成河、亀田佳明が熱く語る! 新国立劇場が2024/2025シーズン開幕に放つマクドナーの傑作『ピローマン』

新国立劇場が2024/2025シーズンのオープニングに上演する演劇公演は、映画監督としても人気の高い英国の作家、マーティン・マクドナーの『ピローマン』。凄惨なおとぎ話の作者であり、「ある事件」の容疑者として警察に連行されるカトゥリアンを演じる成河、その兄のミハエルを演じる亀田佳明。互いにリスペクトを寄せ合うふたりが、舞台への取り組みについて、熱く語る。

― 発端はコロナ禍。週に一度のペースで俳優たちがオンラインで集い、様々な戯曲を持ち寄って本読みをした、その中に『ピローマン』があったという。発起人は、小川絵梨子。新国立劇場演劇部門芸術監督にして本作の演出を手がける彼女のもとで、『ピローマン』への取り組みは始まった。

笑えるように書かれたダークコメディ

新国立劇場『ピローマン』チラシデザイン

成河 オンラインでの本読みは、自分たちの心を守るため、でした。勉強、というよりレクリエーションです(笑)。

亀田 なかなか読む機会のない戯曲を持ち寄った中で、『ピローマン』は上演の可能性が非常に高い作品だったと思います。

成河 それがここに結実した──。感慨深いですね。

亀田 絵梨子さんが最も大事にしているのは、俳優同士の関係性、役と役との関係性。それが全てではないかなと思います。そうではない見せ方やそうでない演劇もあるけれど、絵梨子さんにとって、それは重要なポイントなのかなと思います。『タージマハルの衛兵』でもそうでしたし、手を繋いで離さないでいてくれる方でしたから、僕にとってはとても新鮮で、喜ばしい体験でした。

成河 俳優が嘘なく存在する、ということに対して、僕が知る限りでは桁違いのこだわりと情熱を持っている。それはただの情熱でなく、しっかりと理論化され、絵梨子さんの中のメソッドとしていまなお彼女自身が鍛え続けていると思います。簡単についていける人ではありません。『タージマハルの衛兵』では僕も何度も落ちかけましたが、その都度亀ちゃんにガっと掴まって(笑)──。

亀田 それはお互いさま(笑)。

成河 役柄については、まだきちんと分析的に読み込んではいませんが、語り続ける役、ですね。物語っていく人間の狂気は、すごく普遍的なテーマとしてあると思います。

亀田 僕が演じるミハエルは、確実に、純粋なだけでなく、暴力性も残虐性もある人物。でも、どんな役どころも一面的ではない。知恵遅れという描写もあるけれど、本当にそうなのかどうかも怪しいし、純粋かと思えば残虐だし、両面がありますね。とにかく一筋縄ではいかない、でも、それが人間だろう、という気もする。そこは大事にしていきたいと思います。

凄惨かつ絶望に突き落とされるような状況ながら、つい笑ってしまう、いわばダークコメディ。絶望的な状況の中で笑いを生み出すのは、俳優の力に負うところが大きいのではないかと尋ねると──。

成河 コメディの部分を俳優が生み出す、というのはあまりよろしくないことだと思います。それは戯曲が生み出していることであって、特にイギリスの作家にとってのコメディとか笑いは、知性。だから笑いのない状態で真剣に観る説教じみたプレイは、イギリスでは非常に幼稚だと見なされると思います。この状況をいかにクレバーに笑えるか──非常にイギリス的ですよね。

亀田 今回は翻訳も絵梨子さんが手がけていますが、もう翻訳の時点でそういうリズムになっている。俳優が狙ってやらなくても関係性、言葉のやり取りで笑えるように書かれていると思います。

成河 僕はこれまで『ウィー・トーマス』、『スポケーンの左手』に出演したことがあり、マクドナー作品はこれが3本目。彼の作品は舞台も観ますし映画も好きですが、「何で?何で?」とよく考えますね。笑いに関してはすごくイギリス的な知性を感じますが、知性、イコール理性だったりする。これから恐ろしい世界に、見たくなくても連れていくよ、という時に、一つ、理性という武器を渡してくれる──それが笑いであり、そのかわり、目を背けずに見てねと。それでよく見てみると、よく知っている自分の姿、あるいは近親者の姿を見せられて、自分の中で「そうだよ、それそれ!」といったつぶやきがたくさん起こる。人に聞かせる必要のない、普段は声に出せないことでも自分の中でつぶやける場所が劇場ですから、理性さえもっていれば、ものすごく豊かな体験が得られる。それはマクドナーのサジェスチョンではないでしょうか。

亀田 あの振り幅──設定、状況とやり取りのギャップに、心を捕まれるのではないかなと思います。やりとりは軽妙なのに、書かれていることは相当に凄惨。人間そのものの中にある生々しいものを突きつけられる感じと、ちょっと馬鹿馬鹿しいところのアンバランス。何かとても現実的な感じがしますし、ただの空想上のきれいな物語のようにではなく、生々しく入ってくるように思います。

マクドナーをいまいちど再発見する

“物語る者”の、ある種の傲慢さを描き、物語の存在意義を問うているともいえる本作。演じるふたりの俳優自身も、人生の中で「物語」の力を感じた場面があったに違いない。

成河 絶対あるでしょう。そうでなければこの仕事はしていませんね。

亀田 演劇でも映画でもそうかもしれませんが、自分がそれを見たり感じたりする時、自分の人生を通して見ていく、という感覚はあります。本当に当たり前のことですが、その物語を通して自分を知る。知るというか、自分を見つめるということをせざるを得ないというか──。

成河 ただ、いま物語を信じている人なんて本当にいないだろうな、という実感もある。でもこの作品については、安全なところで物語を信じるようなサークル的な集まりにはならないし、本当のところが知りたいと思っている人にとっては、すごく大事な作品になるのではないかと思います。

小川絵梨子演出による『タージマハルの衛兵』で、二人芝居に取り組んで以来の仲だという成河と亀田。お互いをどのような俳優、どのような演劇人として見ているのだろう。

亀田 照れますね(笑)。これほど向き合うことから逃げず、一切目をそらさないでいてくれる人に出会えたということは、僕にとって財産に近いです。とても好きな俳優さんです。ものすごい跳躍力でボーダーを飛び越えていく俳優は、ほかに見たことがありません。頭脳も優れ、柔軟性もある。出会えたことは誇りですし、ずっと一緒にやっていきたいと思います。大事な人ですね。

成河 褒め合ってしまうね(笑)。演劇の現在過去未来という視野で、ロジカルに、喜びをもって、実演もしながら話していける仲間はそうそう多くない。その中でも飛び抜けて信頼できる方です。それはあの、ふたりで作り上げた、苦闘した時間の中で生まれてきたものであり、確信でもある。 はい、大切な人です。
少し補足すると、彼と僕とでは出自が違う。最初はそこに、すごく興味を惹かれました。僕は本当に根無し草のように、あれもこれもと演劇内のいろんな世界を転々としながら、全然違う方法論の中で、なんでこんなにバラバラなんだろうって思いながらやってきました。そんな中で亀ちゃんと知り合い、演劇創作においてドーンと大きな柱、骨格がある人を目の当たりにした。しかも、面白い!! 作ってきたものは全然違うけれど、同じことを考えながらやっていたんだなと後々思ったりもしました。そこからはもう夢中で、いろんなものを交換し合っているような状態です。

そんなふたりが正面から向き合う今回の舞台。期待は限りなく、高まる。

亀田 軽妙さと残酷さみたいなものが、妙な生々しさをもって届き、迫ってくるような作品です。メンバーは絵梨子さんの指針を理解している人が多いですし、そこに乗っかって、揺るぎないものとして立ち上げられたら。日本でも何度か上演されている作品ですから、「なぜ、いまやるのか」という問いを突き破るような立ち上げ方ができたらいいなと思います。

成河 マクドナーの作品は演出家の個性が出やすいと思うし、絵梨子さんの演出するマクドナーは非常に“純正”なマクドナーのように思います。絵梨子さんは──これは完全にいい意味で、ですが、自分の個性というものに特化しない方。マクドナーが好きな方にとっては、マクドナーの脚本ってこういうことが書かれてこうだったんだ、ということを再発見していただけるいい機会になると思います。マクドナーの世界を誰も彼もに強いるのは罪だけれど、でも絵梨子さんは決して露悪的にはしないはずですから、マクドナーのあの気持ち悪さが苦手、という人でも、戯曲に集中してもらえると思います。マクドナー苦手勢の方々はぜひ、ここでリベンジしていただけたらと思います!


取材・文:加藤智子 撮影:田中亜紀

<公演情報>
『ピローマン』

作:マーティン・マクドナー
翻訳・演出:小川絵梨子
出演:成河 亀田佳明 斉藤直樹 松田慎也 大滝 寛 那須佐代子

プレビュー公演:2024年10月3日(木)・4日(金)
本公演:2024年10月8日(火)~10月27日(日)
会場:新国立劇場 小劇場

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2417447

公式サイト:
https://www.nntt.jac.go.jp/play/the-pillowman/

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