【ソフトバンク】和田毅「体がどんどんボロボロに」「引退試合は固辞」引退会見ほぼ全文<1>

引退を発表したソフトバンク・和田(カメラ・朝田 秀司)

 ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、今季限りでの現役引退を発表した。みずほペイペイで会見に応じ、満身創痍(そうい)で体力の限界に達したことを明かした。以降は会見のほぼ全文。

◇ ◇ ◇

 「皆さん、忙しい中集まっていただきまして、ありがとうございます。私、和田毅は今シーズンをもって引退をします。たくさんの方からメールやお電話をいただいて、全然返せていないんですけれど、この場を借りて伝えさせていただきます」

 ―今の心境は

 「そうですね。最近決めたわけでもなく、ずっと前から(決めていた)。ある程度固まってきたのは、今年の7月過ぎぐらいですね。妻にも7月には伝えてはいたので。ここまで皆さんに知られずにこの日を迎えられて、自分としては良かったなと思います」

 ―引退の決め手

 「さかのぼれば19年からですね。5年前から肩の痛みと闘いながら投げていた。18年に全く投げられず、19年に復帰したんですけど、その年から5年間『いつでも駄目になったらやめよう』という気持ちを持ちながら毎シーズン戦っていました。その中で、自分の中では、ホークスでの選手としての役割というのは、だんだん終わりを迎えてるのかなと。5年間の中で、少しずつそういうのが出てきました」

 「今年は特にそれをすごく強く感じて、それよりも選手ではない立場でホークス、そして野球界に貢献できると言いますか…勉強する時間に当てたいなという。だんだんそっちの方が比率が高くなってきて、それが完全に上回ったのが今年。(左)膝の痛みだったり、腰だったり、今回は(左)内転筋の肉離れ(と満身創痍)だったんで。(シーズン終盤に)中継ぎで投げたときも、結構、肩の痛みを訴えながら、注射を何回も打ちながら投げた部分もあった。決断したからなのかは分からないですけど、体がどんどんボロボロになっていくな…っていう。シーズン最後に投げていた時の感じです」

 ―7月の決断からの現役生活は

 「今年は膝の痛みが本当にきつくて。自分でも正直(戦列に)戻れないなって覚悟してたんですけど、治療のかいもあって9月前ぐらいから良くなってきて。もしかしたら試合で投げられるようになるかもしれないと思った時に、自分としては完全に『今年やめよう』と決断しました。球団のほうにも一番トップの方に、ある程度“そういう何となくのこと”は伝えてはいたので。今年で最後だっていう気持ちでやっていたので、どんな形でもチームに貢献できる形で終わりたいなと。最後に肉離れをしてしまって、日本シリーズに全く貢献できず申し訳なかったんですけど」

 ―日本シリーズ前にも、みずほペイペイで練習

 「球団の上のほうの方しか知らなかった。当然、選手、監督、コーチも誰も知らない状態だった。肉離れしてしまって『来季のために頑張ってくれ』って声をかけていただいときに、初めて(小久保)監督と倉野さん(投手コーチ)とチーフトレーナーの鈴木淳士さんの3名の方だけに伝えて。『ホームにいるときはチームの中でやらせてもらえませんか』ということでやらせてもらっていました。選手や裏方さんで『何でここにいるんだろう』と不思議に思った方もたくさんいると思うんですが、そんなわがままを監督をはじめ、倉野さん、淳士さんに許していただいたことに感謝しています」

 ―最後まで多くの人に伝えなかった理由は

 「今年ホークスは優勝しました。自分の中で、優勝して(シーズン中の)引退試合で引退の報告をファンにも選手にも(するという選択肢もあったが)…。自分で言うのも変なんですが『和田さんのために日本一になろう』とか、そういう空気にだけは絶対にしたくなかったっていうのがあって。自分は今年、ほとんどチームに貢献できてませんし。優勝したのは紛れもなくチーム全員、みんなの力と、ファンの声援あっての優勝だと思います。その中で、私情を挟んではいけないなと。みんなで勝ち取った優勝なので、みんなの力でCS、日本シリーズを戦ってほしい気持ちもあった。もちろん球団の方からも引退試合の話はしていただいていたんですけれど、そこはもう固辞といいますか…させていただきました」

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