圧倒的すぎる...大差で個人タイトルに輝いた選手5人。村上宗隆も遜色ない独走ぶりに

産経新聞社

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 東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆の“令和初”となる三冠王が現実味を帯びてきた。中でも本塁打・打点部門は独走状態で、タイトルをほぼ手中に収めている。ここでは、過去に圧倒的な差をつけて個人タイトルを受賞した5人を紹介する。

 

 

中村剛也(2011年本塁打王:23本差)

投打:右投右打
身長/体重:175cm/102kg
生年月日:1983年8月15日
経歴:大阪桐蔭高
ドラフト:2001年ドラフト2巡目
 
 西武一筋で、現在も活躍を続ける中村剛也。これまでに最多本塁打のタイトルを6回獲得するなど、数々のアーチを描く強打者である。
 
 特に中村の凄さが際立ったのは、やはり2011年ではないだろうか。同年は統一球の導入により成績を落とす打者が続出。パ・リーグ防御率の上位10人が2点台に収まるなど、まさに投高打低のシーズンだった。
 
 しかし2011年の中村は、統一球の影響を微塵も感じさせないバッティングを見せ、キャリアハイに並ぶ48本塁打を放ったのだ。2位の松田宣浩(ソフトバンク)とは半数近い23本の差をつけてタイトルを獲得。 なお、同年のロッテはチーム本塁打数が46本。中村1人の本数に及ばないという珍しい事象も起こった。
 

 
 また、2013年に統一球の反発係数が変更されて物議を醸した際、中村は報道によると「芯で当たればボールは飛ぶ」とコメントしたという。この打撃技術があるからこそ、通算450本以上の本塁打を放つスラッガーとなったのだろう。

イチロー(2000年首位打者:5分5厘差)

投打:右投左打
身長/体重:180cm/71kg
生年月日:1973年10月22日
経歴:愛工大名電高
ドラフト:1991年ドラフト4位
 
 日米で幾度となく打率3割超を記録し、通算4367安打 を放った安打製造機・イチロー。凄さを語ればキリがないほど、圧倒的な成績を残し続けた。
 
 オリックスでは、プロ3年目の1994年は打率.385、210安打をマークして一気にブレイク。同年から7年連続打率3割を記録した。
 
 そして、日本球界最終年となった2000年、イチローはキャリアハイの打率.387 という異次元の成績。シーズン記録にも2厘差まで迫った。同年の打率2位は、シャーマン・オバンドー(当時・日本ハム)の.332。 実に5分5厘差で7年連続となる首位打者を獲得し、翌年からメジャーリーグに活躍の場を移した。
 

 
 同年のイチローは、出塁率.460で5度目の最高出塁率を戴冠。敬遠数(16個)も6年連続でリーグ最多を誇り、名実ともに最強打者として君臨していた。

内川聖一(2008年首位打者:3分1厘差)

投打:右投右打
身長/体重:184cm/92kg
生年月日:1982年8月4日
経歴:大分工
ドラフト:2000年ドラフト1位
 
 現在はヤクルトに所属する内川聖一は、横浜、そしてソフトバンクでも活躍した好打者だ。卓越した打撃技術を誇り、2018年には通算2000本安打を達成している。
 
 横浜時代の内川は、入団後7年間で規定打席に到達した経験はなし。原因不明の体調不良や視力の低下などにも苦しむ時期もあった。
 
 内川がブレイクを果たしたのは、チームが最下位に終わった2008年。3、4月に月間打率.422と打ちまくると、その後も打率4割を維持する期間が続いた。シーズンを通して好調を維持し、最終的に右打者の歴代最高となる打率.378をマーク。2位の青木宣親(ヤクルト)も打率.347の好成績を残したが、内川が独走で首位打者に輝いた。
 

 
 また、同年は最多安打(189安打)と最高出塁率(.416)のタイトルも戴冠。持ち前の打棒を爆発させ、驚異的なシーズンを過ごした。

タイロン・ウッズ(2006年打点王:30打点差)

投打:右投右打
身長/体重:185cm/102kg
生年月日:1969年8月19日
経歴:エルナンド高-米マイナー-韓国・OB-韓国・斗山
 
 「強竜打線」の4番に座り、相手投手に計り知れない威圧感を与えたタイロン・ウッズ。広角にホームランを打ち続け、黄金期の中日を支えた助っ人打者である。
 
 2003、04年は横浜に在籍し、2年連続で本塁打王(40本、45本)を獲得した。しかし、04年オフに契約がまとまらず退団すると2005年から中日でプレー。本拠地が広いナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)に変わったものの、2005年は38本塁打と持ち前のパワーを発揮する。
 
 そして、チームがリーグ優勝を果たした2006年、「本塁打が多い割には打点が少ない」と言われることもあったウッズだったが、同年は打率.310、47本塁打、144打点をマークし、本塁打王と打点王を獲得、特に打点部門では、2位の村田修一(当時・横浜)が114打点だったため、30の差をつけた。
 

 
 ウッズの凄さを象徴した試合が、リーグ優勝を決めた2006年10月10日の巨人戦。東京ドームの半分以上がド中日ファンで埋まる中、ウッズは3ランとグランドスラムで1試合7打点を記録。ホームベースを一周した後、落合博満監督と抱擁する場面は名シーンとして知られている。

赤星憲広(2004年盗塁王:25個差)

投打:右投左打
身長/体重:170cm/66kg
生年月日:1976年4月10日
経歴:大府高-亜細亜大-JR東日本
ドラフト:2000年ドラフト4位
 
 球界屈指の俊足を武器に、9年間で381の盗塁を積み重ねた赤星憲広。「レッドスター」のの愛称でファンからも親しまれた。
 
 赤星はJR東日本から阪神に入団し、ルーキーイヤーから中堅のレギュラーに定着。打率.292、39盗塁の成績でいきなり盗塁王に輝き、新人王にも選出された。ただ、同年は12盗塁刺もリーグ最多となっていた。翌2002年は26盗塁に留まるも、2003年からは3年連続60盗塁以上を記録。塁に出ればとにかく走る、その積極的な姿勢でも見るものを魅了した。
 
 特に2004年は、自己最多の64盗塁をマーク。盗塁成功率も.842と傑出していた。足の速さと走塁技術の高さは、球界随一を誇った。
 

 
 同年のセ・リーグ盗塁ランキング2位は、荒木雅博(当時・中日)の39盗塁。25個の大差をつけ、盗塁王を獲得した。また、パ・リーグ盗塁王は、川崎宗則(当時・ダイエー)が記録した42。赤星は、両リーグの中でも断トツに走りまくった。

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