慶應高校野球部の独自システム。大学生が高校生を教え、後に監督に。

3年生部員と森林貴彦監督(右下)。今夏は4回戦で東海大相模に敗れ、2年連続の甲子園出場はならなかった。 photograph by Manami Takahashi

 1990年8月のある日、横浜市内の日吉台球場。

 ヒグラシが鳴く夕方に、慶應義塾高校の野球部員が数名で会議をしていた。

 彼らは就任したばかりの上田誠監督から「二塁牽制がワンパターンで相手にバレてるから、自分たちで新しいサインを考えて」と言われ、居残っていたのだ。

 当の監督は帰ってしまい、残されたのはバッテリーとショートを守っていた森林貴彦だけ。皆で「ああでもない、こうでもない」と言いながら意見をぶつけ合った末に新しいサインが決まったとき、森林はこの上ない充実を感じたという。

「あの日が自分の原点で、高校生活で一番の思い出です。自分たちで考えるという、野球の面白さに気づくことができました」

大学野球部ではなく、高校のコーチに。

 上田と過ごした高校最後の1年に感銘を受けた森林は、慶應大に進学すると、大学の野球部でプレーすることより、慶應高の「学生コーチ」になることを選んだ。

「上田さんともっと野球をやりたいと思って、高校、大学と7年間をこのグラウンドで過ごすことになりました。もし、上田さんの就任が1年遅ければ、私の人生は違うものになっていたと思います」

 森林は今、その上田の後任として2015年から慶應高の監督を務めている。そんな森林の職業は、小学校の教諭だ。広尾の慶應幼稚舎で小学生を教えたあと、夕方から日吉で高校生に野球を教える。

 二足のわらじを履く上で助けとなっているのが、かつて森林も務めた学生コーチの存在だ。現在は12名のOBが就き、バッテリー、打撃、守備、走塁と担当に分かれて102名の部員の練習を綿密に見ている。

「広尾からの移動中、私が学生コーチのグループLINEに練習メニューを送れば、学生コーチたちが選手に練習内容を伝えておいてくれるという仕組みになっています」

高校生が大学を抜けて登下校する。

 学生コーチの1人も「森林さんは僕たちに任せてくれるので、責任感とやりがいがあります」と、かつて森林が上田に抱いた印象と同じようなことを口にした。森林も、学生コーチへの信頼は厚い。

「うちの練習は学生コーチでもっているようなものです。大学生の彼らは高校生にとって身近なお兄さんで、野球を教えてくれるのはもちろんのこと、時には家庭教師のように勉強を見てくれたり、大人には話せないような人生相談に乗ってくれたりもする。

 日吉キャンパスでは高校生と大学生が同じ空間にいるので、ほかの部活動でも大学生が高校生を教えるという土壌が自然とできているんです」

 日吉駅を降りて慶應大の日吉キャンパスに入っていくと、大学の敷地の中に「慶應義塾高等学校」と書かれた白い校舎が並んでいる。高校に門はなく、高校生たちは大学のキャンパスを抜けて登下校していた。

 大学生が高校野球を支えるという、垣根のない独特な文化が慶應には根付いている。

(「Number Ex」田村航平(Number編集部) = 文 / photograph by Manami Takahashi)

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