これぞ魔球…フォークを武器に活躍した最強投手5人|レジェンド編【変化球-球種別最強投手】

産経新聞社

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 さまざまな変化球の種類が増えている現在でも、フォークを武器に活躍する選手は数多くいる。すでに引退した選手の中にも、凄まじいフォークを操った投手の活躍はプロ野球ファンの印象に残っているはずだ。そこで今回は、フォークを武器に活躍した最強投手5人について、すでに現役を引退した選手に絞って紹介する。

 

 

佐々木主浩


出身:宮城県
投打:右投右打
身長/体重:190cm/98kg
生年月日:1968年2月22日
ドラフト:1989年ドラフト1位
 
 「ハマの大魔神」の愛称で守護神に君臨し、相手バッターに絶望を与えた佐々木主浩。数々の強打者を相手に、ストレートと4種類の軌道を描くフォークを武器に立ち向かった。
 
 東北高校から東北福祉大学に進学した佐々木は、大学時代にフォークを習得する。大学時代は怪我などもありながら、横浜(当時は大洋ホエールズ)からドラフト1位指名を受けた。東北福祉大学からドラフト1位で指名を受けたのは、佐々木が初めてだった。
 
 1年目の1990年は抑えではなく先発として、16試合に登板し2勝4敗。1991年も投手は先発だったが、当時抑えを務めていた遠藤一彦が故障によって離脱すると、佐々木がリリーフに配置転換された。すると、フォークを武器に活躍して17セーブを記録。
 

 
 1992年からストッパーの座を掴んだ佐々木は、1995年に32セーブ、防御率1.75と飛躍を見せた。そして、1998年は45セーブ、防御率0.64で優勝に貢献。56投球回で78の三振を奪うなど、絶対的守護神の座を掴む。カウント球として、または決め球として、佐々木のフォークは数々のバッターを苦しめた。

村田兆治


出身:広島県
投打:右投右打
身長/体重:181cm/78kg
生年月日:1949年11月27日
ドラフト:1967年ドラフト1位
 
 「マサカリ投法」でプロ通算215勝、33セーブを挙げた村田兆治も、フォークを武器に活躍した選手の1人だ。
 
 広島県の福山電波工業高校(現:近畿大学附属広島高校・福山校)からドラフト1位でロッテ(当時は東京オリオンズ)に入団した村田は、1年目こそ3試合の登板に終わったが、2年目には37試合に登板して6勝。当時からストレートの球威は一級品と言われており、フォークも駆使して活躍を見せた。
 
 4年目の1971年に初めて2桁勝利(12勝)を記録してブレイクすると、フォークの精度がさらに高まって1974年にも12勝を挙げる。そして1976年は21勝、防御率1.82というキャリアハイの数字を叩き出し、18完投を記録するなど先発完投型のエースとして大活躍した。
 

 
 1981年の日米野球では、得意のフォークでメジャーリーグの打者から三振を奪い、まさに「伝家の宝刀」と言えるフォークを投げていた村田。右ヒジの手術から復帰して引退した1990年も10勝を挙げるなど、最後の最後まで腕を振り続けた大投手だった。

野茂英雄


出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:185cm/89kg
生年月日:1968年8月31日
ドラフト:1989年ドラフト1位
 
 トルネード投法で一躍注目を浴び、メジャーリーグでも活躍した野茂英雄。ストレートとフォークの2つの球種だけで活躍した、まさに異例の投手と言えるだろう。
 
 社会人の新日鉄堺から近鉄にドラフト1位で入団すると、1年目から18勝を記録する活躍を見せる。この年は最優秀防御率や最多勝利に加えて、フォークを武器に最多奪三振のタイトルも獲得した。その後、1995年に海を渡ってメジャーリーグに挑戦。
 
 ドジャースに入団した野茂は、1995年〜97年で3年連続の2桁勝利を達成した。1995年は236の三振を奪い、メジャーの世界でも最多奪三振のタイトルを獲得し、ファンに強烈なインパクトを与えた。その後もさまざまな球団で活躍し、ノーヒットノーラン2回、日米通算201勝、3122の奪三振を記録する。
 

 
 野茂が投げるフォークはリリースポイントが高く、ストレートもフォークも同じ軌道だったことから、数多くの打者が苦しんだと言われた。

杉下茂


出身:東京都
投打:右投右打
身長/体重:182cm/71kg
生年月日:1925年9月17日
 
 今でこそフォークは一般的に投げられている球種だが、日本で最初にフォークを投げ始めた選手が杉下茂である。「フォークボールの神様」と呼ばれ、後のプロ野球発展に大きな影響を与えた選手だ。
 
 社会人野球のいすゞ自動車から明治大学に進んだ杉下は、後に中日ドラゴンズの監督となる天知俊一からフォークを伝授された。詳しい握り方や投げ方も知らない中で、はじめはバッターに投げられるボールではなかったものの、練習を重ねて習得したという。そして1951年、メジャーリーグの3Aのキャンプに派遣された杉下は、打撃練習でフォークを投げる。すると、杉下本人が驚くほどボールが直角に落ちたのだ。
 
 見事にフォークをものにした杉下だが、試合で投げることは多くなかった。フォークを投げると、味方の野手から「自分たちにも野球をやらせろ」などと言われたことが理由とされている。また、杉下自身が真っ直ぐ勝負にこだわりがあったことも、理由として挙げられるだろう。
 

 
 4年目の1952年には32勝をマークするなど、実働13年で215勝を記録した杉下。沢村賞を3回獲得した実績、そしてフォークを生み出した元祖として、今後も永遠に語り継がれる存在となるはずだ。

野田浩司


出身:熊本県
投打:右投右打
身長/体重:186cm/82kg
生年月日:1968年2月9日
ドラフト:1987年ドラフト1位
 
 現役投手では千賀のフォークが「お化けフォーク」と呼ばれているが、元祖お化けフォークと呼ばれたのが野田浩司のフォークだった。そのお化けっぷりは、1995年にヤクルトの監督を務めていた野村克也が認めたほど。
 
 熊本県の多良木高校(現在は閉校)から、社会人では九州産交(現在は廃部)に所属。その後、ドラフト1位で阪神タイガースに入団したものの、1年目は防御率3.98ながら3勝13敗と大きく負け越した。しかし、阪神在籍3年目には11勝を記録すると、1993年にトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。
 
 野田はオリックスへの移籍1年目に17勝を記録しただけでなく、209の三振を奪うなど瞬く間にブレイクを果たす。また、3年連続で200以上の奪三振を記録したほか、1995年の4月には千葉マリンスタジアムで1試合19奪三振という偉業を成し遂げた。
 

 
 2022年に佐々木朗希が並ぶまで、1試合19奪三振の記録は野田が単独1位となっていた。完全試合を成し遂げた佐々木でもタイ記録という部分に、野田の凄さが垣間見えるだろう。

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