【阪神】鳴尾浜球場30年の歴史に幕 レジェンド左腕が「終球式」で最後の1球投じ「うれしかった」

ファンへあいさつする和田豊2軍監督(中)ら阪神ナイン(カメラ・朝田 秀司)

◆ウエスタン・リーグ 阪神6―14ソフトバンク(25日・鳴尾浜) 

 来年3月に2軍施設を新拠点に移す阪神が25日、兵庫・西宮市の鳴尾浜球場で最後の公式戦となるウエスタン・ソフトバンク戦を戦った。6―14の大敗で有終の美とはならなかったが、満員となる570人の観客が声援を送った。

 同球場は1994年10月に完成。当時は最新鋭の設備を誇ったが、室内練習場に打撃マシンを2台しか置けないなど手狭で老朽化も進んでおり、約30年の歴史に幕を閉じた。試合終了後にはセレモニーが開催され、球団OBの井川慶氏(45)が「終球式」。思い出の詰まった球場で最後の一球を投じ、「緊張感もあったけどうれしかった」と笑顔で花を添えた。和田2軍監督は「選手たちはこの球場で流した汗を忘れないでしょう」とあいさつ。虎党からは「ありがとう~」と感謝の言葉も飛んだ。

 来年1月末までは通常通り、練習などで使用される予定。来季の新入団選手も隣接する選手寮「虎風荘」に入寮する。春季キャンプ終了後の同3月に、選手寮を含めた拠点を尼崎市内に建設中の「ゼロカーボンベースボールパーク」へ移転。同年シーズンから、パーク内の「日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎」が新本拠地となる。

 ◆阪神鳴尾浜球場の主な出来事

 ▽94年10月7日 グラウンド、室内練習場、合宿所を完備する「TigerDen」が完成

 ▽95年1月17日 阪神大震災で被災。液状化や断水などの被害

 ▽同7月23日 2軍練習に遅刻した新庄剛志が外野の芝生上で1時間の正座

 ▽99年1月9日 退団を申し入れたダレル・メイが報道陣に声明文を配布。野村克也監督への不満、不信感をあらわに

 ▽10年9月25日 矢野燿大の引退セレモニー。阪神、中日両軍の選手から胴上げされ、「幸せな野球人生を送れた」

 ▽12年9月29日 城島健司の引退試合で満員札止め。初回適時打で代走を送られ、試合途中に異例の胴上げ

 ▽16年3月15日 掛布雅之2軍監督が現場復帰後初采配。満員札止めで100人近くの観客が入場できず

 ▽19年9月26日 脳腫瘍のため引退を決めた横田慎太郎さん(23年死去)が“奇跡のバックホーム”。視力が低下する中、中堅からの本塁返球で二塁走者を刺す

 ▽24年9月25日 最後の公式戦。事前応募・抽選の当選者のみが入場した

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