甲子園準優勝右腕の大沢志意也さんが指導者として北海道野球の発展目指す「息の長い選手を」…東海大四エースで15年センバツ出場

札幌市内の生命保険会社で働く大沢志意也さん(本人提供)

 かつての甲子園準V右腕が、北の大地で新たな夢を追っている。15年のセンバツで東海大四(現・東海大札幌)のエースとして準優勝の原動力になった大沢志意也さん(27)。現在は札幌市内で保険の営業マンをしながら、野球指導者として後進育成に奮闘している。

 高3春に聖地で見せた554球の熱投は、北海道を熱狂の渦に巻き込んだ。その後は東海大、三菱重工EASTでも投手。大きな故障はなかったが「結果を出せなかった」と25歳で引退を決断した。「選手としては終わってしまった。今度は指導者としての大沢志意也をつくり上げたい」。関東に残る選択肢もあった中で「地元で人に役立つ仕事をしつつ、野球を教えたい」と中学時から頭の片隅にあった道に進むと決め、23年3月に北海道に帰ってきた。

 平日は生命保険会社で働き、土、日曜に野球の指導を行う多忙の日々を送る。今春からは「ぜひ教えてください」と声をかけられた北翔大の外部コーチに就任。依頼を受ければ月4回ほど、小中学生の野球教室も個別で実施している。「関東で野球を続けた人で、引退後に北海道に戻る人は少ない。最近は最先端の環境や生の声を求めて高校から道外へ野球留学してしまう子も多い。その差をなくしたかった」と地元に戻ってきた。

 東海大では1年春からリーグ戦デビューするも、キャリアのピークは高3。しかし、苦しんだ大学、社会人での経験こそが「僕の強み」と語る。栄光と挫折を知るからこそ「うまくいっている人、いっていない人、お互いの気持ちが分かる」。投げ方の癖なども“可能性”を感じれば直さないのが大沢流。「人と違う部分こそ武器になる」と19年間の野球人生で培った経験を教えに生かしている。

 今でも街では「高校の時に勇気づけられたよ」と声をかけられる。一番に願うのは北海道野球の発展。最終的には道内に屋内練習場を建設することを目標としており「冬場も不自由なく練習できる環境を整えたい。息の長い選手を育てて、北海道の力になりたい」。人生の第二章。熱き思いが大沢さんを突き動かしている。

(堀内 啓太)

◇都市型スポーツ大集結イベント開催                               〇…北海道全体の活性化を願っている大沢氏が運営に携わる「JAPAN CITY SPORTS EXPO」が14、15日に日本ハムの本拠地エスコンで開催される。日本最大級の都市型スポーツが大集結するイベントで、マウンテンバイクの全日本選手権大会などが行われる。実行委員会を務める同氏は「北海道を活性化させられるいい機会」と胸を膨らませた。

◆大沢 志意也(おおさわ・しいや)1997年4月10日、天塩町生まれ。27歳。天塩小1年時に天塩タイガースで野球を始め、天塩中では軟式野球部。東海大四高では1年秋に背番号17で初めてベンチ入りし、2年秋からエース。3年春のセンバツで準優勝。東海大、三菱重工EASTへ進み、25歳で現役引退後に札幌市内の株式会社「UNITED GUARDIANS」に入社。

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