日本代表はとにかく「変化」に弱い 「対応力」不足は選手でなくベンチの問題

メキシコ代表のFWロサーノと競り合うMF遠藤航【写真:Getty Images】

メキシコ代表のFWロサーノと競り合うMF遠藤航【写真:Getty Images】

【識者コラム】相手の「変化」に対する日本代表の弱さは今に始まったことではない

 欧州遠征の締めくくりとなるメキシコ戦は0-2、前半の日本代表はかなり良いプレーぶりで互角以上に戦えていた。ところが後半にメキシコがシステムを少し変え、左右のウイングを入れ替え、パスワークだけでなくドリブルも使い始めると、一方的に押し込まれる展開となり2失点した。

 過去の日本代表の試合を振り返っても、とにかく「変化」に弱い。

 ワールドカップ(W杯)には1998年大会から6回連続で出場しているが、まったく歯が立たなかった相手は2006年のブラジル(1-4)だけで、あとは勝ったり負けたり引き分けたりしていても基本的に接戦に持ち込めている。相手が事前の予想どおりなら、アルゼンチンやオランダでも0-1だった。

 一方、予想外の事態にはめっぽう弱く、相手が変化してきた試合は優勢だったのを簡単にひっくり返されている。

 記憶に新しいのは2018年のベルギー戦、相手が空中戦に集中してきたら2-0が2-3になった。2006年のオーストラリア戦もジョシュア・ケネディを入れて放り込んできたら1-0が1-3に。2014年もコートジボワールのディディエ・ドログバ投入で、1-0から1-2と逆転負け。

 森保一監督もそれを承知しているようで、就任以来「対応力」と言い続けているが、2019年アジアカップ決勝ではカタールの変則ビルドアップに戸惑い、前半に2失点して流れを持っていかれている。そしてメキシコ戦でも、変化に対応できず敗れたわけだ。

 森保監督はどうやら、「対応力」は選手が身に着けるものだと考えているようだ。

 イビチャ・オシム監督が率いていた頃、トレーニングマッチでは相手のシステム変化を頼んで指定していた。選手の対応力を試していたのだ。就任して最初のトリニダード・トバゴとの親善試合は、メンバーだけ発表してシステムを言わなかった。

 フィールド上の選手たちがフィールド上で解決する。それは理想かもしれない。2010年W杯のデンマーク戦では、相手のビルドアップ時の形状変化に戸惑ったが、遠藤保仁が対策を出して落ち着きを取り戻し3-1で勝利した。想定外に対応できた珍しいケースである。ただ、俯瞰の目を持つ遠藤でなければできない芸当で、遠藤の対策も後で見直してみると正解というわけでもなかった。

「正解かどうか分からなくても、やってみるしかない時がある」

 レアル・マドリードセルヒオ・ラモスがバルセロナ戦の前後半で作戦変更した時に、そう言っていた。明らかに状況が悪いなら、誰かが何かを決めなければいけないのだ。

日本の選手に「対応力」を求めるのはサッカーだけでは解決できない?

 しかし、日本の選手はどういうわけかこれが苦手である。

 決められた任務を遂行するのは得意だけれども、それで物事が上手くいかない時に変更ができない。おそらく根本的には、サッカーでは解決できない気もする。

 遠藤くらいの立場なら「こうするぞ」と言えるかもしれないが、そうでなければアイデアがあってもなかなか言い出せないかもしれない。周囲に忖度しての同調は得意でも、それを破壊してまで何かやるということが難しい。ヨーロッパと比較して「個が弱い」とよく言われるが、それよりも社会の許容範囲の差ではないかと思っている。

 例えば、ヨーロッパには髭を生やしている高校生がけっこういる。日本にも高校生が髭を生やしてはいけないという法律はないが、あまりそういう人はいない。ヨーロッパの高校生も個性が強いからそうしているのではなく、皆がやっているからそうしているだけだ。大きな違いは個そのものより、個に対する周囲の態度なのだ。髭を生やしても周囲が特に何も言わない。個の主張をするのに、日本ほど勇気が要らない。

 社会環境の違いがメンタルの違いに結びついていると仮定すると、これはもうサッカーの手には負えないと思う。選手に「対応力」を期待するのは無理筋ではないかと。

 だとすれば、「対応力」を発揮すべきなのは監督やスタッフのはずである。

 想定外を減らすべく、あらかじめ「引き出し」を用意すること。それでも想定外が出たら、選手に任せずベンチが対策を指示すること。正解かどうか分からなくても、それを決めなくてはいけないのは、むしろベンチだ。選手が解決してくれてもいいが、日本代表の場合、あまりそれは期待しないほうがいい。(西部謙司 / Kenji Nishibe)

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