上田綺世の鹿島加入が示すこと。部活が強い日本サッカー界の変化。

鹿島は、次々と若い才能が世界へ巣立っていくクラブになった。上田綺世もその系譜に名を連ねようとしている。 photograph by Kyodo News

 コパ・アメリカに出場した日本代表でただひとり大学サッカー部に所属していた法政大学3年のFW上田綺世が、サッカー部を退部して、8月より鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶことが7月26日発表された。

 鹿島アントラーズのジュニアユースに所属していた上田だったが、ユースには昇格できず、鹿島学園高校でサッカーを続けた。プロ入りは幼い頃からの夢だったが、高校卒業時にその夢は叶わず、法政大学へ進学する。

 1年時から活躍し、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント制覇に貢献、関東大学サッカーリーグ戦・新人賞も受賞した。U-20代表にも選ばれ、2年時の2018年には全日本大学サッカー選手権大会で優勝した。

 法政大のエースとしてだけでなく、東京五輪世代の代表のエースとしても注目を集め、Jクラブも早くから獲得競争に乗り出した。各クラブの練習に参加した結果、上田は2年生の時に、2021年度に鹿島アントラーズに加入する仮契約を結ぶ。今回はそれが前倒しになったのだ。

「成長曲線をとどめることはできない」

 上田は鹿島への加入会見で、その経緯を次のように語った。

「この決断をするのに半年かかりました。3年になるタイミングでサッカー部を退部することも考えたけれど、まだ法政でできることもあると思いました。そしてこの半年でやることはやり切った。大学生としてコパ・アメリカに選ばれたことがきっかけにもなりました」
 
 無得点で終わったコパ・アメリカでの経験がプロ入りを決意させたわけではなく、ベルギーへ移籍した鈴木優磨の後釜として、鹿島側が獲得を急いだわけでもなかったという。鹿島の鈴木満強化部長は、「ここからシーズン後半、非常に重要な試合が増えチーム編成が難しい状況で、即戦力として考えられる上田選手の獲得は嬉しい」と話した。

 法政大の長山監督は、このタイミングで送り出す理由をこう語った。

「ここ2年ぐらいで非常に成長している。その成長曲線をとどめることはできない。上田は日本を代表する選手になると思う。指導者として彼がより成長するための環境を整えたいと思った。大学サッカーに留まらせるわけにはいかなかった」

プロ入りは絶好のタイミングだった。

 2年半前には、実現できなかったプロとしての一歩を踏み出すことになった上田は、「自分のサッカー人生のなかで一番大事な2年半だった」と法政大での日々を振り返っている。

 選手が伸びる時期は、人それぞれだ。背が高くなる時期といった個人的な要因だけでなく、指導者やチームメイトとの出会いなど外的な要因も影響する。仮に高校卒業時に上田がプロ入りしていたとしても、現在のような成長を遂げていたという保証はない。大学へ進学し、試合の経験を積みながら、研鑽した結果が彼を進化させたのだろう。

「ジュニアユースからユースへ昇格はできなかったけれど、鹿島学園、法政大学で鍛えてもらった上田選手が鹿島へ帰ってきてくれた」と鈴木強化部長は目を細めた。

 コパ・アメリカで得点こそなかったものの、南米のA代表相手に可能性を見せつけた上田にとって、その直後でのプロ入りは、絶好のタイミングだった。

「代表での活動を経験しながら、刺激を受けた」ことが、プロ入りへの欲を高めたと話す上田。「刺激」は、国際試合という舞台からだけでなく、すでにプロでプレーしている同世代のチームメイトの姿から受けたであろうことは想像に難くない。

「大学サッカーをやめて、とは言えない」

 過去にも上田のように大学サッカー部に所属しながら、世代別の代表に参加した選手はいる。ただ、上田と同じ想いを抱いたとしても、プロ転向は、容易ではないのも事実だ。たとえば推薦入学など、各選手個別の事情もある。「(2年生での)内定時にすぐさまプロ入りを打診しなかったのか?」と鈴木強化部長に訊ねたところ、「うちから大学のサッカー部をやめて、ということは言えない」と答えた。今回のプロ入りも上田の希望から端を発し、大学内部での了承を経て実現されている。

 欧州サッカー界では、年齢に関係なく、選手の成長に応じた環境でプレーができる。リーグやクラブによって、レベルの格差があるため、選択肢も多い。ポテンシャルを評価されれば、10代後半でトップレベルのチームでのプレーも可能だ。

 しかし、学校の部活動が盛んな日本では、選手が自身の成長に応じた環境を選ぶことは難しい。クラブの下部組織であっても、中学生が高校生の試合に出るケースはわずかだろう。年齢に縛られることで、本来であれば早くから開花するはずの才能が、見いだされるのが遅れたり、日の目を見なかったりする危険性は残る。

海外クラブとの獲得競争にも“効力”が?

 日本サッカー協会には高校や大学のサッカー部に在籍しながら、プロの試合にも出場できるJFA・Jリーグ特別指定選手制度がある。もともとはJリーグが選手の成長を促す「刺激」となることが求められて始まった制度だったが、選手獲得の囲い込みに繋がるという懸念から、加入内定者に限るとルールが変更された。上田の獲得競争が2年時に加熱した理由はここにあった。

 鹿島の場合、2010年に高校2年生だった柴崎岳の加入を内定させたのを機に、卒業を待たずに仮契約を結び内定を出すケースが増えている。以前、「選手サイドから早く決めたいという要望があった」と椎本邦一スカウト担当部長が語っていたが、この流れは今後加速する可能性は高い。内定を出すのは、特別指定選手として活動させるためだけでなく、海外クラブとの獲得競争における“効力”にも繋がると見られるからだ。

 この夏、バルセロナが獲得を模索している日本人選手がいる。桐光学園の西川潤だ。飛び級でU-20ワールドカップメンバー入りを果たした西川は、セレッソ大阪への加入が内定し、特別指定選手として活動している。18歳になった時点でバルセロナが獲得に動き出すと報じられた。

 アマチュアからの移籍であれば、育成費は出ても移籍金は生じない。欧州であれば、高校生であってもプロ契約を結べるが、部活動でプレーする日本の選手には、Jクラブが内定を出すことしかできない。それが欧州のマーケットと対抗するための手段になる。「内定の仮契約であっても、法的拘束力を持つ契約であると思っている」と鈴木満強化部長は話す。

日本がレベルアップしたからこそ。

 鹿島は植田直通昌子源安西幸輝安部裕葵、鈴木優磨と1年間で5人もの選手を移籍で失った。多くが20代前半。戦力として目途が立った、これからの選手ばかりだ。

 鈴木強化部長は言う。

「ジーコとも話をしたけれど、日本の選手に海外から声がかかるようになったのは、日本がレベルアップしたから。ブラジルは欧州へ数多くの選手を送り出しても、新しい選手を育て続けている。鹿島も、選手を移籍させても、タイトルを獲りながら次の選手を育てていくしかない。それが世界の流れだから」
 
 その胸中は、法政大学の長山監督と同じだろう。プロとはいえ、海外という環境に挑戦し、成長したいと願う選手をとどめることはできない。

上田も海外でのプレーが目標。

 上田も、海外でのプレーを目標においている。半年後、1年後に海外へ送り出す可能性さえある。鹿島サイドもそういう事態が起こりうることは理解している。鈴木強化部長は上田との契約について、「詳細は話せないけれど、海外へ出るための契約ではない」と話す。鹿島は海外移籍しやすいクラブと思われるかもしれないが、移籍金という対価は得ている。

 海外移籍を希望する選手たちは、契約時にその想いを告げる。移籍時の違約金の設定には、国内移籍と海外移籍とで金額に違いを設けるのも昨今では、当然のこととなった。そして移籍時にも、その後の選手の活躍次第で、移籍元のクラブ側が収入が得られるといった、欧州では当たり前の契約を交わすケースもある。

 今夏、海外へ移籍した選手たちの年齢はみな若い。「23歳の夏がラストチャンス」と語った鈴木優磨のように、選手の意識も変わり、それに応じたオファーが届く。とはいえ、いきなりビッグクラブへ移籍できず、欧州でのステップアップを目指すなら、23歳でも遅すぎるのかもしれない。

 Jリーグでは30代でもプレーする選手が多いし、選手として脂が乗るのは20代後半という見方もあるが、欧州のマーケットでは事情が違う。欧州での実績がなければ、20代後半での移籍は難しいものになる。

日本サッカー界も変わる必要がある。

 小池裕太は流通経済大学4年夏に大学サッカー部を退部し、ベルギーのシント・トロイデンへ加入したものの、出場機会がなく、1年を待たず、今季鹿島にレンタル移籍し、プロとしての経験を積んでいる。アマチュアとプロとでは背負うプレッシャーも違う。現在の小池にとっては、母国でプレーすることが最適な環境だったのだろう。

 選手としてのキャリアに、約束されたルートは存在しない。それでも、選手たちにとって、欧州でのプレーが単なる夢ではなく、明確な目標として現実味を持つようになったからこそ、日本サッカー界も変わっていく必要がある。

 成長に応じ、環境を整える。今回の法政大学の決断のような“柔軟な移籍”が増えることで、それは可能になるはずだ。

(「JリーグPRESS」寺野典子 = 文 / photograph by Kyodo News)

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