【ソフトバンク】育成1位指名した日本学園・古川遼が入団辞退 球団では91年4位の三井浩二以来

 ソフトバンクが、33年ぶりの“事件”に困惑した。10月のドラフト会議で育成1位指名した日本学園(東京)の古川遼投手(18)が入団を辞退した。3日、同校が発表した。

 身長190センチで最速144キロ右腕の古川は、11月9日に福岡・筑後市の球団施設でメディカルチェックを受けた。しかし、当時から辞退したい旨を話していたという。同校は「現在の心境・状況でプロ野球の世界に飛び込む決心がつかず」とし、同16日に辞退を申し入れた。現在は大学進学に向けて準備している。

 それから17日が経過しての発表。永井智浩編成育成本部長兼スカウト部部長(49)は「(球団が)辞退されたのは記憶にないくらい前。学校側も頻繁にプロを輩出しているわけではないので、どういう対応をするかで時間を要したのでは」と、両者が右往左往した様子を示した。球団の入団辞退者は、ダイエー時代の91年4位の三井浩二(足寄=00年2位で西武入り)以来のことだ。

 同校は辞退の理由に「悔しい気持ち」も挙げており、支配下指名でなかったことも一因。ただ「育成なら拒否」と事前に打ち出していたわけでもない。同本部長は「調査をより深めていきたいと思う一方、どこまで人の気持ちが読めるのか」とポツリ。それでも、今後に再指名する可能性も含め「引き続き追いかけます」とした。(田中 昌宏)

 ◆入団辞退 ダイエー時代の89年には元木大介(上宮)を1位指名したが、巨人入りを希望していたため入団を拒否された。南海時代の67年には16位まで指名して、10位の加藤秀司(松下電器)ら10選手に入団を断られたこともある。近年、他球団では16年に山口裕次郎(履正社)が日本ハム6位指名を辞退してJR東日本へ。育成ドラフトでは、14年に佐藤雄偉知(東海大相模)が中日育成1位を辞退してホンダ鈴鹿に進んだ。15年に松沢裕介(四国IL香川)が、けがのため巨人の育成3位指名を辞退したが、翌16年に再び巨人に育成8位で指名されて入団した。

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