「盗塁禁止」議論のウラにある"子どもの野球離れ"

子どもの野球環境に大きな変化が起こっている(筆者撮影)

「『少年野球は盗塁禁止に』という声が出る背景事情」は大きな反響をいただいた。小学野球で、盗塁を乱用したワンサイドゲームが横行する背景には、実は深刻な問題が横たわっている。さらに深掘りしてみよう。

「僕らが子どものころは、近所の子どもと野球遊びをする段階があってから野球チームに入ったけど、今はそういうのがなくていきなりマジな野球だからちょっとかわいそうだね」

6年ほど前、高知で学童野球を見ていたときに、隣にいた新聞記者がこうつぶやいた。

彼の子どももその学童野球チームにいたのだが、筆者はこの言葉がずっと耳の底に残っていた。後で合点がいったが、この言葉は今の少年野球の実情を象徴していたのだ。

日本野球が「つなぐ、走る」を重視するワケ

「日本野球と盗塁」の関係は思いのほか古く、深い。野球がお雇いアメリカ人教師によって第一大学区第一番中学(後の東京大)にもたらされたのは1872年だとされる。

ごく初期の日本野球の目標は「打倒、在留外国人チーム」だった。横浜に駐留する外国チームに勝つことが悲願だったのだ。しかし体格で劣る日本人は、当初は投打に圧倒された。旧制第一高等学校はバントや盗塁などの小技を多用し、在留外国人チームに対抗した。それ以降、日本野球は「小よく大を制す」を理想とし、そのための「つなぐ、走る」は重要な戦術となった。

大正時代になって中等学校野球大会(現在の高校野球)が始まって、野球人気は全国的なものになったが、彼らの野球も同様だった。出塁した選手をバントで送ったり、盗塁したりして得点に結びつけ、その得点をエースを中心に守り切るのが「日本野球」であり、ホームランを狙うなどのスタンドプレーは好ましいとはみなされなかった。

少年野球も1918年に京都で発明された「軟式球」を契機として盛んになった。あまり飛ばず体に当たっても安全な軟式球の発明で、少年野球は全国に普及した。甲子園大会を主催した朝日新聞、毎日新聞にならって全国の地方新聞が高等小学校(今の小学5年から中学2年に相当)やその下の尋常小学校の軟式野球大会を創設し、全国大会も開催した。

このころの小学校野球大会は、公認野球規則にのっとり「盗塁あり」だった。中等学校や大学の選手、指導者が指導に当たったこともあり、当時の高等小学校の野球も「つなぐ、走る」野球が主流だった。

写真はイメージ(筆者撮影)

広島県呉市は野球どころとして有名だが、昭和初期、呉市中心部の二河小学校に藤村富美男、隣の五番町小学校に鶴岡一人という有望選手が登場した。

藤村も鶴岡も全国大会に出場し、活躍の模様は地元新聞に大きく報じられた。2人はプロでもライバルとなり、ともに野球殿堂入りする大野球人になるが、小学校の野球熱も、甲子園に負けず劣らず盛んだった。

ただ、当時の小学野球は誰もが楽しめるものではなかった。野球チームに入って大人たちの指導を受けることができるのは、体が大きく、運動能力が高い一部の子に限られた。レベルは高く、小学校であっても捕手が盗塁を刺すことが可能で「盗塁」をめぐる駆け引きは重要な戦術となっていた。

一方で、戦前は「草野球」「野球ごっこ」のようなものは、あまり普及しなかった。野球用具やボールは高価だったため、だれもが気楽に手にすることができるものではなかったのだ。

戦後の空き地での「野球ごっこ」

敗戦後、日本を占領したアメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)は「野球」を占領政策の柱の一つにした。民政を担当したGHQの経済科学局長だったマーカット少将がアマチュア野球選手だったこともあり、プロ野球を早々に再開させるとともに、少年たちに野球を奨励した。その流れで、「赤バットの川上(哲治)、青バットの大下(弘)」が少年たちのヒーローになったのだ。

子どもたちは空襲で焼け野原になった空き地に集まり、木切れのバットで、紙や布を丸めたボールを打つ「野球ごっこ」を始めた。当初はユニホームもなく、グローブやミットもそろわなかったが、子どもたちは夢中で野球に興じた。

藤子不二雄の漫画を読めばわかるように、戦後の子どもたちは放課後に近所の空き地で「野球ごっこ」をするのが日常だった。極端に言えば「男の子の遊び」と言えば「野球」だったのだ。

戦後盛んになったこうした「野球ごっこ」は、戦前からあった小学野球、中等学校野球とは別の世界だった。子どもたちは指導者に従うのではなく、自分たちでルールを決めた。人数がそろわないと「三角ベース」にすることもあったし、「透明ランナー」を設定したりした。また盗塁阻止は小さな子では難しいので「盗塁禁止ルール」も適宜導入された。

一方で、戦前の野球の流れをくむ小学校の野球は、スポーツ少年団の「学童野球」として戦後も存続した。さらに、1950年代にアメリカからリトルリーグももたらされた。リトルリーグは一回り小さい硬式球を使用し、大人のサイズより小さなダイヤモンドで行われる。また投手がボールをリリースするまで離塁できず、実質的に盗塁禁止だった。

写真はイメージ(筆者撮影)

リトルリーグがなぜ「盗塁禁止」だったのか? 公益財団法人日本リトルリーグ野球協会に問い合わせると、以下のように回答があった。

「リトルリーグは1939年に(アメリカで)始まりました。子どもたちが野球を楽しみ、親しめるようにダイヤモンドを小さくしたわけで、塁間が近くなったために盗塁の阻止が難しくなったことが禁止の理由の一つ。

さらに、走者ばかりに気を取られ思うように投球ができなくなること、その結果、野球が嫌いになるような子どもがでないようにすることも理由です。また、投げて打つ、という野球本来の楽しさを体感することで、野球を好きになる子どもを増やすことも目的です。

効果については、投手が打者に集中できます。リトルリーグ年代(主に7歳~12歳)の子どもたちには打者と走者の両方に気を配ることは難しく、野球を楽しむことができなくなる。そのようなハードルを取り払い、のびのびと楽しい野球にする、ということから禁止のルールを採用しています」

「盗塁あり」の小学校硬式野球リーグ誕生

1970年代に入って、日本発の小中学生を対象にした硬式野球リーグが誕生した。「日本少年野球連盟」いわゆるボーイズリーグだ。

実質的な創設者は、前出の大野球人、鶴岡一人だ。鶴岡は1967年にリトル・ホークスを創設しリトルリーグに加盟した。リトル・ホークスは1968、1969年と全国大会で、2年連続決勝まで進んだが、盗塁がないなどのリトルのルールを飽き足らなく思い、盗塁ありの独自の少年野球リーグを創設したのだ。自身の戦前の少年野球体験に根差していたと思われる。本部は鶴岡が長年監督を務めた南海ホークスの本拠地、大阪球場に置かれた。

ボーイズに続いてリトルシニア、ヤングリーグなど「盗塁あり」の小学校硬式野球リーグも誕生した。こうした少年硬式野球には、少年世代のエリート層が集い、プロ野球選手を数多く輩出するようになる。

ざっくり言えば、昭和後期には、小学生が野球をしようと思えば、「野球ごっこ」「学童野球」「リトルリーグ」「ボーイズなどの硬式野球」と4つの選択肢があった。

この時期、夜のゴールデンタイムではどこかの民放局で「巨人戦のナイター」が放送されていた。朝、登校した男子の最大の話題は「昨日、ひいきのチームが勝ったか、負けたか」だった。

多くの男の子はまず「野球ごっこ」で野球の楽しさを知り、自らの能力や親の理解、経済力などによって「学童」「リトル」「ボーイズ」へと進んだ。「野球ごっこ」をした子どもの実数はわからないが、それを含めれば小学生の野球の競技人口は非常に多かったのは間違いない。

「野球離れ」で競技人口が減少

プロ野球がナショナルパスタイムであった時代は、21世紀初頭まで続いたが、Jリーグの台頭や、他のスポーツの選択肢の増加などによって、野球人気はこのころから急速にしぼみ始めた。プロ野球中継がキラーコンテンツではなくなり、地上波から「ナイター中継」がほとんど姿を消した。小学生の男の子が翌朝、教室で「昨日のナイターの結果」を口にすることもなくなった。

同時期に「公園でのボール遊びの禁止」が全国に広がり、「野球ごっこ」はほぼ絶滅した。「野球離れ」の進展によって、「学童野球」の競技人口も激減した。さらに「リトル」「ボーイズ」などの競技人口も減少した。

写真はイメージ(筆者撮影)

そんな状況になったために、親が子どもに野球をさせようと思うと、どんなレベルの子であっても最初からユニホームを着て、本格的に野球をするチームに入れざるをえなくなったのだ。

冒頭に紹介した新聞記者の「僕らが子どものころは、近所の子どもと野球遊びをする段階があってから野球チームに入ったけど、今はそういうのがなくていきなりマジな野球だからちょっとかわいそうだね」は、こういう状況を物語っているのだ。

今の学童野球の大会では、野球の基本動作がまだできていない低学年の子どもまでかき集められたようなチームも試合に出てくる。そういうチームが本格的な指導をしている強豪チームと対戦するケースも増えているのだ。

強豪チームの指導者の多くはいまだに「勝つことがすべて」という価値観を持っているから、弱小チームを蹴散らすために盗塁を乱用する。強いチームはそのほうが楽だろうが、弱小チームはみじめな敗戦を繰り返す。今の少年野球に見られる「盗塁乱用のワンサイドゲーム」は、子ども世代の野球人口の激減を背景として進行しているのだ。

少年野球も含めた軟式野球を統括する、全日本軟式野球連盟(全軟連)の宗像豊巳前専務理事は、昨年1月、野球競技人口の減少などの事態を打開するため、学童野球の球数制限など改革案を打ち出した。その中には、「盗塁数規制(1試合3~5回)、パスボールでの進塁なし」という項目があった。「走り放題」の現状に、全軟連としても危機感を抱いたのだろうか。

全軟連「野球障害予防と指導者養成の両面から議論」

コロナ禍によって、小学校の全国大会である「高円宮賜杯・全日本学童軟式野球大会」が1年延期になるなど、軟式野球も大きな影響を受けた。改めて全軟連に問い合わせをしたところ、以下の回答があった。

「現在、本連盟医科学委員会において、選手の肘肩障害を中心とした野球障害予防の観点でルール改正の検証を行っており、その項目の一つとして、『盗塁制限』も含んでおります。最終的な改正に係る結論にはもう少々時間を要しますが、本連盟では、野球障害予防と指導者養成の両面から学童野球の健全化について、議論を進めておりますので具体的な見解については、検証結果により判断をすることとしております」

もし全軟連が「盗塁禁止」の通達をすれば、公式戦はその方向で行われることになるが、それ以外の試合で指導者がこれを順守するかどうかはわからない。しかし、すべての小学生に「野球の楽しさ」を実感してもらうためには、現実に即した改革は必須のことだろう。

コロナ禍を経て、野球だけでなくスポーツ界は大きく変わらざるをえないが、大人たちの賢明な判断を期待したい。

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