数々のスターを輩出...ドラフト4位入団から大成した名選手5人。歴代屈指の最強打者たち

産経新聞社

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 10月20日に迫った2022年のプロ野球ドラフト会議。プロ入り時から大きな注目を集め、期待通りの活躍を見せる選手もいるが、指名順位に関係なく大成する選手もいる。ここでは、ドラフト4位入団からトッププレイヤーとなった打者5人を紹介する。

 

 

前田智徳

・出身地:熊本県
・投打:右投左打
・身長/体重:176㎝/80㎏
・生年月日:1971年6月6日
・ドラフト:1989年ドラフト4位
 
 「孤高の天才」と呼ばれた前田智徳は、ドラフト4位指名での入団だった。
 
 熊本工から1989年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。高卒2年目にレギュラーへ定着すると、打率.271の好成績を残した。また、同年にはゴールデングラブ賞を獲得。翌1992年は打率.308、19本塁打、89打点の活躍で、ベストナインにも輝いた。
 
 順調なキャリアを描いていたが、1995年に右アキレス腱断裂、2000年には左アキレスを痛めるなど大ケガとの戦いを強いられる。しかし、その度に不屈の精神で復活を成し遂げ、2002年はカムバック賞を受賞。2005年には全試合出場し、打率.319、自己最高の32本塁打を放った。天才的なバッティングで安打を積み重ね、2007年には通算2000安打を達成した。
 

 
 晩年は代打の切り札としても活躍。現役24年間でベストナイン、ゴールデングラブをそれぞれ4回受賞、通算打率は.302を誇っている。

金本知憲

・出身地:広島県
・投打:右投左打
・身長/体重:180㎝/88㎏
・生年月日:1968年4月3日
・ドラフト:1991年ドラフト4位
 
 金本知憲は、1492試合連続フルイニング出場の世界記録を作り、“鉄人”の愛称で親しまれた。
 
 東北福祉大から1991年ドラフト4位で広島東洋カープから指名を受け、プロ入り。即戦力として期待されていたが、ルーキーイヤーは5試合の出場に留まり、翌年も結果を残すことができなかった。
 
 しかし、プロ3年目となる1994年シーズン後半からレギュラーに定着すると、翌1995年は初めて規定打席に到達。打率.274、24本塁打の好成績を残し、ベストナインに輝いた。その後は球界を代表する打者へと成長し、1999年からはフルイニング出場を継続。2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁をマークして史上7人目のトリプルスリーを達成した
 

 
 2002年オフには、国内フリーエージェント(FA)権を行使して阪神タイガースへ移籍。移籍初年度から18年ぶりリーグ優勝の立役者となった。2004年には打率.317、34本塁打、113打点で初の打撃タイトルとなる打点王を戴冠。2006年には連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立し、2010年まで更新を続けた。21年間の現役生活を送り、大卒最多となる歴代7位の2539安打、同10位の476本塁打を放つなど記録にも記憶にも残る名選手へと駆け上がった。

中村紀洋

・出身地:大阪府
・投打:右投右打
・身長/体重:180㎝/93㎏
・生年月日:1973年7月24日
・ドラフト:1991年ドラフト4位
 
 中村紀洋は、通算404本塁打を誇るスラッガーだ。
 
 渋谷高では4番打者としてチームを牽引し、激戦区の大阪府大会を勝ち抜いて、同校初の甲子園出場の立役者に。1991年ドラフト会議で近鉄バファローズから4位指名を受け、プロ入りを果たした。高卒1年目から一軍デビューを飾ると、同4年目の1995年に三塁のレギュラーへ定着。同年は打率.228ながら20本塁打を放った。
 
 2000年には打率.277、39本塁打、110打点をマークし、本塁打と打点の二冠に輝いた。翌2001年は打率.320、46本塁打、132打点、出塁率.434とさらに成績を伸ばし、2年連続の打点王と最高出塁率のタイトルを獲得。「いてまえ打線」を牽引し、リーグ優勝の原動力となった。
 

 
 2004年オフにはメジャー挑戦を決断し、ロサンゼルス・ドジャース入り。その後はオリックス・バファローズ、中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、横浜DeNAベイスターズと渡り歩き、各球団で存在感を発揮した。DeNAに所属した2013年には、日米通算2000安打を達成。NPBではベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回を受賞するなど攻守ともに実績を上げていた。

和田一浩

・出身地:岐阜県
・投打:右投右打
・身長/体重:182㎝/90㎏
・生年月日:1972年6月19日
・ドラフト:1996年ドラフト4位
 
 和田一浩は、社会人を経てプロ入りし、2000安打を達成した遅咲きの好打者だ。
 
 和田は、神戸製鋼から1996年ドラフト4位で西武ライオンズに入団。強肩強打の捕手として期待されていたが、当時のチームでは伊東勤が不動の正捕手を務めていたこともあり、出場機会は限られた。
 
 しかし、打力を生かすため外野手や指名打者(DH)での起用が増えると、外野手に専念した2002年には、30歳で初めて規定打席に到達。打率.319、33本塁打、81打点の好成績を残し、ベストナインに選出された。さらに、2005年には打率.322、153安打、27本塁打をマークし、首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。
 

 
 2008年オフには国内フリーエージェント(FA)権を行使し、中日ドラゴンズへ移籍。セ・リーグでも持ち前の打棒を存分に発揮した。2010年には打率.339、37本塁打、93打点、出塁率.437をマーク。リーグ優勝の原動力となり、最高出塁率のタイトルに加え、最優秀選手(MVP)に輝いた。2015年には史上最年長となる42歳11ヶ月で通算2000安打を達成。同年限りで現役生活の幕を下ろした。

イチロー

・出身地:愛知県
・投打:右投左打
・身長/体重:180㎝/79㎏
・生年月日:1973年10月22日
・ドラフト:1991年ドラフト4位
 
 数々の記録を打ち立てたスーパースターも、ドラフト4位でのプロ入りだった。
 
 愛工大名電高時代は、投手としても活躍。3年夏の愛知県大会では打率7割以上を記録するなど県内では有名選手となり、注目を集めていた。迎えたドラフト会議では、オリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)から指名を受けた。
 
 高卒1年目の1992年から一軍デビューを果たすと、「イチロー」に登録名を変更した1994年に打率.385、当時のNPBシーズン記録となる210安打を放ち、最優秀選手(MVP)に輝いた。翌1995年には打率.342、179安打、25本塁打、80打点、49盗塁、出塁率.432をマークし、首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率の打撃5冠を獲得。2年連続のMVPにも選出され、チームをリーグ優勝へ導いた。その後も圧倒的な成績を残し続け、2001年からメジャーリーグに挑戦した。
 

 
 MLBでも移籍初年度から打率.350、両リーグ最多の242安打、56盗塁の成績で首位打者を獲得し、MVPと新人王にも輝く鮮烈デビュー。シーズン最多安打記録(262本)の樹立や、10年連続「3割200安打」&ゴールドグラブ賞受賞など数々の伝説を残した。現役28年間で積み上げた日米通算4367安打は、世界記録となっている。

 

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