見事なバランスに仕上がった『シンデレラ』を筆頭に、ディズニー実写映画の「ポリコレ」について考える

金曜ロードショーで放送される実写映画版『シンデレラ』。理想的なリメイクとしてのバランスが取れていた本作を筆頭に、ディズニーの実写映画8作品から、ネガティブな意味で取り沙汰されやすい「ポリコレ」について考えてみます。(サムネイル画像出典:(C)2015 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.)

2024年4月26日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて実写映画版『シンデレラ』が地上波放送されます。

ディズニーの実写映画で見受けられる「工夫」を見てほしい

ディズニーの実写映画で、よく取り沙汰されるのは「ポリティカル・コレクトネス」。「社会における、特定のグループに属するメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策や対策」を示す言葉の総称ですが、「ポリコレ」と略した上で、さまざまな配慮がされたりオリジナルからの改変がある創作物に対し、ネガティブな意味合いで用いられることも多くあります。

後述するように、近年のディズニーの実写映画では、配役に関する炎上が目立ってしまったのですが、それ以前の実写映画では批判意見はそれほど強くなく、特に2015年の『シンデレラ』は「オリジナルの物語への尊重」「価値観のアップデート」「新たな解釈を促す奥深さ」を備えた、理想的なリメイクとしてのバランスが取れていたとも思います。

そして、物語および表現では往々にして「実写リメイクのための工夫」が凝らされていることにも注目してほしいのです。

今回の『シンデレラ』を筆頭に、代表的なディズニーの実写映画作品を8作品挙げつつ、その理由を記していきましょう。なお、いずれも現在はDisney+(ディズニープラス)で見放題となっています。

1:実写映画版『シンデレラ』でより能動的になったキャラクター

2015年の実写映画版『シンデレラ』で語られているのは、「王子様との幸せな結婚をする」という、原作の童話およびオリジナルのアニメ版を尊重した、王道のプリンセスストーリー。しかし、シンデレラと王子が、より能動的な言動をするキャラクターになっていることが重要でした。

例えば、シンデレラは意地悪な継母と義理の姉たちの仕打ちにただ耐え忍ぶだけでなく、「今まで幸せに暮らしていた家を守りたい」としっかりした目的意識を口にしています。王子はオリジナル版ではほとんどバックグラウンドが見えない存在でしたが、今回は「弱小国のために政略結婚を迫られている」立場で、「周りが勝手に決めること」に自らの意志であらがおうとしています。

また、今回の王子は初めて会った時のシンデレラに自分の身分を教えず、あくまで「キット」という愛称で呼ばれる自分を見て欲しいと訴えているように見えます。シンデレラも、王子が気にしていた「見た目」や「お金」や「身分」を全く気にしない、ただ目の前にいる人に優しく親切な女性でした。

こうしたところから、オリジナル版と物語の大筋は同じであっても、「玉のこしに乗る」話ではない、2013年のアニメ映画『アナと雪の女王』に通ずる「ありのまま」の自分の肯定や、本当に愛する人との結婚の素晴らしさを訴える、現代的な価値観を示した見事なアップデートが行われているというわけです。

継母は単純な悪役ではなくなった

さらに重要なのは、オリジナル版の継母は分かりやすく悪人として描かれてたのに対して、今回は冒頭で「感性が鋭く、趣味の良い女性でした」「愛する人を失った悲しみを、美しく身にまとっていました」「とても快活な女性で、家に活気と笑いを取り戻そうとしていました」とナレーションで語られているように、「それだけではない」人物だと示されていることです。

今回の継母は、シンデレラへの嫉妬心を抑えられず、彼女を家に閉じ込めてしまった以外でも、「自分の幸せにもつながる良い選択ができなかった」悲しい存在と言ってもいいですし、似たような境遇の人は現実にもいるのだろうと想像できる存在にもなっているのです。

黒人の護衛隊長が登場した理由

さらに、護衛隊長が黒人の男性(演じているのはナイジェリア系イングランド人のノンソー・アノジー)であることも、今回の実写映画のオリジナル設定。彼は「舞踏会で誰を呼んでも私は構いません、楽しければいいです」と「人を選ばない」言葉も告げており、その配役はもちろんキャラクター性からも多様性の肯定を訴えた存在といっていいでしょう。

(劇中の衣装からすればおそらく)19世紀当時は、今よりも人種差別が苛烈で、王国の護衛隊長まで昇進するのは考えづらいでしょう。それでも、人種に関係なく、王子の良き理解者であり、「真実の愛」を信じてはっきりとした提言をする彼の存在は、決して短絡的な配役でも設定でもない、「ありのままのその人を見てあげる」大筋の物語とリンクする、大きな意義のあるものだったと解釈したいです。

2:実写映画版『美女と野獣』で波紋を呼んだゲイのキャラクター

2017年の実写映画版『美女と野獣』では、家具の召使いにチェンバロのキャラクターが追加されたり、パリのシーンが新たに作られたりするなど、オリジナル版から変更点がいくつかあります。そして、ゲイのキャラクターが登場する報道により、マレーシアでは公開が中止に、ロシアでは年齢制限付きで公開されるなど、波紋を広げました。

そのゲイのキャラクターの1人がル・フウ。しかし、彼がゲイであるとはっきりと示したシーンは劇中には存在しません。相棒である悪役ガストンへの言動から「ひょっとすると」と気付かせるようなバランスで、マレーシア政府がカットを要求したシーンもほんの3秒ほどであったそう。最後まで、彼がゲイだと気付かなかった人も多いでしょう。

個人的には、実写映画版のル・フウは相棒に複雑な思いを抱いている様に「愛情」が垣間見えるキャラクター描写として秀逸でしたし、決してオリジナル版をないがしろにもしていない、その「打ち明けられない」心情が伝わってくることにも切なさを感じたので、こちらも肯定したいのです。

ちなみに、劇中ではゲイのカップルがハッピーエンドを迎えたことが分かる描写もあったりします。終盤で女性の格好をさせられて喜んでいるキャラクターが、その後にどうなったのか、注目してみるとよいでしょう。

3:『アラジン』は人種にこだわった配役も含めて絶賛の嵐に

2019年の『アラジン』はディズニー実写映画の最高傑作の呼び声が強い1本。2017年に「2000人をオーディションしても、歌って演技もできる中東系もしくはインド系の新人俳優が見つからなかった」と報道がされるほどキャスティングには難航していたものの、実際に抜てきされたメナ・マスードの抜群の身体能力、ナオミ・スコットが表現した主体的なヒロイン像は、オリジナル版の尊重、その舞台および人種にこだわった配役としても完璧というほかありません。

オリジナル版からの変更点で特に大きいのは、ヒロインの親友でもある侍女を登場させたこと。「1人ぼっちの王女のために親友を創造させる」作り手の優しさを感じましたし、ほかにもランプの魔人ジーニー役のウィル・スミスのハイテンションぶり(と垣間見える寂しさ)や、その他の細かな変更点、実写ならではの幕切れも理想的というほかありません。今後のディズニー実写映画化においても、1つの指針となるでしょう。

4:『ムーラン』は内容とは異なることで炎上、映画本編もやや賛否両論に

2020年の実写映画版『ムーラン』は、残念ながら映画本編の内容とは異なることで炎上してしまいました。中国系アメリカ人俳優のリウ・イーフェイの起用が発表された時は支持を得たものの、そのリウ・イーフェイが香港での抗議デモを鎮圧する中国警察を支持する声明をSNSに投稿したため、批判が殺到。さらに、強制収容が指摘される場所での撮影が判明し、少数民族迫害を容認しているのではないか、という怒りの声も届いたのです。

映画本編の評価はやや賛否両論。オリジナル版からミュージカル要素がなくなり、コミカルな龍のキャラクターが除外され、代わりに悪役となる「魔女」と主人公の関係がクローズアップされるなどのアプローチがされているほか、ワイヤーアクションを多用した剣闘シーンにも好みが分かれるのは致し方ないでしょう。

しかし、実写にしたことで主人公が男性社会の中で男装し活躍する上での意図的な「居心地の悪さ」が強調されており、男尊女卑への批判的なメッセージ性がより際立っていたことは支持をしたいポイント。クライマックスのアクションも、実写ならではの躍動感とカタルシスがあったと思います。 

5:『クルエラ』は悪役を主人公にしつつ独自の魅力を打ち出した快作に

1996年と2000年にも実写映画版が公開された『101匹わんちゃん』の実写リメイクでありつつ、悪役のクルエラを主人公とした2021年の作品。重要なのは、女性1人と男性2人が友情を超えた家族になる物語であり、その関係が「恋愛ではない」こと。アウトローな家族の生き様はすがすがしく、イケイケなファッションと音楽、キレキレの演出で最後まで楽しく、「ざまぁ!」と思えるスカッと爽やかな展開が待ち受けているのもたまりません。

同じく悪役を主人公に据えた実写映画には、2014年と2019年制作の『マレフィセント』もありましたが、こちらはいわゆる「ツンデレ」なマレフィセントのキャラクターが楽しい反面、王子や3人の妖精、実の母への扱いには批判も多くありました。対して今回の『クルエラ』はキャラクターに愛情を示しつつ、ピカレスク・ロマン的な物語に仕立てることで、独自の魅力を打ち出した革新的な内容に仕上げていたと思います。

6:『ピノキオ』はアップデートが表面的すぎる問題も

2022年の実写映画版『ピノキオ』の評価は賛否両論、というよりも批判的な意見も目立っていました。炎上をしてしまったのは、オリジナル版のブルー・フェアリーがブロンドヘアの白人女性だったのに対し、今回はスキンヘッドの黒人女性(演じているのはナイジェリア人を両親に持つイギリスの俳優のシンシア・エリヴォ)であること。オリジナル版を愛する人から「イメージと違う」という拒否反応が生まれてしまう心理は理解できるものの、度を越して苛烈な批判も見かけました。

肝心の内容は、個人的には現代的なアップデートがやや表面的なものに収まってしまっていると感じました。「インフルエンサー」という現代的な言葉を使ったり、少女との交流の物語が付け加えられたり、クジラがファンタジーのモンスターの造形になっているなど、オリジナル版からの変更点がほとんど物語に影響を及ぼさないことが気になりました。ラストシーンでは、ナレーションで「多様な解釈を促している」ようで、映像面では「解釈を限定してしまっている」演出がなされているようなチグハグさも感じます。

2022年同年にアカデミー長編アニメーション賞受賞を受賞した『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』と比べられてしまったことも、評価が芳しくなかった原因の1つかもしれません。とはいえ、序盤のゼペットじいさんの住まいの美術や、いい意味で不道徳な出来事に満ちあふれている遊園地の描写など、実写ならではの魅力も大いにあります。

7:『ピーター・パン&ウェンディ』は新たな物語の解釈が面白い

2022年の実写映画版『ピーター・パン&ウェンディ』もまた、内容は賛否両論の評価となりましたが、個人的には支持をしています。オリジナル版の物語の流れを踏襲しつつ、ピーターとフック船長の愛憎入り交じる関係性が描かれ、「なぜ2人は仲違いをしたか」の理由を解き明かすとともに、フック船長を「大人になれなかった」悲しい存在として描く、新たな物語の解釈に意義を感じたからです。ウェンディの素質を「現実主義的」にするのも今ならではの価値観のアップデートでしょう。

そして、こちらも配役が批判を呼んでしまいました。妖精ティンカーベルを演じたのが、アフリカ、イラン、インディアン部族のルーツを持つ俳優のヤラ・シャヒディだったからです。しかし、実際に見てみれば、怒った顔も含む表情の愛らしさ、緑のワンピースや結んだ髪形はティンカーベルそのもので、個人的には抵抗なく受け入れることができました。

そのほか、ウェンディ役のエヴァー・アンダーソン(ミラ・ジョヴォヴィッチの娘)、ピーター役のアレクサンダー・モロニー、「ロスト・ボーイズ」の1人を演じたダウン症の俳優であるノア・マシューズ・マトフスキーも、見事にハマっていた、的確なキャスティングだったと思います。

8:『リトル・マーメイド』は圧倒的な画で多様性を示していた

2023年の『リトル・マーメイド』は特に配役が炎上してしまった例として、多くの人に認識されていることでしょう。主人公のアリエルをアフリカ系の歌手であるハリー・ベイリーが演じており、実際に映画を見た人からは伸びやかな歌声や愛らしいキャラクター性を支持する声が多かったものの、それでもオリジナル版とイメージが異なるという反発の声は大きく、日本でも大きな論争を呼びました。

映画の内容としては、オリジナル版から大筋の物語を変えることなく、多様性の素晴らしさを訴えることに成功していると思います。たとえば、アリエルと王子が同じく「収集家」でオタクな面を見せたり、人間の市場でたくさんの商品があることを見せたり、何より圧巻の画が映し出されるラストなど、実写映画ならではのアレンジが生きているのです。ハリー・ベイリーの表情の固さを指摘する意見も多かったですが、個人的には実写ならではの「オーバーにしすぎない」演技として的確だったと思います。

多くの人が納得できるバランスになっている作品も多い

こうしてまとめると、やはり最近のディズニーの実写映画は配役への批判が目立つものの、物語そのものはオリジナルを尊重しつつも「そのまま」にはせず、現代ならではの価値観をアップデートする作品が多く、ゆえに、多くの人が納得できるバランスになっていると感じます。

個人的には、人種が特に定まっていないキャラクターであれば、他の人種の役者が演じても構わないとも思うのですが、『ムーラン』『アラジン』という舞台や人種がはっきりしている作品であれば、それ以外の人種が演じるのは筋違いになってしまうとも感じます。この2作で、人種にこだわったキャスティングがされたことも支持したいのです。

『白雪姫』に批判が寄せられるものの、それでも期待したいこと

その上で、今後のディズニー実写映画化の企画も楽しみなのですが、残念ながら2025年3月21日に全米公開予定である『白雪姫』の実写リメイク『Snow White and the Seven Dwarfs(原題)』が、またしても配役の部分で批判されているのも事実です。 ラテン系アメリカ人のレイチェル・ゼグラーが配役された時から、批判を超えた人種差別的、誹謗(ひぼう)中傷と捉えられる書き込みが続出し、レイチェル・ゼグラー自身が「オリジナル版は女性の社会的地位や役割に対する考え方が古い」などと否定的な発言を繰り返したことが、火に油を注いでしまいました。

さらに、『白雪姫』のオリジナルの監督を手掛けたデヴィッド・ハンドの息子は、「Woke(本来は人種を理由にさらされる脅威や不平等への意識の意味)にこだわるあまり、物語からキャラクターから何もかも変えてしまうなんて、はっきり言って過去の名作を侮辱する行為」と、実写映画版に否定的なコメントもしています。

どちらの意見も一理あるとは思えるのですが、やはり実際に映画を見てみないとオリジナル版を尊重しているかどうかは分かりませんし、配役や発言だけで作品を全否定するのもまた極端であると思います。

例えば、新たな価値観を提示しつつ、昔ながらの「王子様との結婚」を否定しないのは、実写映画版『シンデレラ』はもちろん、2009年のディズニーのアニメ映画『プリンセスと魔法のキス』でも描かれたことでした。

また、これからのディズニーの実写映画では、往年の人気のあるアニメのリメイクばかりではなく、新たな作品で人種の多様性を推していくことも、必要になっていくのかもしれません。

「ポリコレ」という言葉を使うと単純な批判になってしまいがちですが、多様性を提示し、それによってより多くの人への勇気や希望を与えるディズニーのアプローチそのものは、大いに支持したいと改めて思います。実際にこれらの実写映画を見て、そのことを考えることにも、確かな意義があるはずです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。 
(文:ヒナタカ)

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