DeNA・山﨑康晃が“最遅記録”達成…プロ入り後、初先発まで遠い道のりだった「投手列伝」


 通算250セーブ目前のDeNAの守護神・山﨑康晃が7月27日の巨人戦で、NPB史上最遅の通算531試合目で初先発のマウンドに立った。この日先発予定だった平良拳太郎が腰の違和感を訴えたため、代役となり、オープナーとしてプロ10年目の初先発が実現したもの。2回を2安打1失点で敗戦投手になるという結果に、「先発の難しさを痛感し、悔しさで一杯です」とコメントした。山﨑同様、初先発まで長い道のりだった投手たちを紹介する。

 冒頭で紹介した山﨑に更新されるまで最遅記録だったのが、ソフトバンク時代の森唯斗(現DeNA)だ。

 2018年に37セーブで最多セーブ投手に輝くなど、同年から3年連続30セーブ以上をマークした“鉄腕”も、21年に左肘を痛めてからは出番が減り、翌22年シーズン中、オフの千賀滉大の海外FA宣言を視野に入れた先発転向プランが持ち上がった。

 9月13日の西武戦で8年ぶりに3イニングのロングリリーフを務めるなど、翌年の先発転向を見据えた調整登板が続くなか、同16日の楽天戦で、先発予定だった奥村政稔の右肘負傷により、急きょ代役先発。通算461試合目の最遅記録となった。

 この試合で、森は3回2死から9人目の打者・太田光に左越えソロを許すまでパーフェクトに抑え、3回を2安打1失点でチームの勝利に貢献。「最初はちょっと緊張したけど、すごく楽しい時間だった。欲を言えば無失点で終えたかったですが、試合を作ることができて良かったです」と大きな手応えを掴んだ。

 だが、2度目の先発となった9月29日の楽天戦は、岡島豪郎に2ランを浴びるなど、2回途中3失点でKOされた。

 本格的に先発に転向した昨季は、4月27日の楽天戦で6回を4安打6奪三振の無失点に抑え、NPB史上最遅の465試合目で先発初勝利を挙げたものの、登板6試合(いずれも先発)で2勝3敗、防御率4.60に終わり、シーズン後に戦力外通告を受けた。

 DeNAに移籍した今季は、6月7日の古巣・ソフトバンク戦でシーズン初先発も、3回途中5失点KO。7月6日の阪神戦では6回途中2失点と試合を作りながら、先発2敗目を喫した。

 山﨑に自身の最遅記録を更新された7月27日の巨人戦では、くしくも山﨑降板後の3回から2番手としてリリーフ。先発を続けるか、再びリリーフに活路を見出すか、今後の成り行きが注目される。

◆阿部慎之助の“希望”で実現した初先発

 前出の森に破られるまで3年近くにわたって最遅記録を保持したのが、長く巨人のリリーフエースを務めたスコット・マシソンだ。

 山﨑、森のいずれも当初先発予定だった投手のアクシデントにより、急きょ初先発のマウンドに上がったのに対し、マシソンの場合は、長年バッテリーを組んだ捕手・阿部慎之助のたっての希望で、来日8年目の公式戦初先発が実現した。

 2012年に来日したマシソンは、13年に40ホールド、16年に41ホールドで、2度にわたって最優秀中継ぎ投手に輝くなど、外国人では史上最多の通算174ホールドを記録したが、18年は8月に左膝を手術、11月には感染症のエーリキア症に罹患と試練が相次ぐ。

 闘病とリハビリの末、翌19年6月6日の楽天戦で315日ぶりの登板をはたすも、同年は9月23日のヤクルト戦まで27試合に登板し、2勝2敗1セーブ8ホールド、防御率4.37と思うような結果を出せなかった。

 そんななか、9月27日の本拠地最終戦、DeNA戦で、同年限りで現役引退する阿部が「たくさん優勝しましたし、僕の首に激痛が走ったときも(投手は)マシソンでした。マシソンの剛速球を(打者が)ファウルチップしたのを食らって、そういう(捕手を離れる)運命になったので……」と“最後に球を受けてみたい投手に”指名。初回の1イニング限定ながら、通算421試合目での初先発が実現した(それ以前はオリックス時代の田村勤と西武時代のマイケル中村の『287』が史上最遅)。

 「阿部さんがいなければ、8年間も日本でできなかった」と感謝の思いを胸に先発のマウンドに上がったマシソンは、1イニングを1安打2奪三振の無失点に抑えると、「この試合に投げられて素直にうれしい。今、一番投げたい投手に指名してもらい感動した。初めて投げたときのようなドキドキした感覚です。阿部さんには感謝しているし、8年間チームメイトとして一緒にプレーできて光栄でした」とコメントした。

 そして、シーズン後の10月23日に現役引退を発表。思い出多い阿部とバッテリーを組み、先発で投げたのが日本で最後の登板となった。

 ちなみに、NPB通算1002試合に登板し、歴代トップの407セーブを記録した中日の守護神・岩瀬仁紀は、プロ2年目の2000年10月8日の広島戦で通算123試合目に初先発と、意外に早い。

 これは2年連続二桁勝利がかかっていたため、山田久志コーチが「(先発で)行くぞ」とあと押ししたもの。「二桁勝利にこだわっていたわけではないが、せっかくのチャンスだったので」とプロ初先発のマウンドに上がった岩瀬は、3回まで打者3人で片づけ、7回を7安打6奪三振1失点で見事、勝利投手に。「疲れて最後は一杯一杯」とヘトヘトになった岩瀬は、「来年から先発?」と水を向けられると、「それはいいです」と固辞。これが20年間の現役生活で唯一の先発記録となった。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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