日本最年長の気象予報士・森田正光、天気予報が外れたら?「雑音があっても一切知らん顔をしていました」
放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00~15:50)。10月13日(日)の放送は、気象予報士の森田正光(もりた・まさみつ)さんをゲストに迎えて、お届けしました。
◆日本最年長の気象予報士!
森田さんは、1950年生まれ、愛知県名古屋市出身の74歳。日本最年長の気象予報士として、今なお第一線で活躍しています。
そもそも若い頃から天気に興味があったのかというと、「全然そんなことはなくて……」と森田さん。高校卒業を控えた3年生のときに、「たまたま学校の先生が、『就職試験で気象協会というところが(求人で)来ているから、受けてみたらどうだ?』という話があって。(先生の言う通り、受けてみたら)受かっちゃったんですよ」ときっかけを振り返ります。
森田さんいわく、自身が初めてテレビ番組で天気予報を担当したのは、1978年。当時は、今でこそよく見聞きする“気象予報士”の資格がまだない時代。天気予報が自由化される前だったため、自身による天気予報を発表してはならず、気象庁が出した天気予報をもとに解説する形だったそう。
その後、1993年に気象業務法が改正されたことで天気予報が自由化となり、テレビ局や新聞社など民間の団体でも独自の天気予報をおこなえるようになりました。また、これに伴い、気象予報士の資格が新設。1994年8月に第1回の気象予報士試験がおこなわれ、「資格を持っていて組織に所属をしていればいいということで。それで一気に気象予報士に対する需要が増えたんです」と森田さん。
天気予報の歴史解説を受けて、小山が「自分のなかの言葉として、1884年6月1日に発表された日本初の天気予報を心のお守りにしています。『全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ』っていう、何でも当たりみたいな。でも、これがあったからいまの精度の高い天気予報があると考えたときに、どんなに稚拙でも第一歩を踏み出すのが大切なんだな、と考えるきっかけとして、その天気予報を胸に秘めているんです」としみじみと語ると、森田さんは「素晴らしいですね」と笑顔をのぞかせます。
あくまで予報であるがゆえに、ときには外してしまうことも。その辺りのプレッシャーについては、「ないと思います。あったかもしれないですけど、忘れていますね」と森田さん。なぜなら、「藤原咲平(ふじわら・さくへい)という有名な戦前のお天気博士と言われる人がいて、天気予報をする側の心得として、『そういうことに惑わされるな、自分の思った通りにやれ』ということが書いてあるんですね。それを当時、若いときにその通りだと思っていたので、雑音があっても一切知らん顔をしていました。ただ、(外れたときは)“申し訳ないな”という思いはありましたが、そこに流されてはいけないと思っていました」と自身の予報との向き合い方について言及します。
これに宇賀は、「私もニュース番組でお天気を伝えていたので、いわばニュースのなかで未来のことを伝えているんですよね。もちろん外れることもあるし、逆に誰かを助けることもできる。『明日は外に出ないでください』とか、『台風が来るから』『大雨が降るから』と先に言えるのは、天気予報ならではの特徴だなと思いました」とうなずきます。
気象予報士、お天気キャスターとして長きにわたって天気に携わってきたことで、「昔に比べて自然をよく見るようになりました」と森田さん。「あらゆるものが目に入ってくるんですよ、向こうから訴えてくる感じ。昔は植物に全然興味がなかったのに、特に最近は植物に興味があって。“いま、この季節にこんな花が咲いていたの?”とか、そんなふうに思うようになりましたね」と自身に芽生えた変化について話していました。
また、“島バナナ好き”が高じて、2019年に「島バナナ研究会」を発足させ、2022年に「一般社団法人 島バナナ協会」を設立。代表として島バナナの普及につとめている森田さん。そこでこの日は、森田さん自ら厳選した島バナナをスタジオに持参していただき、森田さんがその魅力について熱弁する場面もありました。
<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
◆日本最年長の気象予報士!
森田さんは、1950年生まれ、愛知県名古屋市出身の74歳。日本最年長の気象予報士として、今なお第一線で活躍しています。
そもそも若い頃から天気に興味があったのかというと、「全然そんなことはなくて……」と森田さん。高校卒業を控えた3年生のときに、「たまたま学校の先生が、『就職試験で気象協会というところが(求人で)来ているから、受けてみたらどうだ?』という話があって。(先生の言う通り、受けてみたら)受かっちゃったんですよ」ときっかけを振り返ります。
森田さんいわく、自身が初めてテレビ番組で天気予報を担当したのは、1978年。当時は、今でこそよく見聞きする“気象予報士”の資格がまだない時代。天気予報が自由化される前だったため、自身による天気予報を発表してはならず、気象庁が出した天気予報をもとに解説する形だったそう。
その後、1993年に気象業務法が改正されたことで天気予報が自由化となり、テレビ局や新聞社など民間の団体でも独自の天気予報をおこなえるようになりました。また、これに伴い、気象予報士の資格が新設。1994年8月に第1回の気象予報士試験がおこなわれ、「資格を持っていて組織に所属をしていればいいということで。それで一気に気象予報士に対する需要が増えたんです」と森田さん。
天気予報の歴史解説を受けて、小山が「自分のなかの言葉として、1884年6月1日に発表された日本初の天気予報を心のお守りにしています。『全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ』っていう、何でも当たりみたいな。でも、これがあったからいまの精度の高い天気予報があると考えたときに、どんなに稚拙でも第一歩を踏み出すのが大切なんだな、と考えるきっかけとして、その天気予報を胸に秘めているんです」としみじみと語ると、森田さんは「素晴らしいですね」と笑顔をのぞかせます。
あくまで予報であるがゆえに、ときには外してしまうことも。その辺りのプレッシャーについては、「ないと思います。あったかもしれないですけど、忘れていますね」と森田さん。なぜなら、「藤原咲平(ふじわら・さくへい)という有名な戦前のお天気博士と言われる人がいて、天気予報をする側の心得として、『そういうことに惑わされるな、自分の思った通りにやれ』ということが書いてあるんですね。それを当時、若いときにその通りだと思っていたので、雑音があっても一切知らん顔をしていました。ただ、(外れたときは)“申し訳ないな”という思いはありましたが、そこに流されてはいけないと思っていました」と自身の予報との向き合い方について言及します。
これに宇賀は、「私もニュース番組でお天気を伝えていたので、いわばニュースのなかで未来のことを伝えているんですよね。もちろん外れることもあるし、逆に誰かを助けることもできる。『明日は外に出ないでください』とか、『台風が来るから』『大雨が降るから』と先に言えるのは、天気予報ならではの特徴だなと思いました」とうなずきます。
気象予報士、お天気キャスターとして長きにわたって天気に携わってきたことで、「昔に比べて自然をよく見るようになりました」と森田さん。「あらゆるものが目に入ってくるんですよ、向こうから訴えてくる感じ。昔は植物に全然興味がなかったのに、特に最近は植物に興味があって。“いま、この季節にこんな花が咲いていたの?”とか、そんなふうに思うようになりましたね」と自身に芽生えた変化について話していました。
また、“島バナナ好き”が高じて、2019年に「島バナナ研究会」を発足させ、2022年に「一般社団法人 島バナナ協会」を設立。代表として島バナナの普及につとめている森田さん。そこでこの日は、森田さん自ら厳選した島バナナをスタジオに持参していただき、森田さんがその魅力について熱弁する場面もありました。
<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00~15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/post/
10/21 20:00
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