そのスライダーで一流打者を育てた。悔いなき投手人生、杉内俊哉の引退。

引退表明の記者会見を終え、花束を手に引き揚げる巨人の杉内俊哉。今後の話はまだ出ていないが、ぜひ“杉内俊哉2世”を育てて欲しい。 photograph by Kyodo News

 杉内俊哉がボールを置いた。

 通算142勝をマークし、沢村賞、最多勝など数々のタイトルを獲得した巨人の杉内俊哉投手が9月12日、現役を引退することを発表した。

 都内のホテルで行われた引退発表の記者会見。

「ここ3年間、全く野球はしていない。正直、潮時かなと思いました。本来の目的はマウンドで投げて、あの試合の緊張感の中で勝った、負けたということだった。若い選手と過ごす時間が増えて、心から後輩を応援するようになった。勝負師として違うかなという風に感じました」

 杉内は引退を決断した心の内をこう語り、後輩の内海哲也投手から花束を渡されると、溢れる涙を拭った。

栄光に包まれた、その投手人生。

 あくなき執念。2015年7月21日の阪神戦で古傷の右股関節痛が再発。同年10月に球界では前例のない右股関節の形成手術を受けた。

 車椅子生活から始まったリハビリを耐え抜き、'16年7月19日の三軍戦でマウンド復帰、すると'17年には二軍で先発できるところまで戻って来た。あと1試合二軍戦で登板し100球を投げられることを確認したら、一軍マウンドで奇跡の復活を遂げるはずだった。

 ところがそこで左肩痛に襲われた。

 再び始まった治療とリハビリの生活。今季は右内転筋痛にも悩まされ、ついにブルペンに入ることもできなかった。

 振り返れば投手として、これでもかというほどの実績を残してきた。

 鹿児島実業高校時代の1998年には夏の甲子園大会で八戸工大一を相手にノーヒットノーランを達成。三菱重工長崎を経てプロの世界でも一流への階段を駆け上がってきた。

 ソフトバンク時代の'05年には最多勝、最優秀防御率の2冠で沢村賞に輝き、3度の最多奪三振など数々のタイトルを手にしてきた。'06年、'09年、'13年の3度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表にも選ばれ連覇に貢献。特に'09年の第2回大会では原辰徳監督に勝負どころの切り札として中継ぎ起用されて5試合6回3分の1を無失点と2連覇の陰の立役者となった。

 巨人移籍後の'12年5月30日の楽天戦では、史上75人目のノーヒッターも達成している。

 投手として、相手打者を封じることで杉内自身がやり遂げてきた実績、仕事だった。

 ただ杉内という投手が球界に残してきたものの中にはもう1つ、忘れてはならない仕事がある。

 それは杉内という投手と対戦し、彼を打ち込もうと技術を磨くことで、どれだけの打者が育ってきたかということだ。

杉内の投球が一流打者を育てた。

 一流が一流を育てるのである。 

 杉内はその完璧なスライダーで相手打者を抑え込むだけではなく、そのスライダーで数々の一流打者を育ててきた。

 杉内と対戦することで、多くの打者がプロの投手の凄さを知り、その投手を打ち砕くために己を磨いてきたのである。

「19歳で初めて対戦したとき、“こんなピッチャー、どうやって打つんや!”と思いました。左投手でそんなことを思ったのは杉さんだけだった」

 こう語ったのは現在はチームメイトの坂本勇人内野手だった。

坂本が畏怖した杉内のスライダー。

 坂本が初めて対戦したのは2008年5月31日の交流戦、ソフトバンク対巨人戦だった。

 この試合で杉内は5安打完投勝利を挙げているが、プロ2年目の坂本は4打席で2つの三振を喫して、完璧に抑え込まれた。

 プレートの一塁側を踏んで、右打者のインコースに鋭い角度で切れ込んでくるスライダー。プロ2年目でレギュラーをつかみかけてきた坂本が、初めて見る軌跡だった。

「このボールを打てなければプロではやっていけない」

 そのとき瞼に残したそのスライダーの軌跡が、坂本という打者をここまで育て上げる1つのエネルギーになったことは紛れもない事実なのである。

 そしてもう1人、杉内のスライダーの洗礼を受けた打者がいる。DeNAの筒香嘉智外野手だ。

 プロ2年目の2011年、3月10日。

 筒香の記憶に残るのはまだ肌寒いオープン戦の打席だった。

筒香「こんなすごい球を打てるんかな」

「確か北九州だったと思います。初めて杉内さんのスライダーを見て、“当たる”と思ったら、そこから曲がってストライクになった。強烈でしたね。

 その瞬間に“これがプロのボールか……こんなすごい球を打てるんかな”と思わされたし、あの1球でプロの凄さを実感させられました」

 筒香もまた、杉内のスライダーを瞼に刻んだことが一流への階段を上る原動力の1つになった打者である。

 いい投手がいるからいい打者は育つ。

 一流の技を見せつけられたからこそ、それを乗り越えるために自分も一流へと育たなければならない。打者にとって目の前にそびえ立つ壁になれる投手、それが杉内だったのである。

マウンドでの佇まいと激しい闘争心。

「あのチェンジアップは2回空振りができるよ。それくらいスピードの落差のあるボールだった」

 こう語ったのはやはり巨人の阿部慎之助内野手だ。

 杉内の恐ろしさを知るのは、彼らだけではないし、その恐ろしさはスライダーやチェンジアップだけでもない。

 投手としてのマウンドでの佇まいと激しい闘争心。スペシャルな技術とただならぬ勝負への執念のすべてをさらけ出して、18.44メートル越しに打者と対峙してきたこと。

 それが投手・杉内の大きな仕事だったのである。

すっかり「野球好きのおじさん」に。

「僕が一軍で投げている間は、正直、楽しいと思った試合は1回もなくて、いつもプレッシャー、緊張、怖さとかそっちとの戦いの方があった」

 引退会見で杉内はこう振り返った。

 ただ、3年間のリハビリ生活の中で、KOされた悔しさのあまりにベンチの壁を殴って両手を骨折した激情はもうすっかりなくなっていた。

「若い選手の野球を見ていて“すげえ球、投げるなあ”とかすっかり野球好きのおじさんが見ている感じでした」

 だから引退に悔いはないのである。

(「プロ野球亭日乗」鷲田康 = 文 / photograph by Kyodo News)

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