創部100周年の名門・大体大浪商OB高田繁氏「必ずまた甲子園の常連校に戻れると思う」張本勲氏「『喝!』を入れます」

記念式典であいさつする高田繁氏(カメラ・森脇 瑠香)

 大体大浪商が24日、大阪市内のホテルで硬式野球部創部100周年記念式典を開いた。

 同校の硬式野球部OBで「V9時代の名左翼手」として巨人で活躍し、日本ハム、ヤクルトで監督を務めた高田繁氏がOBを代表してあいさつ。「巨人が今年90周年、阪神が来年で90年で、東京六大学は来年100周年を迎える。浪商はそれよりも古い歴史がある。本当に驚きました」と話し、「夏の予選が近づくと浪商の成績が気になる。いつもチェックしています。あともう一歩で甲子園に手が届く位置まで来ている。一回乗り越えたら、必ずまた甲子園の常連校に戻れると思う」と在校生に向けエールを送った。

 東映、巨人などで活躍し、首位打者通算7度を獲得した張本勲氏は「母校である浪商高校野球部が創立100周年を迎えたと聞き、心よりお祝い申し上げます。『あっぱれ!』。高校野球で培われた『最後まで諦めない』という強い精神や『仲間を信じ抜く心』は、私の人生における礎となり、今でも強く胸に刻まれています。皆さんの努力と成長が、浪商高校野球部のさらなる飛躍につながることを期待しています。激励の『喝!』を入れます」と祝辞を寄せた。

 大体大浪商は1924年に浪華商業学校野球部として創部。1937年春の甲子園で初優勝を飾るなど、春2回、夏2回の優勝を含む通算32度、甲子園に出場している名門。しかし現在、夏は牛島・香川のバッテリーを擁した1979年、センバツは2002年を最後に聖地から遠ざかっている。

 そのなか、昨秋から同校OBで三重高を14年夏の甲子園準Vに導いた中村好治監督が就任。同秋は準々決勝で大阪桐蔭に4―5と善戦した。創部100周年を迎えた今年は、夏秋ともに4回戦敗退となったが、確実に力をつけ始めている。中村監督は「4年で必ず甲子園、絶対やると決めて帰ってきた。全員で甲子園に行きます。私は必ずやります」とOB約250人の前で宣言した。

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