あと少しで三冠王だった…僅差で三冠王を逃した選手5人。村上宗隆は逃げ切れるか?

産経新聞社

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 東京ヤクルトスワローズの4番として、驚異的な活躍を見せている村上宗隆。本塁打、打点部門のタイトルはほぼ“当確”で、打率でも大きくリードしており、いよいよ三冠王を獲得する可能性が高まってきた。平成で三冠王を獲得したのは、ダイエー・ソフトバンクで活躍した松中信彦のみ。一方で、あと少しで三冠王を狙えた選手も数人存在した。そこで今回は、惜しくも三冠王を逃した5人を紹介する。

 

 

イチロー(本塁打:3本差)


出身:愛知県
投打:右投左打
身長/体重:180cm/71kg
生年月日:1973年10月22日
ドラフト:1991年ドラフト4位
 
 稀代のヒットメーカーとして、日米通算4367安打を記録した天才打者、イチロー。首位打者のタイトルはオリックスに在籍した1994年から7年連続で獲得したが、三冠王を狙えるシーズンもあった。
 
 イチローが三冠王を獲得できるチャンスがあったのは、1995年のシーズンだ。前年に打率.385という異次元の成績を残したイチローは、95年も変わらずヒットを量産。さらに、この年は長打力も発揮し、シーズンで25本塁打を記録した。
 
 打率.342は、2位の堀幸一(千葉ロッテ)が記録した.309を大きく引き離し、首位打者を獲得する。打点80は初芝清(千葉ロッテ)、田中幸雄(日本ハム)と並んだため、3人が打点王に。しかし、本塁打は小久保裕紀(ダイエー)が28本を記録し、イチローは3本届かなかった。
 

 
 なお、この年のイチローは49個の盗塁を決めて盗塁王、179安打で最多安打、出塁率.432で最高出塁率のタイトルを獲得。三冠王こそ逃したものの、首位打者と打点王を含めて「五冠」となり、シーズンMVPも獲得する歴史的なシーズンとなった。

松井秀喜


出身:石川県
投打:右投左打
身長/体重:186cm/95kg
生年月日:1974年6月12日
ドラフト:1992年ドラフト1位
 
 読売ジャイアンツの4番を長く務めた松井秀喜も、三冠王を獲得できるチャンスがあった選手の1人だ。
 
 2002年、巨人で過ごしたシーズン最終年の松井は、打撃3部門の全てがキャリアハイに近い成績だった。当時のプロ野球で史上8人目となる50本塁打を放ち、打点は108。同年の全選手の中で唯一の50本塁打、唯一の100打点超えを記録し2冠は間違いなかったが、首位打者争いは最後まで激しさを増していた。
 
 最後まで松井と首位打者を争ったのは、中日ドラゴンズの福留孝介。松井は最後まで試合に出続けた一方、当時中日の監督を務めた山田久志は、タイトルのために福留を欠場させた。福留は欠場の打診を断っていたというが、最終的には山田の考えが尊重され、福留が首位打者(.343)に輝いた。松井は.334で惜しくも三冠王を逃す。
 

 
 1998年、2000年に続いて惜しくも三冠王を逃した松井は「三冠王に最も近い男」と呼ばれることもあったが、2003年からはメジャーリーグに移籍。日本で三冠王に輝くことはできなかったものの、ニューヨーク・ヤンキースでは日本人初のワールドシリーズのMVPを獲得。日本でもメジャーでも輝かしい姿を見せ続けた。

アレックス・ラミレス


出身:ベネズエラ
投打:右投右打
身長/体重:180cm/100kg
生年月日:1974年10月3日
ドラフト:-
 
 ヤクルト・ジャイアンツ・ベイスターズの3球団で足掛け13年プレーし、外国人選手として初めてNPB通算2000安打を達成したアレックス・ラミレス。打点王や本塁打王のタイトルを獲得した経験があるラミレスは、2003年に三冠王を獲得できるチャンスがあった。
 
 2001年と2002年の本塁打数は30本に到達しなかったものの、2003年は40本塁打を放つ。タイロン・ウッズ(当時は横浜)と同数ではあるが本塁打王に輝き、打点124も1位で打点王となった。
 
 また、2003年は打率.333で、十分に三冠王を狙える数字を残す。しかし、ラミレスの首位打者を阻んだのが阪神の今岡誠(現:今岡真訪)だった。2002年に打率.317でブレークした今岡は、2003年に1番で起用されると打率.340をマーク。自身初の首位打者となり、ラミレスの三冠王は未遂となる。
 

 
 とはいえ、2010年にはジャイアンツで再び本塁打王と打点王を獲得。同年はキャリアハイの49本塁打を記録し、強力ジャイアンツ打線の中心として活躍した。

阿部慎之助


出身:千葉県
投打:右投左打
身長/体重:180cm/97kg
生年月日:1979年3月20日
ドラフト:2000年ドラフト1位
 
 中央大学からジャイアンツに入団し、1年目から正捕手の座を掴んだ阿部慎之助は、まさに「打てる捕手」を体現した存在だった。
 
 1年目から2桁本塁打(13本)を放った阿部は、4年目の2004年に規定打席に到達して初の打率3割(.301)を達成。通算で2132の安打を重ねた阿部は、2012年に異次元の活躍を見せた。
 
 統一球の導入によって数多くの打者が成績を落とす中、阿部は2012年にキャリアハイの打率.340を記録する。2位の坂本勇人(ジャイアンツ)が打率.311だったため、圧倒的な差をつけて首位打者を獲得。さらに、打点はセ・リーグとパ・リーグ全打者で唯一の100打点超え。打点王も見事に獲得した。
 

 
 残すは本塁打王だけだったが、2011年に本塁打王となったバレンティンが阿部の前に立ちはだかった。2012年のバレンティンは出場試合数こそ106試合に留まるも、2年連続で31本塁打を記録(規定未到達)。阿部は27本塁打に終わったため、4本差で三冠王を逃した。

松中信彦


出身:熊本県
投打:左投左打
身長/体重:183cm/97kg
生年月日:1973年12月26日
ドラフト:1996年ドラフト2位
 
 2004年、平成唯一の三冠王に輝いた松中信彦。だが、2004年に加えて2005年も、松中は三冠王の獲得に近い活躍を見せた。
 
 2004年は打率.358・44本塁打・120打点で三冠王に。続く2005年は46本塁打・121打点を記録し、残るは打率の勝負となった。2年連続の三冠王という偉業達成を待ち望んだファンもいる中、この年の首位打者を獲得したのは西武の和田一浩。打率.322を残した和田は、.315の松中を7厘上回って自身初の首位打者に輝いた。
 
 2004年と2005年の2年間で計90本の本塁打を放った松中だが、翌年以降は2008年の25本塁打が最高成績。1シーズンで30本を超えることはなかったものの、プロ通算で352本塁打、1767安打を記録した。
 

 
 幾度となくさまざまな選手が三冠王に近い活躍を見せながら、2004年の松中以降は三冠王の獲得者が出ていない。2022年の村上は松中と同じ「左の強打者」として、松中に続く三冠王になれるのだろうか。

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