現役引退→社長兼GM…なぜ元日本代表MF細貝萌はザスパ群馬での異色のセカンドキャリアへ挑むのか?
J2のザスパ群馬でプレーした今シーズン限りで現役を引退し、来シーズンからはJ3へ降格する群馬の代表取締役社長兼GMに就任すると発表されていた元日本代表のMF細貝萌(38)が12日、群馬・前橋市内のクラブハウスで記者会見に臨み、異色のセカンドキャリアへ臨む経緯と決意を語った。クラブ側へ引退を報告した直後の10月上旬に打診を受けた細貝は、経営手腕に対して向けられる懐疑的な視線も覚悟しながら、自身が生まれ育った愛着深い群馬県のプロクラブを、ピッチの内外で変えていくと力を込めた。
「大きな責任をもってベストを尽くす」
必死に涙をこらえ、何度も声を途切れさせた細貝が一変した。
5月に開業した群馬の練習拠点、GCCザスパーク内のクラブハウスで2部に分けられて実施された記者会見。引退するまでの経緯や心境を涙ながらに明かした第1部とは対照的に、赤堀洋代表取締役社長(55)も登壇した第2部で、細貝は群馬のトップに立つ来シーズン以降への決意と覚悟を力強く言葉に変換し続けた。
来年2月1日付で社長代行兼GMに就任。同4月の株主総会での承認をへて、正式に代表取締役社長兼GMに就任すると11日に発表されていた細貝は「来シーズンをJ3で戦う状況は、もう変えられません」と現状を受け入れたうえでこう語っている。
「これ(社長)を引き受ける自分が大きな責任をもって、チームがいい方向に進んでいけるように、ひとつひとつをしっかりと乗り越えながらベストを尽くしていきたい」
J2リーグにおいてすべて途中出場で3試合、プレー時間の合計もわずか18分間にとどまっていった今シーズンの半ばに、家族に現役引退を告げた。昨シーズンも7試合の出場に終わっていた細貝は、決断を下したときの心境をこう明かす。
「20年間サッカーをやってきて、これだけ試合に絡めないのはルーキーイヤーを含めてもなかなかなかった。この2シーズンで、選手としてチームに貢献できていない状況を考えると『そろそろなのかな』という思いが自分のなかにずっとあった。かといって、違うクラブでサッカーを続ける選択肢も自分は持ちあわせていなかったので」
群馬県前橋市で生まれ育ち、名門・前橋育英高から2005年に浦和レッズへ加入。レーバークーゼンやヘルタ・ベルリンなど独ブンデスリーガ1部の強豪、柏レイソル、タイのバンコク・ユナイテッドなどでプレーし、2021年9月に群馬へ加入していた細貝を巡る状況が、クラブへ引退を報告した直後の10月上旬に激変した。
社長兼GMとして、9月末の段階ですでにJ3への降格が決まっていた最下位の群馬を根本的に変えてほしい。自らは代表取締役会長となり、二人三脚で改革に取り組んでいきたいと打診してきた赤堀社長の言葉に、細貝は胸躍る思いを抑えきれなかった。
選手のセカンドキャリアとして、まず思い浮かぶのが指導者となる。
「ただ、僕自身は指導者に対して、それほど興味を抱いていない状況だったので」
こう語った細貝は、実際に日本サッカー協会(JFA)が発行する、公認指導者ライセンスを何ひとつ取得していなかった。かといって解説者などもいまひとつピンとこないなかで、経営者の道に進む選択肢を「すごくうれしかった」と振り返る。
「僕がこのクラブをすごく好きだからこそうれしかったし、光栄に感じました。群馬県前橋市で生まれ育った僕が、ザスパ群馬でプレーできて、さらに県全体のサッカーが成長していかなければいけないと思っていたなかで、このクラブで新しい仕事に携わっていける。責任ある立場で群馬をよくしたい、という思いで引き受けました」
選手からクラブ経営のトップに進むケースは、決して珍しくはない。現時点ではセレッソ大阪の森島寛晃氏(52)と湘南ベルマーレの坂本紘司氏(45)が代表取締役社長を務めているが、ともに引退から10年近い時間をへての就任だった。
現役引退から即、代表取締役社長に就任したケースとして、2022年の年末から務めるJ2レノファ山口の渡部博文社長(37)がいる。ただ、渡部氏は山口移籍後の2021年に、就学児を対象とした放課後等デイサービス事業を行う「株式会社ESPORTES」を山口県防府市内に設立し、いま現在も代表取締役社長を務めている。
細貝はGMも兼任する点で森島氏、坂本氏、そして渡部氏よりも異彩を放ち、さらに日本代表で30試合に出場し、ヨーロッパとアジアの計8クラブでプレーしたキャリアも加わる。細貝に社長兼GM就任を託した理由を、赤堀社長はこう語る。
「群馬県前橋市の出身であり、最後は群馬へ帰ってきて現役を終えたキャリアもあり、名実ともにザスパ再生の象徴として、群馬サッカー界のシンボルにもっともふさわしい人物である細貝さんに、社長になっていただくのが最良の判断だと思いました」
とはいえ、選手と経営者とでは日々向き合う仕事をはじめとして、すべてが異なる。細貝も「やはりいろいろな目もあると思います」と、自身の手腕に対して懐疑的な視線を向けられる状況を織り込んだうえでこう続けた。
「いままで20年間も選手だったので、本当にお前にできるのか、と思われるケースはたくさんあると思っています。もちろん群馬が好きだからとか、情熱はあると言うだけではなく、自分がここにいる意味をより明確にして仕事に臨んでいきたい。
たとえばドイツのレーバークーゼンやヘルタ・ベルリンといった規模の大きいクラブでの経験を、少しでもこの群馬に落とし込みながらより拡大させていく。こうした長期的な形で、クラブをいい方向に導いていけるように努力していきたい」
来年以降は赤堀会長が事業戦略や管理部門、JリーグやJFAとの連携を担い、細貝新社長がトップチーム強化やアカデミー全般のフットボール戦略、営業やイベントを含めたホームタウン活動と役割を分担し、状況によってはクロスオーバーさせていく。
特にGMも兼ねる細貝の仕事は、退任した武藤覚監督(48)の後任選定をはじめ、来シーズンのJ3リーグを勝ち抜き、1年でJ2復帰を果たす陣容作りを早急に進めていかなければいけない。経営と編成のトップに立つ心構えを、細貝はこう語っている。
「お互いをリスペクトし合って進んでいきたい。一方通行ではなく、それでいて仲良くやっていこう、というわけでもない。意見があればお互い言い合いながら、人と人がしっかりと接するなかでクラブをよくしていきたい。もちろん僕自身も、わからない件に関してはすすんで学んでいく姿勢を忘れないようにしていきたい」
体制が変わっても、2030年までに売上高を最新の数字となる2023年度の約7億9000万円から20億円に伸ばし、悲願のJ1昇格を果たす中期目標は変わらない。来年2月1日の社長代行兼GM、そして同4月の代表取締役社長兼GMへの就任を待たずに、38歳の青年社長はユニフォームを背広に変えて全力で走り出そうとしている。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
11/13 06:40
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