インドリーグの日本人サッカー選手、久保木優は「ACLでJと戦いたい」。

入団会見で何ともインド的な? 格好の久保木優。この地でACLを本気で狙っている。 photograph by Minerva Punjab FC

 真っ赤なターバンに、刀を抜いたユニホーム姿の青年――。ピッチの前には、ヒンドゥー教のチャンディー女神を模した、摩訶不思議な彫り物が不規則に並ぶ。これはインドの大道芸人の写真、ではなく、ある日本人サッカー選手の入団会見の様子である。

 デリーからバスで北上することおよそ6時間。建築家ル・コルビュジエの作品が多く残ることで知られるチャンディーガルにホームタウンを置く、ミネルウァ・パンジャーブに今年入団したのが久保木優だ。競技人口が1億5千万人を超えるといわれるほどクリケットが盛んなインドにおいて、サッカー界の常識は全く通じない、と久保木は笑う。

「練習場には牛が溢れていますし、試合も銃撃戦で中止になりました。観客がヒートアップすると、試合中にバナナが投げ込まれるんです。日々が驚きの連続で、食事はもちろん毎日カレー(笑)。一方で、クリケットに迫る勢いでサッカー熱も上がってきていると感じる。社会と同じく混沌として、面白い市場ですよ」

アジア育ちのストライカー。

 クラブから与えられた背番号は「10」。入団会見の様子は現地メディアでも紹介され、開幕戦前のカップ戦では自らのゴールで、チームにタイトルをもたらした。タイ、オーストラリア、インドを渡り歩いた久保木は、自身のことを冗談交じりに、「日本ではなく“アジア育ち”のストライカー」と形容する。

 昨季のIリーグチャンピオンチームで、未踏のルートからACL出場を目指す29歳のストライカーの軌跡を追った。

 久保木と初めて会ったのは、5年前に遡る。雨季を迎えジメジメとした気候が続く、タイ・バンコクの喫茶店だった。

 ヴェルディユースを経て、国士舘大学を卒業した久保木は、日本でプロになれず異国で足掻いていた。やっとの思いで契約にこぎつけたタイ3部のクラブでは突如契約打ち切りという“アジアの洗礼”を浴び、飛び込みで各チームのテストを受ける日々。給料は物価の安いタイでギリギリの暮らしができる程度で、貯蓄も底をつきかけていた。

サッカー選手を絶対諦めない。

 当時すでに24歳で、しかも前十字靭帯断裂という選手生命にかかわる怪我を負っていた青年である。サッカーを諦めて新たな人生を歩んでも不思議ではなかった。知人からも「帰国して普通に就職しろ」と諭された。それでも、久保木は頑なにフットボーラーとして生きることにこだわっていた。

「どんなに厳しくても、サッカー選手であることを絶対に諦めたくないんです。周りを見返してやる、と。日本で何もなし得てない人間が、タイでもダメなら一生浮上できないと、自分に言い聞かせています。根拠のない自信と意地が僕の支えです」

 アジアの雑踏の中に埋もれそうになりながらも、必死に“しがみつく”かのような意思を感じさせる言葉が強く印象に残った。そんな久保木の執念は、結果的に実ることになる。入団テストで結果を残し、'13年にタイ3部に当たるリーグのカスタムズ・ユナイテッドと契約。タイの地で、プロ生活をスタートさせた。

「この国で成り上がってやる」

 そんな想いを胸に、異国の地で躍動を見せることになる。

点だけは取れるタイプだった。

 '13年には8得点、'15年シーズンには19得点でリーグ得点王に輝き、年間ベストイレブンにも選出された。'16年にも11得点を挙げ、タイ・プレミアリーグ(1部)への昇格チャンスを得るまでに存在感を放った。アジアの下部リーグとはいえ、これだけコンスタントに得点を奪える日本人は、海外全体を見渡しても決して多くはない。特に日本でノンプロだったことを踏まえると、タイで非凡な得点感覚を開花させたといえるだろう。

 168cmと小柄な久保木は、タイやオーストラリア、インドといったフィジカル重視の国では大きなハンデを背負うことになる。事実、体格を理由に契約に至らなかったケースもあったという。

「自分が技術的には決して高くない選手ということは自覚しているんです。ただ、日本にいた頃から点だけは取っていた。身長や環境、年齢のせいにされたくなかったので、結果を残せば上を目指せる海外の考えは自分にはマッチしたんだと思います。試合の中で得点を重ねることで、『あ、これ入るな』という得点感覚が研ぎすまされていったんです」

日本人が少ないリーグでこそ。

 遅咲きのストライカーには、27歳にして独特の嗅覚が芽生えつつあった。翌シーズンには、オーストラリア2部へと拠点を移す。入団テストでハットトリックを挙げ、即契約を勝ち取ることになるなど、自身の経験をピッチ上で表現する術も身に着けていた。オーストラリアでもシーズンを通して12得点を挙げ、確かな爪痕を残している。

 今年はウズベキスタンリーグへの参入も試みたが、契約には至らずに成長著しいインドへの移籍を選んだ。B級コメディ映画のような出来事が日常茶飯事のインド生活だが、アジアで培ってきた適応力をすでに見せ始めている。ここなら誰よりも輝けるという手応えがある、と久保木は力を込める。

「日本人が少ないリーグというのが、今の僕のチーム探しの条件です。だって、そこで活躍したら単純に気持ちいい。タイでも、オーストラリアでも、点を取ればファンに愛されるというのが何よりプロとして嬉しかったので。(同じインドの別組織)スーパーリーグほどの注目度はないですが、劇的に変わりつつあるこの国で、サッカーを通してインドでいちばん有名な日本人を目指したいというのも目標の1つです」

なんと5社のスポンサーが。

 '14年のスーパーリーグ開幕から、アレッサンドロ・デル・ピエロダヴィド・トレゼゲが参戦し、翌年にはロベルト・カルロス、ディエゴ・フォルランも所属するなど、往年の名手たちの存在でクローズアップされたインドサッカー。

 だがスーパーリーグと違い、久保木が籍を置くIリーグの知名度はまだまだ低い。それでも、ネロカには遊佐克美、モフン・バガンには木脇悠太と2名の日本人が所属し、今後海外移籍を目指す日本人選手の受け皿となる可能性も秘めている。

 私が久保木に惹かれたのは、単純にサッカー選手としてというよりも、その人間性に起因するところが大きい。

 久保木は、ピッチ外で自身を表現することに秀でている。現在、彼には衣装提供などを含めると5社のスポンサーがついている。選手としての実績を考えると、これは特筆すべき数字だろう。

 メインスポンサーの『外房の家』の代表には初対面に近い状態ながら、「あなたのように夢に挑戦する若者を応援したい」とすぐに契約に至ったという。クリスティアン・ヴィエリパオロ・マルディーニもかかわっているイタリアのカジュアルブランド『SY32』の場合は人づてを辿って担当者に会い、熱意を伝えて物品提供を受けるなど、自身の行動力で道を切り開いてきた。

「ありがたいことに、僕のような選手を応援してくださる方に恵まれていて。僕はスポンサーさんという言い方はせず、“パートナー”という認識です。自分の熱意とやりたいこと、できることを相手に伝え、真摯に関係性を築いてきたという自負はあります」

サッカーで食べていくために。

 自身のHPとSNS上にはインドでの生活を届ける4コマ漫画を掲載し、個人の擬似株式を発行し売買する『VALU』のサービスも利用するなど、活動の幅は広がり続けている。

 今年の春には、自身と同じように海外に拠点を置く選手を集め、サッカー教室を開催した。企画書作りから、スポンサー集め、営業や会場のブッキングに至るまで全て自身で企画し、開催にこぎつけている。引退後の生活に苦労し、無気力になるサッカー選手も少なくないなか、久保木の感覚は稀有とさえいえるだろう。

「サッカーもピッチ外の活動も、自分の意思で好きなことをやっているだけです。僕自身に何か形にする能力があるとは思いませんが、人に恵まれ、周りを巻き込んで面白いことをやるのが楽しいんです。

『いろいろやって大変だね』と言われることもありますが、サッカー選手として24歳までどこからも契約してもらえなかったことに比べれば、それ以上に苦しいことはない(笑)。僕のようにJリーガーでもエリートでもない選手でも、サッカーで食べていける、ということを多くの人に伝えたいんです」

「101%の頑張りと粘りで」

 10月28日のIリーグ開幕戦は怪我でベンチを外れたが、プレシーズンマッチでは9試合9得点を挙げ、チームの得点源としての位置を確固たるものにした。アフリカからの助っ人が開幕前に既に何人もチームを去った中、久保木への期待値は高まっている。

「僕のように日本で見向きもされなかった経歴の選手が、30歳を目前にしてACLに出るってすごく面白いじゃないですか。アジアの舞台でJのクラブと対戦できたら、と考えただけでワクワクします。下手だけど、101%の頑張りと粘りで点だけは取る。そんな日本人がチームをACLへと導くという物語を、自分自身が一番楽しみにしているのかもしれません」

 取材の最後に、現実的にACL出場できる可能性は、と久保木に問うと「うまく噛み合えばですが、最後は僕次第かなと」とおどけてみせた。その口調はどこかふてぶてしく、逞しかった。

(「海外サッカーPRESS」栗田シメイ = 文 / photograph by Minerva Punjab FC)

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