【現役引退】西武・増田達至が後輩たちに贈るメッセージ 「1日を悔いなく...」球団最多の194セーブ

 毎日決まった頃にグラウンドに現れ、同じ時間をかけて肩をつくっていく。西武で球団記録の194セーブを積み重ねた守護神・増田達至(36歳)の偉大さについて、10歳下の後輩で同じリリーバーの水上由伸は言う。

「増田さんは毎日、肩をつくる時間が一緒です。僕は気分で『今日はこれをしよう』という感じなので、そういう面で増田さんはすごいなと思いますね」


12年間の現役生活を終え、ファンに別れのあいさつをする増田達至[俊寺1] photo by Sankei Visual

 投手陣が瞬発力を磨くために20メートル走を行なう際、若手のなかには17メートルくらいで力を抜く者もいる。対して、絶対に20メートルまで走り切るのが増田だ。

 今年現役ドラフトで広島から西武にやって来た中村祐太は、増田の姿勢に感銘を受けた。まだ違うユニフォームを着ていた2年前に自主トレを申し込んだ時、ベテラン右腕の真髄を目の当たりにしたという。

「あの年齢でも妥協しないし、本当に細かいところまでトレーニングをやっています。ダッシュも常に全力ですし。僕より足が速いんですよ。何とか負けないように食らいつくんですけど、すごいなと思います。そこまでやらないと、やっぱりあそこまでできないんだなっていう、見本ですね」

 指導者の立場から敬意を表わすのが、2020年から西武投手陣を預かる豊田清コーチだ。

「ダッシュで走り切る最後の一歩が、勝負どころの1球やクッていう力につながるかもしれない。根性論かもしれないけど、そういう姿を若い選手には見てもらいたい。打たれようが、何をしようが、増田は変わらない。これが本当に後ろを任せられるピッチャーだというものがある」

【最も印象的なシーンとは?】

 増田は2012年ドラフト1位でNTT西日本から入団し、12年間の現役生活ではセットアッパーやクローザーとして通算560試合に登板。球団最多の194セーブ、109ホールド、防御率3.03という数字を積み重ね、年間40登板以上を10度記録した。2015年に最優秀中継ぎ投手、2021年に最多セーブ投手を獲得している。

 輝かしいキャリアを歩んだ増田が「最も印象的なシーン」と振り返り、ファンの記憶に強く刻まれているのは2019年9月24日、リーグ連覇を決めたロッテ戦で胴上げ投手になったことだ。

「誰しもが経験できることではないので本当にうれしく思いますし、一生の思い出にもなりました」 

 プロ入り7年目の2019年は、増田にとってキャリアの分岐点となった。前年の2018年、チームが10年ぶりのリーグ優勝を果たした一方、自身は41試合で2勝4敗14セーブ、防御率5.17と苦しんだからだ。

 その翌年に65試合で4勝1敗30セーブ、防御率1.81と巻き返した理由について、今年9月27日の引退会見で増田はこう振り返っている。

「2018年のオフに小野(和義)コーチが就任して、秋のキャンプからずっとつきっきりで指導していただきました。間の取り方や、自分のペースで投げるような指導もしていただいて、自分のフォームにはまったというんですかね。本当に感覚もよくなりましたし、投げていて納得のいくボールが増えました。若い子たちもどんどん投げていって、自分の感覚やフォームが体に身に染みついてくれればと思います」

 増田がこの頃に見直したのは、投球フォームだけではない。大きな壁にぶち当たったことで練習への姿勢をあらため、以降、いっさい手を抜かずに取り組み始めたというのだ。

「そうなったのはたぶん、歳をとってきてからですね。本当に成績が出なくなった年もあった時に、練習からもう一度、イチからしっかりやろうと思いました」

 直面する壁を乗り越えるには、何かをあらためなければならない。増田が年齢を重ねる過程で見つめ直したのは、練習と試合の位置づけだった。

「やっぱり、走れなくなったら終わりだと思っています。そこはずっと意識して、練習のなかで重点を置いています。練習自体を試合の準備だと思い、しっかり取り組んでいます」

 20メートル走を行なう場合、必ず最後まで駆け抜ける。もし17メートルで力を抜いても、たった一度なら些細な違いかもしれない。だが何十本、何百本、何千本と積み重ねたとき、大きな違いになってくる。

「どうしても疲れてきたり、今日は気持ちが乗らないという日もたぶんあると思います。それでも力を抜くのではなく、練習も試合前の調整だと思う。(うまくいかなくなった時に)けっこう考えるようになりましたね。そうやって取り組むのは、たぶん自分のモチベーションでもあると思います。1日1日悔いというか、やり残したことのないように臨んで試合を迎えるイメージです」

【8月に引退を決断】

 36歳となる今季は長らく務めたクローザーから離れ、試合中盤から終盤の勝負どころを任された。ストレートの状態がよかった開幕当初は結果を残していたものの、打たれる試合が徐々に増えていき、5月27日に登録抹消。6月12日に再登録されたが、3日後に再び抹消されて以降、戦力として一軍に呼ばれることはなかった。

「毎年、1年1年が勝負だと思ってやってきました。今年もキャンプからしっかりと自分のなかでやってきたつもりでした。ただ、結果が思うようについてこなくて......。8月に引退を決断しました」

 現役生活で楽しかった思い出は2019年の胴上げ投手だと語る一方、悔しい記憶は最近のほうが脳裏に刻まれているという。

「やっぱり打たれた時が、本当に自分の技術不足が痛感される時でもあったので。練習量で補っていこうという思いで、本当に悔いのないように練習だけはしっかりやっていました」

 9月28日、本拠地ベルーナドームで通算560試合目の登板を果たし、引退セレモニーで超満員のファンに拍手で送り出されたあと、増田は現役最後の取材対応を行なった。囲まれた記者のひとりに後輩へのメッセージを聞かれると、前日の引退会見から何度も繰り返してきた言葉を残した。

「1日を悔いなく過ごしてほしいです。皆さんもいずれも引退する時が来ると思いますが、その時に悔いは残るだろうけど、それがどれだけ少ないかだと思うので。それが自分で納得できる悔いであったらいいんじゃないかと思います」

 悔いを残さないことは不可能だからこそ、なるべく少なくしてほしい。ストイックに向き合った増田だからこそ、重みのあるメッセージだった。 


増田達至(ますだ・たつし)/1988年4月23日、兵庫県生まれ。柳学園高(現・蒼開高)から福井工大、NTT西日本を経て2013年にドラフト1位で西武入団。 1年目からおもにリリーフとして42試合に登板し、15年には42ホールドポイントを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝く。 16年からクローザーに転向。 20年は33セーブを挙げて、初のセーブ王のタイトルを獲得した

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