野球・大嶋匠さん|異色の転身 ソフトボールからプロ野球、そして公務員へ<前編>


 一言でいえば「異色のプロ野球選手」だった。大嶋匠さんは新島学園中でソフトボールと出会い、高校、大学とも野球とは無縁の競技人生を送っていた。しかしパワフルな左打者は人の縁をたどって、プロ野球と巡り合う。「硬式野球未経験」の彼は2011年10月のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズの7位指名を受け、プロ野球入りを果たした。そして7シーズンに渡って、プレーを続けた。

 彼は2018年限りで球界を去り、2019年4月から高崎市役所で勤務している。「ソフトボールからプロ野球」への転身は異例だが、「プロ野球から公務員」という転身も間違いなく珍しい。インタビュー前編ではプロ入りから引退までについて語ってもらっている。


――― 大嶋さんは北海道日本ハムファイターズで7年プレーをしました。「ソフトボール出身」「野球未経験」の異色選手として注目をされ、楽しみも苦労もおそらく両方あったと思います。どういうプロ野球人生だったか、振り返っていただいていいですか?

経歴のおかげで注目をしていただける機会が多い方だったとは思います。色んな野次とかもあったんですけど、それでもファンの方から非常に応援していただけて、ありがたい野球人生でした。

――― 野次もあったんですね。

日本は高校野球で甲子園を目指す方が大勢いらっしゃって、でもプロになれないケースが圧倒的に多いわけです。そういった方から見ると「なんやねん、あいつ」みたいな見方になるし、厳しく言われるのかな……と思いました。ただ(日本ハムの二軍がある)鎌ケ谷は熱心なファンが多い球場で、すごくいい7年間を過ごせました。

――― ソフトボールのトップ選手とは言え、プロ野球とのギャップはあったはずです。

ギャップを挙げたらきりがないです。まあ、すべて違いましたね。使っている道具が違いますし、投内連携(走者やアウトカウント、打球の方向に応じた投手と野手の連携を確認する練習)なんてしたこともなかったです。ソフトボールはサインプレーも無いですから。本当に初めてのことだらけでしたね。

――― プロ野球人生で手応えを感じた瞬間はありましたか?

1軍で初めてヒットを打てたときは「何とかここまで来られた」という手応えを感じました。(※プロ5年目、2016年5月31日の東京ヤクルトスワローズ戦)
最後まで1軍に登録されない選手もいるので、そういった意味では当時の栗山監督に感謝が必要だと思います。




――― 大谷翔平選手とは在籍が被ってらっしゃいますよね? 今や世界一の野球選手ですが、彼も含めた一流の人と接したことで受けた影響、今に残る気づきはありましたか?

この『アスミチ』をやっていらっしゃる斎藤佑樹さんもそうですけど、「いい意味で人に合わせない」「自分の本当にやるべきことに集中している」人が上に登っていくのかなと、見ていて思いました。特に翔平なんて、もう本当に「野球をしているか寝てるか」くらいの感じでした。

――― セカンドキャリア、引退を考え始めたタイミングはありましたか?

僕が2年目の10月にフェニックスリーグへ行っていたんですけど、同級生の浅沼(寿紀)選手も一緒でした。でも浅沼は試合に向かうバスから急に降りて、「俺、帰るわ」と言って(2軍の施設がある)鎌ヶ谷へ帰っていったんですよ。「何をやっているんだろう」と思ったら、次の日に戦力外の報道が出ました。浅沼は高卒で先に入っていたんですけど、本当に仲が良くて「こういう世界なんだな」という厳しさはそこで感じました。

――― フェニックスリーグは「育てたい若手」が送り込まれるリーグですし、参加選手がシーズン中に切られるのは異例ですよね?

今思えば割にあると言えばあるんですけど、僕は入団直後でよく分からない状況でした。単純に「戦力外は急に来る」と気づきました。その後も具体的にセカンドキャリアをああしよう、こうしようと考えたことはないです。だけど「急に野球をやれない環境になる」ことは痛感しました。

――― そもそも早稲田大を卒業するとき、ソフトボール続ける道があったと思いますし、普通に就職する選択肢もあったと思います。まずプロ野球入りはある意味の「セカンドキャリア」で、覚悟が必要な決断だったはずです。その時点で人生設計はどれくらいまで考えていらっしゃったんですか?

いや、まったく考えていないですね。まず大学の恩師が「プロ野球を目指せ」と仰ったんです。そしてスカウトの大渕(隆)さんとか、色々な方を紹介してくださった。それまでは高崎市役所に行きたいと思っていたんです。




――― 高崎市役所にソフトボールのチームがあるんですね?

はい。ソフトボールをしていたときは国体の群馬県選抜に選ばれていて、主要メンバーはほぼ高崎市役所のソフトボール部でした。自分もそこに行きたいと考えていましたが、せっかく「プロを目指せ」と言ってくださる方がいるし、大渕さんが(社会人野球の強豪)セガサミーに練習参加させていただくように動いてくださっていました。「1年くらい就職浪人してもいいかな」という感覚でした。

――― ドラフトで「結局指名がない」という状況も想定されていたわけですね。

もちろんです。指名の確約もないですし。

――― 就職浪人というのは、野球は諦めて一般の就職をするという意味ですね?

そうです。そもそも僕は市役所もストレートで入れると思っていなかったですから。公務員試験の勉強もその時点ではしていませんでした。だからプロに行くか、浪人をするかの二択でした。

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取材=大島和人
写真=須田康暉
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