『極悪女王』に描かれる「昭和の女子プロレス」が、いまも輝き続ける本当の理由─。
●昭和時代の特別な熱狂
Netflixで配信中の『極悪女王』が大人気を博している。1980年代半ばに全日本女子プロレスのリングでブレイクした長与千種&ライオネス飛鳥の「クラッシュギャルズ」。その敵役だったダンプ松本を主人公に据えたドラマだ。
「クラッシュギャルズ」と「極悪同盟」の抗争が、なぜこれほどまでにファンを熱狂させたのか? そして、あれから40年近く経った現在も観る者の心を熱くさせるのか? 当時、プロレス専門誌『週刊ゴング』の記者として女子プロレスの取材にあたっていたスポーツジャーナリストの近藤隆夫が、その真の理由を考察─―。
全5話を見終えて、懐かしむと同時に当時の情景が見事に再現されていることに感銘を受けた。ストーリーの現実性はともかく、昭和の女子プロレス感が映像から重厚に伝わってきて一気に引き込まれる。ダンプ松本役のゆりやんレトリィバァ、長与千種役の唐田えりか、ライオネス飛鳥を演じた剛力彩芽の演技も見事だった。
私が『週刊ゴング』誌の記者になったのは昭和末期の1985年。18歳で、まだ大学に通いながらのこと。本当は男のプロレスを追いたかったが、編集長から命じられたのは女子プロレスの取材。
(何だかなぁ)
そう思いながら会場に行く。だがそこで目にした光景、熱量に圧倒されたことを現在も忘れることができない。プロボクシング、プロレスの会場で普段は男臭さが充満している後楽園ホール。その場が『全日本女子プロレス』の興行では一変していた。
会場が、当時の私と同世代、もしくは少し下の年代の女性で埋め尽くされている。
「チグサ~!」
「アスカ~!」
クラッシュギャルズがリングに入場すると、そんな叫び声とともに赤と青の紙テープが一斉にリングに舞っていた。試合が始まるとファンは立ち上がり絶叫し続ける。結末に感極まり涙を流す者もいた。その光景はアイドルのコンサートよりも、宝塚公演に近く、さらに予想を超えた熱量を伴うものだった。
クラッシュギャルズと極悪同盟、そしてファンが一体となり生み出す熱量に圧倒された私は、以降の数年間、精力的に女子プロレスを取材し考察するようになった。
あの時代の熱狂は、特別なものだったと思う。
全日本女子プロレスは19年前に消滅した。だが現在も女子プロレスは続いている。『スターダム』『マリーゴールド』『LLPW-X』など数多くの団体があり、闘い模様は豪奢かつスタイリッシュ。技の精度、パフォーマンスにおいては昭和時代のそれとは比較にならないほど進化している。
しかし会場に、かつてほどの熱狂はない。
「時代が違うから」と言ってしまえばそれまでだが、あの時代の熱狂が二度と戻らないのには1つの理由がある。
●限りある命だからこそ熱くなれた
『極悪女王』で描かれていた当時の女子プロレスには、暗黙の決まりごとがあった。
「25歳定年制」。
その年齢に達したらプロレスをやめなければならないと明確に定められていたわけではない。だが25歳が近づくと、会社(全日本女子プロレス)の上層部から引退を促される。
そのことを選手たちもファンも理解していた。
当時は女子レスラーの選手寿命は短かった。
ビューティ・ペアのマキ上田は、75年3月にデビューし79年2月に引退している。リングで輝いたのは僅か4年足らず。ジャッキー佐藤もデビューから6年後にリングを下りた。ジャガー横田とデビル雅美は約9年、ジャンボ堀が7年、大森ゆかりは8年。長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本は同期で80年デビューだが、彼女たちも年号が平成に代わる前後に全女のリングを去っている。
限りあるレスラー生命。
だからこそ、選手たちはリング上で燃え尽きようとしていた。長与も飛鳥もダンプも。その想いはファンに伝わる。
そこに熱狂が生まれていたのだ。
ところが、変化が生じた。
『極悪女王』最終話でも触れられていたが、それまで全日本女子プロレスが独占していたジャンルに新団体が参入する。86年夏の「ジャパン女子プロレス」が旗揚げ。そこに引退していたジャッキー佐藤とナンシー久美が加わった。
私は「ジャパン女子プロレス」の担当記者になった。そして、同団体の代表だった椎名勝英氏に尋ねた。
「引退していたジャッキー佐藤、ナンシー久美を復活させた。全日本女子プロレスが敷いてきた『25歳定年制』をどう考えるのか?」
椎名氏は、こう答えた。
「ジャッキーもナンシーも、まだ20代だぞ。一番いい時期に何でプロレスをやめなきゃいけないんだ。全女さんが選手を25歳で引退させるなら、ウチがその選手たちの受け皿になるよ」
これにより「25歳定年制」は崩壊した。
(育てた人気選手をライバル団体に持っていかれてはたまらない)
そう全日本女子プロレス首脳が考えたからだ。
以降、新団体が次々と誕生し女子プロレスラーの選手寿命は延びた。
選手たちにとっては、よかったのかもしれない。好きなプロレスを30代、40代、50代になっても続けられる。だがそこに、限りある時間に命を燃やすプロレスは存在しない。
限りある命だからこそ熱くなれた─。
『極悪女王』に描かれる「昭和の女子プロレス」がいまも輝き続ける本当の理由は、そこにこそあるように感じる。
近藤隆夫 こんどうたかお 1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。
『伝説のオリンピックランナー〝いだてん〟金栗四三』(汐文社)
『プロレスが死んだ日 ヒクソン・グレイシーVS髙田延彦 20年目の真実』(集英社インターナショナル) この著者の記事一覧はこちら
Netflixで配信中の『極悪女王』が大人気を博している。1980年代半ばに全日本女子プロレスのリングでブレイクした長与千種&ライオネス飛鳥の「クラッシュギャルズ」。その敵役だったダンプ松本を主人公に据えたドラマだ。
「クラッシュギャルズ」と「極悪同盟」の抗争が、なぜこれほどまでにファンを熱狂させたのか? そして、あれから40年近く経った現在も観る者の心を熱くさせるのか? 当時、プロレス専門誌『週刊ゴング』の記者として女子プロレスの取材にあたっていたスポーツジャーナリストの近藤隆夫が、その真の理由を考察─―。
全5話を見終えて、懐かしむと同時に当時の情景が見事に再現されていることに感銘を受けた。ストーリーの現実性はともかく、昭和の女子プロレス感が映像から重厚に伝わってきて一気に引き込まれる。ダンプ松本役のゆりやんレトリィバァ、長与千種役の唐田えりか、ライオネス飛鳥を演じた剛力彩芽の演技も見事だった。
私が『週刊ゴング』誌の記者になったのは昭和末期の1985年。18歳で、まだ大学に通いながらのこと。本当は男のプロレスを追いたかったが、編集長から命じられたのは女子プロレスの取材。
(何だかなぁ)
そう思いながら会場に行く。だがそこで目にした光景、熱量に圧倒されたことを現在も忘れることができない。プロボクシング、プロレスの会場で普段は男臭さが充満している後楽園ホール。その場が『全日本女子プロレス』の興行では一変していた。
会場が、当時の私と同世代、もしくは少し下の年代の女性で埋め尽くされている。
「チグサ~!」
「アスカ~!」
クラッシュギャルズがリングに入場すると、そんな叫び声とともに赤と青の紙テープが一斉にリングに舞っていた。試合が始まるとファンは立ち上がり絶叫し続ける。結末に感極まり涙を流す者もいた。その光景はアイドルのコンサートよりも、宝塚公演に近く、さらに予想を超えた熱量を伴うものだった。
クラッシュギャルズと極悪同盟、そしてファンが一体となり生み出す熱量に圧倒された私は、以降の数年間、精力的に女子プロレスを取材し考察するようになった。
あの時代の熱狂は、特別なものだったと思う。
全日本女子プロレスは19年前に消滅した。だが現在も女子プロレスは続いている。『スターダム』『マリーゴールド』『LLPW-X』など数多くの団体があり、闘い模様は豪奢かつスタイリッシュ。技の精度、パフォーマンスにおいては昭和時代のそれとは比較にならないほど進化している。
しかし会場に、かつてほどの熱狂はない。
「時代が違うから」と言ってしまえばそれまでだが、あの時代の熱狂が二度と戻らないのには1つの理由がある。
●限りある命だからこそ熱くなれた
『極悪女王』で描かれていた当時の女子プロレスには、暗黙の決まりごとがあった。
「25歳定年制」。
その年齢に達したらプロレスをやめなければならないと明確に定められていたわけではない。だが25歳が近づくと、会社(全日本女子プロレス)の上層部から引退を促される。
そのことを選手たちもファンも理解していた。
当時は女子レスラーの選手寿命は短かった。
ビューティ・ペアのマキ上田は、75年3月にデビューし79年2月に引退している。リングで輝いたのは僅か4年足らず。ジャッキー佐藤もデビューから6年後にリングを下りた。ジャガー横田とデビル雅美は約9年、ジャンボ堀が7年、大森ゆかりは8年。長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本は同期で80年デビューだが、彼女たちも年号が平成に代わる前後に全女のリングを去っている。
限りあるレスラー生命。
だからこそ、選手たちはリング上で燃え尽きようとしていた。長与も飛鳥もダンプも。その想いはファンに伝わる。
そこに熱狂が生まれていたのだ。
ところが、変化が生じた。
『極悪女王』最終話でも触れられていたが、それまで全日本女子プロレスが独占していたジャンルに新団体が参入する。86年夏の「ジャパン女子プロレス」が旗揚げ。そこに引退していたジャッキー佐藤とナンシー久美が加わった。
私は「ジャパン女子プロレス」の担当記者になった。そして、同団体の代表だった椎名勝英氏に尋ねた。
「引退していたジャッキー佐藤、ナンシー久美を復活させた。全日本女子プロレスが敷いてきた『25歳定年制』をどう考えるのか?」
椎名氏は、こう答えた。
「ジャッキーもナンシーも、まだ20代だぞ。一番いい時期に何でプロレスをやめなきゃいけないんだ。全女さんが選手を25歳で引退させるなら、ウチがその選手たちの受け皿になるよ」
これにより「25歳定年制」は崩壊した。
(育てた人気選手をライバル団体に持っていかれてはたまらない)
そう全日本女子プロレス首脳が考えたからだ。
以降、新団体が次々と誕生し女子プロレスラーの選手寿命は延びた。
選手たちにとっては、よかったのかもしれない。好きなプロレスを30代、40代、50代になっても続けられる。だがそこに、限りある時間に命を燃やすプロレスは存在しない。
限りある命だからこそ熱くなれた─。
『極悪女王』に描かれる「昭和の女子プロレス」がいまも輝き続ける本当の理由は、そこにこそあるように感じる。
近藤隆夫 こんどうたかお 1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等でコメンテイターとしても活躍中。『プロレスが死んだ日。~ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦20年目の真実~』(集英社インターナショナル)『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文藝春秋)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『柔道の父、体育の父 嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。
『伝説のオリンピックランナー〝いだてん〟金栗四三』(汐文社)
『プロレスが死んだ日 ヒクソン・グレイシーVS髙田延彦 20年目の真実』(集英社インターナショナル) この著者の記事一覧はこちら
10/30 10:00
マイナビニュース