「サッカーは非人間的、機械的に」トルシエが語ったロシアW杯前と後。

ロシアW杯でのVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)の画面。この制度の導入により、二度と“神の手”は出現しなくなるだろう。 photograph by Takuya Sugiyama

 フランスの2度目の優勝で幕を閉じたロシア・ワールドカップを、フィリップ・トルシエはどう総括したのか――。

 ジャンニ・インファンティーノFIFA会長が「史上最高」と自画自賛し、実際、プレーのクオリティ(も決して悪かったわけではないが)を除けば確かに間違いなく最高であった大会を、トルシエはどう見ているのだろうか。

 大会直前から始まったイビチャ・オシムフィリップ・トルシエというふたりの短期集中連載を終えるにあたり、多少時間は空いたがトルシエの電話インタビューをここにお届けする。

監修:田村修一

「違い」を超えて世界が1つに。

――ロシア・ワールドカップにどんな印象を抱きましたか?

「ワールドカップはサッカーの祭典であり、多くの国の集いでもある。世界のあちこちで問題や紛争が起こっている今日の状況を考慮すれば、とてもクリーンな大会であったといえる。

 人々が喜びを感じていたのが良く分かった。彼らがにこやかに抱擁しあっているシーン、感動を分かち合っているシーンをずっと目にすることができた。行き届いたセキュリティーのもと心から喜びを満喫していた。

 そうなったのは参加した人々のすべてが、最後まで自分たちの国旗とユニフォームに誇りを持ち続けたからだ。それぞれの特色とアイデンティティを誇示し、そのイメージが世界中に分け隔てなく伝えられた。そこには『違い』という名の統一感があった。

 感じたのは人間としての一体感であり、世界がひとつになったという実感だ。すべてが異なっていても、人は互いに抱擁できる。それがこのワールドカップで私が受けた人間的な側面からの印象だ」

――組織・運営も素晴らしかったです。

「とても良く組織され、多くの国々がサッカーを競い合うために集まった。最大の目標は優勝することであり、ひとつでも上に進むことだ。そのためには効率的でなければならないし、何よりも勝たねばならない。

 そこで見られたのは、拮抗した試合の数々だった」

「恐らく唯一のサプライズは日本」

「延長戦やPK戦、4年ごとに起こるサプライズ……。ドイツやスペイン、アルゼンチンといった優勝候補が敗れるサプライズ。ただ、それは、ワールドカップという大会の定番でもある。今回に限ったことではなく、昔からずっと起こり続けてきたことだ。

 しかし今回に関しては、小国の起こすサプライズがなかった」

――2年前のEUROで、アイスランドやウェールズが起こしたサプライズですね。

「恐らく唯一のサプライズが日本だった。

 というのも日本は、抽選のポット4の中からグループリーグを突破した唯ひとつのチームであるからだ。ポーランドとコロンビア、セネガルと同じグループに入った日本は突破の有力候補ではなかったが、ベスト8に進んでいてもおかしくはなかった。

 それを除けばすべてが理屈通りに進んだワールドカップであったといえる。有力国が勝ち進み、スペインやドイツ、アルゼンチン、とりわけブラジルなど大国の敗退はあったが、他は強い国々が勝ちあがった」

ベルギーもクロアチアもこの優勝を認めない!?

「試合もまた素晴らしかった。幾つかのチームは不運だったとは言えないし、幾つかのチームが幸運だったとも言えない。そうではなくて、ピッチ上のロジックが常に順守された。敗れ去ったチームは運が悪かったからではない。

 恐らくベルギーは、フランスは勝利に値しなかったというかも知れない。クロアチアも同じことをいうかも知れない。

 彼らの言い分もわかるが、客観的に見て勝利に値しなかったチームはひとつもなかった。それがPK戦の結果であれ、スキャンダラスな勝利はひとつとしてなく、どれもロジカルな勝利だった」

「ビデオ判定でなければ絶対に笛は無かった」

――ビデオ判定が結果に影響を与えたと言えますか?

「影響はあった。

 オーストラリア戦でフランスがPKを得られたかどうかは誰にもわからなかった。あのPKがなかったら引き分けに終わっていただろう。

 クロアチア戦のPKもそうだ。ワールドカップの決勝で、ビデオ判定でなければ笛は絶対に吹かれなかった。つまりビデオがサッカーを多少なりともロジカルにしたと言える。

 これまでサッカーは非ロジカルなスポーツだと言われ続けてきた。サッカーでは1+1がときに3になると。『誤審』がその主な原因だったが、そこがこの大会では合理的になった。試合結果も合理的になり、1+1は常に2になったわけだ」

サッカーは非人間的、機械的になった。

「だが他方でサッカーの人間的な側面を排除したのも事実だ。レフリーの判定を議論するのもサッカーの一部であるからだ。その点でサッカーはより非人間的かつ機械的になったといえる。

 しかしあらゆる疑念を排除して、より明快になったのも間違いない。合理的な結果に到達することで、ロジカルな勝者をビデオが生み出した。

 判定へのフラストレーションは常に存在したが今は違う。ビデオが示す結果に議論の余地はない。疑念や批判を挟む余地はなくなった。

 だから今、批判されるのはデシャンの哲学であり、フランスのプレースタイルだ。それはサッカーそのものへの批判であり、監督に対する批判であり、選手交代やプレー哲学への批判だ。

 判定がより正確になることで、結果に対する監督の責任がより重くなったといえる」

ムバッペに比肩するのはロナウドのみ。

――この大会は、メッシ、ロナウドの2人がベスト16で姿を消し、ひとつの時代の終わりを感じさせました。新しいスターとしてムバッペが脚光を浴びましたが、他に彼ほどの選手がいるわけではなく、世代交代の端境期と言えるのでしょうか?

「ムバッペの最大の資質は並はずれたフィジカルにある。個の強さ、力強さとスピード、テクニックを彼は最大限に生かしている。その点でロナウドに少し似ている。

 今現在、ムバッペにとって代われる選手は存在しないが、ただひとりその可能性があるのはロナウドだ。ロナウドこそは自分ひとりの力だけで違いを作り出すことができるからだ。

 他の選手では……ネイマールもふたりの系譜に並べられるかもしれない。どこのチームにもある武器ではない。フランスとブラジル、ポルトガルだけが、どんな守備をもいつでも崩せる武器を持っている」

統一されたメンタルの力こそ最強。

――ネイマールのブラジルやロナウドのポルトガルに比べ、デシャンはムバッペをより効果的に起用したといえるのでしょうか?

「ロナウドは悪くなかったかも知れない。グループリーグの彼は卓越していた。ムバッペはフランスの若手選手のイメージを体現していた。デシャンが構築したのは若いチームだった。

 彼は統一感のあるグループを作りあげた。コレクティブな力とはスペインのような連動性のあるプレーのシステムであるといわれるが、フランスの場合は統一されたメンタルの力だった。ひとつになったグループの力だ」

フランス優勝の原動力は技術面ではない。

「それはこの大会期間中に見いだされることとなった。選手たちは決して負けない力を持つグループを築いた。ポグバのようなリーダーのもとで。ポグバも大会を通じてグループの本物のリーダーになった。

 彼らはどの試合でも前に進むことを願い、個の力をすべてチームのために捧げた。そのメッセージは常にデシャンから発せられた。『われわれの力はコレクティブさであり、全員がひとつになることだ。全員で攻めて全員で守る。勝つのも負けるのも全員一緒だ』と。試合ごとにメッセージの重みは増し、連帯感も強まっていった。

 つまりフランスは、サッカー哲学の面からコレクティブに優れたプレーを実践したわけではないということだ。むしろ、チームの統一感や連帯感、勝利への意志、野心など、サッカーの技術というよりもっと精神的な面で驚くほどにコレクティブだったということだ。そうして、連帯してひとつになったことこそがフランス優勝の原動力だった。

 ムバッペもそのグループの力に守られたが、ネイマールは違った。彼はグループに守られなかった。ロナウドも違った。

 メンタル面でのコレクティブな力は、ブラジルもポルトガルもフランスのレベルには達しなかったからだ」

このW杯の象徴は「セットプレー」。

――最後の質問です。プレーの面ではこの大会は何も新しいものはありませんでしたか?

「セットプレーがこのワールドカップを象徴していた。セットプレーを語るのは技術的な動作を語ることであり、正確性と超論理性について語ることだ。

 今日ではどの国も万端に準備を整えて大会に臨む。技術や守備組織などに差はない。そんな状況で、違いを作り出せる唯一の技術的な動作がセットプレーだ。以前からセットプレーは重要だったが、この大会ではその比重がさらに高まった。

 フランスは、オーストラリア戦もペルー戦もベルギー戦もクロアチア戦も、セットプレーで状況を打開した。

 いかに相手のセットプレーに対処するか。次のステップとしてどうすれば相手にセットプレーを与えずに済むか。それができればサプライズも起こせるし試合にも勝てる。

 サッカーの進化に関して、このワールドカップから何か言えるとしたらそういうことだ」

――わかりました。メルシー、フィリップ。

(「ワインとシエスタとフットボールと」田村修一 = 文 / photograph by Takuya Sugiyama)

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