軽度の知的障害ある「支援学校」球児の物語…3年夏は1打席で終了、大敗で涙も「手加減なしの競争で自信がつきました」

[スポーツのかたち]…編集委員 田中富士雄

 初めてキッチンに立った日の記憶は、いつの間にか輪郭を失っていた。「忘れちゃいました。前から料理は好きでしたし」。東京都立 青鳥せいちょう 特別支援学校(世田谷区)3年生の白子悠樹君は「得意なのは卵焼き」と鼻をうごめかす。「いろいろアレンジできるのが面白い。ときどき失敗するけど、それも楽しい」。一方で人生に新しい味を加えたり、不本意な結果に発奮したりと、誰にでも許されるはずの「挑戦」はいつも消化不良で終わっていた。

 憧れの高校球児として白球を握り、駆け回る日々に身を置くまでは――。

1年生に送球のアドバイスをする白子君(右)

「過剰に守られ嫌でした」

 軽度の知的障害があり、足や手の筋肉が徐々に 萎縮いしゅく していく難病も患っている。保育園児だった当時のプロ野球観戦で野球に心を奪われ、何度も球場へ足を運び、中学校で野球部入りを希望。しかし、安全面の不安を理由に許可されなかった。「過剰に守られ、甘やかされているようで嫌でした。何かやろうとしたら『危ない』。少しぐらいのケガなんて何ともないのに」

 2022年に青鳥校へ進むと、所属した「球技部」が23年から「ベースボール部」になり、久保田 浩司ひろし 監督の尽力で、同年5月に都高校野球連盟への加盟を果たす。メンバーが足りず、夏の西東京大会は3校連合チームで出場。今年は6人の新入部員を迎え、計12人の単独チーム結成を実現した。2度目の西東京大会は7月7日。試合前、主将に指名されていた白子君の覚悟を試すような“事件”が起きた。

主将なのに「ねえじゃん。俺の名前……」

 先発メンバー表を監督から渡され、相手校との交換に向かった主将が紙に視線を移して立ち止まる。「ねえじゃん。俺の名前……」。それは小さなつぶやきだった。練習試合で右翼手を任され「楽しみで眠れない」夜を過ごしてきたのに、本番は交代要員。明らかに落胆した歩みで集合場所にたどり着き、先攻と後攻を選ぶジャンケンに負けた。

夏の西東京大会敗戦後、主将の白子悠樹君(左から3人目)の号令で観客席にあいさつする青鳥特別支援学校の選手たち(7月7日、スリーボンドスタジアム八王子で)

 久保田監督にとっては断腸の思いで下した決断だった。実を言うと、都高野連への加盟申請に踏み切らせてくれたのは白子君。「迷っていたとき、彼が新しいグラブを持っていたんです。とても高価なグラブ。小遣いをはたいて買ったそうで『だって、野球やりたいっす』と言う。『何を迷っているんだ。それでも指導者か』と頭を殴られた感じでした」。先発の入れ替えは「(難病で)うまく走れず、打球が素早く追えない。右翼に飛んだボールが全てフェンスまで行ってしまう。『試合に勝とう』と呼び掛けてスタートしたチームです。こちらも最善を尽くさなければ、かえって申し訳ないと思いました」。

「だって俺、キャプテンですから」

 メンバー表交換からの帰路、白子君は一歩一歩を踏みしめながら考えた。「やっぱ悔しい」「でも、監督が決めたことだし」。「いや、俺以外に(先発で)出られないヤツもいる。愚痴はダメだ」――。やがて意を決したように歩幅を広げ、観客席に腰掛けていた久保田監督の元へ戻ると、屈託のない笑顔で告げた。「ジャンケン、負けちゃいました。だから『弱いです』って言ったじゃないっすか」。堂々とした振る舞いの理由は何か。こっそり尋ねた筆者に、十数分前よりちょっぴり大人びた顔で「だって俺、キャプテンですから」と心中を明かした。

部活動引退後、秋季東京都大会1次予選に臨む後輩へバックネット裏から声援を送った白子君

 いざ、プレーボール。背番号「9」はベンチやコーチスボックスで間断なく声を張り上げ、五回の代打起用で三振に倒れ、試合は0―66(五回コールド)で大敗を喫した。タオルで汗を拭っていると、突然、視界がぼやけた。白子君は「後で考えても、わけが分かんないんです。何で泣けてきたのか」と振り返る。「スタメン外れて悔しかったし、試合で勝てなかったのは、もっと悔しかった。それ以上に、全員で野球がやれてホントに楽しかったし」

 涙は止まらない。

 「ボコボコにされて『勝負は厳しい』と思ったけど、手加減なしの競争は気持ちよくて……。俺、すごくうれしかったんです。自分のやりたいことが、やれた。うまくいかない日もあったけど、最後までやり切れた。自信がつきました」

 使い古された表現が許されるなら、白子君、その複雑に入り混じった涙の味が「青春」というヤツだ。

 有上真理副校長が証言する。「白子さんが試合の翌日、下校時の見送りをしていた私の前に直立して『あんなに暑い中、応援に来てくれてありがとうございました』と頭を下げたんです。人前に出るのが苦手な生徒でしたから、彼の成長には本当に驚きました」。やはり、青鳥校ベースボール部の挑戦は間違っていなかったと言っていい。

もう初対面でも平気

 3年生が抜け、新チームは7月10日に10人で始動。部活動引退後も練習に参加してきた白子君は、9月7日の秋季都大会1次予選にも同行した。裏方として道具運搬などを担い、バックネット裏で声援を送り、またしても0―66(五回コールド)だった試合を見届けて「いやあ、(後輩も)まだまだっすね」と苦笑い。卒業後も野球は続けると決めており、入団するチームを物色しているという。

 進路は飲食業界への就職を希望しており、現在は接客などの修業中。「昔は初対面の人が怖く、お父さんの後ろに隠れていました。今は平気です」。生きていくのは甘くないけれど、求める味わいは苦みやしょっぱさも足すことで成り立つと心得ている。大好きな野球が、そう教えてくれた。

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