準優勝の経歴を引っさげて、ジュニアユース時代まで過ごしていた横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入したのが1997年。中村俊輔は1年目から主力に定着し、Jリーグ優秀新人賞を獲得するなど、順調にスターへの階段を上っていく。

 1999年からはクラブが横浜フリューゲルスを吸収合併して「横浜F・マリノス」に変わり、中村も背番号を「10」に変更。リーグ戦では26試合出場7得点の成績を残し、初めてJリーグベストイレブンに輝いた。

 続く2000年はU-23日本代表としてシドニー五輪に出場し、日本代表デビューも飾る飛躍の1年に。オズワルド・アルディレス監督が就任したマリノスは5年ぶりに1stステージを制した。チャンピオンシップでは2ndステージを制した鹿島アントラーズに敗れて惜しくも優勝は逃したが、中村の年間を通した活躍は目覚ましく、史上最年少22歳でJリーグ年間最優秀選手賞を受賞した。

 2001年は苦しかった。三浦淳宏やユ・サンチョルが退団したマリノスは低迷し、1stステージ途中でアルディレス監督が解任される。前年にチャンピオンシップで優勝を争っていたチームは年間13位に転落し、中村自身も前年度の年間MVPとして期待されたほどのパフォーマンスを見せられず、日本代表から遠ざかった時期もあった。

 2002年は、足首に負傷を抱えた上日韓ワールドカップ出場を逃すなど中村にとって厳しい前半戦となった。それでも夏に欧州へのステップアップを決断する。Jリーグでは屈指のスター選手に成長していた24歳は、日本サッカー界の期待を一身に背負ってイタリア・セリエAのレッジーナへと挑戦することになった。

●2000シーズンの基本先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
波戸康広
松田直樹
小村徳男

▽MF
永井秀樹
上野良治
遠藤彰弘
三浦淳宏
中村俊輔

▽FW
エジミウソン
柳想鐵

レッジーナ(02年夏〜05年夏)

【リーグ戦成績】
2002/03:32試合出場7得点
2003/04:16試合出場2得点
2004/05:33試合出場2得点

 2002年日韓ワールドカップへの出場は逃したが、直後の同年7月に横浜F・マリノスからイタリア・セリエAのレッジーナへ完全移籍を果たした。

 欧州挑戦1年目となった2002/03シーズンは、11月にボルトロ・ムッティからルイージ・デ・カーニオへの監督交代があった。結果的にはこれが功を奏し、レッジーナはセリエA残留を果たす。その中で中村は31試合に出場して7得点という結果を残した。

 パワー自慢のエミリアーノ・ボナッツォーリとスピードタイプのダヴィド・ディ・ミケーレが組む前線2トップ、その後ろを支えるトップ下のフランチェスコ・コッツァの3人が形成する攻撃ユニットが機能。それにともない中村は本職のトップ下ではなく、1列下がった不慣れなレジスタ起用も多かった。

 2年目の2003/04シーズンは日本代表戦のために度々チームを離脱したうえ、クラブと代表の過密日程をこなす中で負傷が増えて不完全燃焼に。レッジーナでのリーグ戦出場は16試合にとどまった。それでもシーズン終了後に日本代表として挑んだアジアカップでは2連覇に貢献し、大会最優秀選手賞も獲得した。

 本来の姿を取り戻した2004/05シーズンは主力に返り咲き、リーグ戦は33試合出場2得点とほぼフル稼働でさらに評価を高めた。レッジーナではタイトルこそ獲得できなかったものの、在籍最終年となった2004/05シーズンにクラブ歴代最高のセリエAで13位という功績を残し、セルティックへと移籍することになる。

●2002/03シーズン基本先発メンバー

▽GK
エマヌエレ・ベラルディ

▽DF
マルティン・イラーネク
ホルヘ・バルガス
イヴァン・フランチェスキーニ

▽MF
アイモ・ディアーナ
カルロス・パレデス
中村俊輔
ジャンルカ・ファルシーニ
フランチェスコ・コッツァ

▽FW
エミリアーノ・ボナッツォーリ
ダヴィド・ディ・ミケーレ

セルティック(05年夏〜09年夏)

【リーグ戦成績】
2005/06:33試合出場6得点
2006/07:37試合出場9得点
2007/08:26試合出場6得点
2008/09:32試合出場8得点

 ゴードン・ストラカン監督に高く評価されて加入したセルティックで、中村はキャリア最高の時期を過ごしたと言えるだろう。レッジーナに支払った移籍金は推定250万ポンド、当時のレートで約4億9000万円と伝えられている。

 1年目の2005/06シーズンはリーグ戦33試合に出場して6得点を挙げ、優勝に大きく貢献。国内カップ戦も制して国内二冠を達成した。そして迎えた2006/07シーズン、チャンピオンズリーグ(CL)の舞台に立つ。そのデビュー戦となったグループリーグ初戦のマンチェスター・ユナイテッド戦、敵地オールド・トラフォードで直接フリーキックを沈めて、現行方式になって以降最初の日本人得点者となった。

 2006年10月にはダンディー・ユナイテッド戦でハットトリックを達成。さらにホームで開催された2度目のユナイテッド戦で、再び直接フリーキックからゴールネットを揺らして世界の度肝を抜いた。セルティックは現行方式になってから初のグループリーグ突破も果たし、中村は日本人初のCL決勝トーナメント進出者となった。

 2006/07シーズンはセルティックでリーグ連覇も成し遂げ、個人としてもスコットランドプロ選手協会が選ぶ最優秀選手賞、リーグベストイレブン、スコットランドサッカー記者協会年間最優秀選手賞とタイトルを総なめに。9得点12アシストと目覚ましい活躍で欧州リーグでは初の日本人MVP受賞者となる輝かしい1年となった。

 その後もセルティックでの地位は揺らがず、毎シーズンコンスタントに結果を残し続け、日本代表でも中心選手に君臨。2014年12月、5年ぶりに本拠地セルティック・パークを訪問した中村はレジェンドとして盛大に迎えられた。ピッチ上で行われたインタビューの際、2008年4月に宿敵レンジャーズから決めた強烈なゴールを最も印象に残ったゴールとして挙げると、スタンドに集まったファンからは大歓声が送られ、改めてその存在の大きさを知らしめたのであった。

●2006/07シーズン基本先発メンバー

▽GK
アルトゥール・ボルツ

▽DF
ポール・テルファー
ガリー・コールドウェル
スティーブン・マクマナス
リー・ネイラー

▽MF
トーマス・グラヴェセン
ニール・レノン
中村俊輔
エイデン・マクギーディ

▽FW
マツェイ・ジュラフスキ
ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンク

エスパニョール(09年夏〜10年2月)

【リーグ戦成績】
2009/10:13試合出場0得点

 古巣の横浜F・マリノスなどからもオファーを受けていたが、中村が新天地に選んだのはかねてより憧れていたスペインだった。しかし、待ち受けていたのは苦難の日々だ。

 全てが自分を中心に回っていたセルティック時代とは打って変わって、すでに戦術的なベースが整備されていたエスパニョールへの適応に苦しみ、出場時間を伸ばすことができず。ベンチスタートでもがく日々が続いた。

 エスパニョールはシーズン開幕前に主将のダニ・ハルケが突然の心臓発作でこの世を去り、絶対的エースストライカーだったラウール・タムードも負傷離脱やマウリシオ・ポチェッティーノ監督らとの確執を抱えて本領を発揮できず。そうした苦しいチーム状況も相まって、ワールドカップ1年前というリスクの大きなタイミングでの移籍は失敗に終わってしまった。

 最終的にスペインでの挑戦は約半年で終わりを迎え、2010年2月末に古巣マリノスへの復帰を決断する。

●2009/10シーズン基本先発メンバー

▽GK
カルロス・カメニ

▽DF
チカ
ニコラス・パレハ
ビクトル・ルイス
ダビド・ガルシア

▽MF
モイセス・ウルタード
ハビ・マルケス
ルイス・ガルシア
ジョアン・ベルドゥ
ホセ・マリア・カジェホン

▽FW
パブロ・オスバルド

横浜F・マリノス(10年〜16年)

【リーグ戦成績】
2010年:32試合出場5得点
2011年:24試合出場4得点
2012年:31試合出場6得点
2013年:33試合出場10得点
2014年:32試合出場3得点
2015年:19試合出場3得点
2016年:19試合出場4得点

 7年半ぶりのJリーグ復帰となった2010シーズンは、足首の負傷を抱えながらのプレーでパフォーマンスが上がりきらず。南アフリカワールドカップ直後の日本代表引退などもあったが、リーグ戦32試合に出場して5得点と存在感は示した。

 キャリアのハイライトと言えるのは2013シーズンだろう。終盤まで首位に立っていながら、ラスト2節で連敗を喫して9年ぶりのリーグ優勝を成し遂げることができなかった。J1最終節、アウェイで川崎フロンターレに敗れて優勝を逃し、地面に突っ伏す中村の姿はチームの心理を象徴するようだった。

 それでも2013シーズンは11月に胆のう炎での入院もありながら、Jリーグで初の二桁得点を達成するなど個人のパフォーマンスは充実しており、史上初となる2度目のJリーグ年間最優秀選手賞を獲得。2014年元日には天皇杯で優勝を飾った。

 2014年には背番号を「25」から「10」へと変更し、心機一転年間を通して主力としてマリノスを引っ張る。しかし、5年連続での主将を任されることになった2015年はシーズン開幕前に受けた足首の手術に始まり、肉離れなど度重なる故障に悩まされ、リーグ戦は19試合の出場にとどまった。

 それでも奪った3つのゴールは全て直接フリーキックで、かつガンバ大阪の東口順昭、浦和レッズの西川周作、ベガルタ仙台の六反勇治と3人の現役日本代表のGKが守るゴールを陥れ、世界最高峰のクオリティを誇る左足に衰えなしを印象づけた。

 徐々に提携するシティ・フットボール・グループの影響が大きくなるマリノスで、最後は居場所を失った。エリク・モンバエルツ監督就任2年目の2016シーズン、チームは1人の選手に頼らないサッカーにシフトチェンジを図り、その過程でキャプテンだった中村の地位も絶対的なものでなくなっていく。最終的には2016年を最後に、日本代表で共にプレーした名波浩が監督を務めるジュビロ磐田への移籍を選んだ。

●2013シーズンの基本先発メンバー

▽GK
榎本哲也

▽DF
小林祐三
栗原勇蔵
中澤佑二
ドゥトラ

▽MF
中町公祐
富澤清太郎
兵藤慎剛
中村俊輔
齋藤学

▽FW
マルキーニョス

ジュビロ磐田(17年〜19年夏)

【リーグ戦成績】
2017年:30試合出場5得点
2018年:16試合出場0得点
2019年:2試合出場0得点

 減俸提示を受け入れて加入したジュビロ磐田で、中村はトップ下として輝きを放つ。移籍後初ゴールはもちろん直接フリーキック。2017年4月に行われた清水エスパルスとの静岡ダービーでは3得点に絡む大活躍で勝利に貢献し、ファンの心も掴んだ。

 リーグ戦30試合に出場し、前年度は残留争いに巻き込まれていた磐田を6位に躍進させるなど中心選手として復活を印象付けた2017年。打って変わって2018年は長期離脱もあり、Jリーグでは自身初めてとなる無得点でシーズンを終えることとなった。期待されたほどのパフォーマンスが戻らず、出場機会は徐々に減っていった。

 そして2019年、J1最年長となる40歳で開幕を迎えるも、負傷の影響もあってほとんど出番なく、7月までのリーグ戦出場は2試合のみ。結局、状況が変わらない中で夏に横浜FCへの移籍を決断し、自身初めてのJ2へ活躍の場を求めた。

●2017シーズンの基本先発メンバー

▽GK
カミンスキー

▽DF
高橋祥平
大井健太郎
森下俊

▽MF
櫻内渚
川辺駿
ムサエフ
宮崎智彦
中村俊輔
アダイウトン

▽FW
川又堅碁

横浜FC(19年夏〜)

【リーグ戦成績】
2019年:10試合出場1得点

 初めてのJ2では、主に3列目のセントラルMFとして起用された。7月31日のJ2第25節・レノファ山口戦でJ2初出場を果たし、その後は負傷離脱した期間もありながら、J2リーグ戦で10試合に出場。ゴールは10月27日のJ1第38節・東京ヴェルディ戦で挙げた1つだけだったが、終盤5試合は先発出場で横浜FCのJ1自動昇格の原動力となった。

 昨季の横浜FCのトップ下にはレアンドロ・ドミンゲスが君臨し、シーズン終盤には育成組織出身の齋藤功佑も台頭。そうした中で、中村はピッチ上でのゲームメイクのみならず、若手選手たちを導くメンターとしての役割も期待されている。J1に戻ってきた2020シーズン開幕戦は、4-2-3-1のトップ下で先発出場。41歳のファンタジスタは限界を感じさせない卓越したテクニックとビジョンを披露した。

●2019シーズン終盤戦の基本先発メンバー

▽GK
南雄太

▽DF
北爪健吾
伊野波雅彦
カルフィン・ヨン・アピン
武田英二郎

▽MF
中村俊輔
佐藤謙介
中山克広
齋藤功佑
松尾佑介

▽FW
皆川佑介

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