《退任を発表》「義理立てしてきたのにあんまりじゃないかと…」“非情”と呼ばれ続けた中日・立浪和義監督(55)が最後に見せた“人情味”とは

 中日の立浪和義監督(55)が9月18日、成績不振の責任を取り、今季限りで退任することを明らかにした。今季が3年契約の最終年と見られていた。チームは昨季まで2年連続最下位で、今季もヤクルトと熾烈な“最下位争い”を演じている。

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 退任表明の直前に一部で続投説が報じられるなど、情報が入り乱れた「去就問題」は意外な形で決着をみることになった。

©時事通信社

 本拠地バンテリンドームナゴヤで行われた18日の阪神戦に3-8で敗れた直後、立浪監督は加藤宏幸球団本部長に辞意を伝えた。

「中日スポーツの記者との関係が悪化していたので…」

 親会社中日新聞の系列『中日スポーツ』によると、立浪監督は「今年3年目で結果を出さないといけないところで、結果を出せなかった。責任を取って今年限りで辞めさせていただきますと球団と話をして。このタイミングでの発表もどうかなと思うんですけど(今季)最後まで全力でやるということでケジメはつけます」と語ったという。

 この時点で、中日のクライマックスシリーズ(CS)進出の可能性はまだ残っていた。もちろん最下位が確定したわけでもなく、ホームゲームはまだ5試合残っていた。

「CSが完全消滅する日は退任の記事が出ることは警戒していましたが……。節目というわけでもない試合後に、なぜ今なのかなと思いました。今年になって中日スポーツの記者との関係が悪化していたので、不意打ちで退任表明することで各社横並びで知らせる意図があったのかもしれません。真意は分かりませんが、予想していなかった幕引きにはなりました」(番記者)

 立浪監督は第34代ドラゴンズ監督として2021年オフに就任した。現役引退から実に12年という長いブランクこそあったものの、「ミスタードラゴンズ」の監督就任をファンは歓迎し、就任後の観客動員は好調に推移した。昨季は約218万人とコロナ禍前の水準に迫り、今季はこれを超えることが確実になっている。

 成績は上がらないが観客は増える。この奇妙な現象はチームに意外な影響を及ぼした。

「チーム成績は振るわなかったのですが、結果的に人件費(選手年俸)を抑えることができました。皮肉なことに立浪体制下では収支が改善されていて、フロントも来季続投させたい気持ちがあったようです。そのため最低限の成績を残していれば続投の目もあったのですが……」(中日OB)

 Bクラスに終わったとしても、終盤までCS争いを繰り広げるなど、見せ場をつくれば続投の可能性は残されていたという。チーム内では「実は5年契約ではないか」という噂も流れたが、全ては監督が“ミスタードラゴンズ”だったからこそだ。

「あれほど立浪監督に義理立てしてきたのに、それはあんまりじゃないかと」

 一方で立浪監督自身は、7月26日に後半戦が始まる時には、今季限りでの退任が胸中にはあったようだ。

 後半戦が始まる2日前、立浪監督は落合英二2軍投手兼育成コーチ(55)を1軍投手コーチに配置転換した。落合コーチは立浪監督と同学年で、立浪政権でヘッド兼投手コーチに就任するまで、中日と同じセ・リーグではコーチに就任してこなかった。落合コーチの義理堅い人柄が象徴されたこのエピソードは野球ファンの間では有名だ。

 それだけに、昨オフ立浪監督が落合コーチを1軍から2軍に“降格”したことへの驚きは大きかった。

「あれほど立浪監督に義理立てしてきたのに、それはあんまりじゃないかと。人の道として、どうなのかとさえ思ってしまいました」(前出の中日OB)

 現場でも立浪監督の求心力低下を招きかねない出来事だったが、ラストシーズンの後半戦を前に呼び戻したことになる。降格から1年も経っておらず、しかもシーズン途中。異例の措置だった。

「この時、立浪監督は落合コーチに対し『また一緒にやろう』と伝えたようです。意見が合わなかった大塚晶文投手コーチをブルペン担当にして遠ざける意味合いもあったのだろうとは思いますが、それ以上に落合コーチを2軍に行かせた罪の意識が消えていなかったのでしょう。最後は元の形に戻して、これで浮上できなければ身を引くしかないと覚悟が固まっていたと思います」(古参のチーム関係者)

 落合コーチも立浪監督の思いをすぐに察したようだ。1軍復帰の際、「立浪監督が辞めるならば一緒に責任を取る」と周囲に漏らしている。

批判を受けても手を打つ姿からは非情ささえ感じさせたが、最後に…

 立浪監督は退任を決断した時期を問われると、こう答えた。

「決断というか、オールスター明けに何とかまだ借金8の段階で、諦めずにまだまだチャンスあると思ってやってはきたんですけど、ずっと同じような形で負けている試合が多いので」

 明確な答えを避けた形にはなったが、真っ先に「オールスター明け」との言葉が出たところに、この時期に進退についてじっくり考えたことがうかがえた。

 チーム編成権にも大きく関与してきた立浪監督は、自身の野球観に合わなかった京田陽太内野手(現DeNA)をトレードで放出するなど、時に強権的な手法を採ってきた。批判を受けても次々と手を打つ姿からは非情ささえ感じる。

 しかし、さまざまな事情が絡んでいたとはいえ、盟友・落合コーチとともに監督生活を終えることを選択した。立浪監督が最後に見せた人情味でなかったか。

(木嶋 昇)

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