武部聡志。日本で一番多くの歌い手と共演した音楽家が抱く「音楽への危機感と希望」

武部聡志


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ユーミンこと松任谷由実のコンサートツアーやテレビ番組『FNS歌謡祭』の音楽監督としても知られる作・編曲家、音楽プロデューサーの武部聡志が、集英社新書から『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』を出版した。

ユーミンを始め、吉田拓郎、松田聖子、中森明菜、玉置浩二といった日本を代表するシンガーから、米津玄師やYOASOBI、Ado、藤井風といった若手ミュージシャンまでの「歌の良さ」を深掘りし、彼らの歌がなぜ我々の心に響くのかを分かりやすく解説している。

ではなぜ今「歌い手」に焦点を当てた本を出そうと思ったのか、武部氏を直撃する。

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■カラオケのうまさなどとは全然違う次元にプロのボーカリストはいる

――ボイトレの先生や音楽ライターの書いたボーカリストについての本はあっても、武部さんのような作曲家や音楽プロデューサーの方が書かれたボーカル論というのはあまりなかったと思います。

武部 そうかもしれないですね。自分で言うのも変ですけれど、CD、ライブ、テレビ番組などを含めると、僕はおそらく日本で一番多くのボーカリストのバックで演奏したことがある人間だと思います。その中で、ピアノを弾きながら歌に感動して涙することもあったし、逆にボーカリストに刺激されてテンションが上がることもありました。そういう場を経験してきた人間じゃないと書けないような、音楽評論家では書けないようなボーカル論を書いてみたいな、というのが今回の本を出そうと思ったそもそものきっかけです。

――それはなぜですか。

武部 たとえば最近、カラオケ番組で音程のグラフが出てきて、これにピッタリ合って歌えたら100点、なんてことをよく目にしますよね。ああいうのって非常にナンセンスだと思ったんです。「歌のうまさ」って、そういうところにはないものなんです。

もちろん音程が合ってるとかリズムが合ってるとか、それらも大事ではあるけれど、みなさんが歌を聞いて心を震わされたり、涙したり、勇気をもらったり、そういうのって技術的なうまさとは違う部分によるところが大きいはずです。

そこで、僕がキャリアの中で関わってきたアーティストのことを振り返ってみると、みんなそういう部分をすごく大事にしてる個性的な歌い手が多かったなと思ったんです。だからこの機会に、「今まで出会ったボーカリストたちがなぜこんなに長い間、支持されてきたのか」、「なぜ今でも第一線にいられるのか」ということをまとめたかった。カラオケで点数が何点だったなどとは全然違う次元にプロフェッショナルがいるっていうことをみんなに知ってもらいたかったんです。

――歌のうまい下手ではなく、そもそも「歌とは何か」という話ですね。

武部 そうです。だって歌って、メッセージや物語を伝える手段であって、それはうまい下手で決められるものはないんです。そういうすごく大切な表現方法を、最近はおろそかにされてる気がします。

例えば今はみなさん、音楽をスマホやパソコンで「ながら聞き」するじゃないですか。僕らの世代は新譜が出たら、歌詞カードを見ながら、ステレオの前に正座して聴くみたいなことをしてましたよね。今の時代、音楽という表現がすごくおざなりにされてるような気がして、そこに一石を投じたかった。

作り手や歌い手は、もっとこんな思いを込めて作ったり歌ったりしてるんだよ。歌い手たちはみんなが思ってる以上に、表現力が豊かで、個性的で、その人にしかできないことをやってるんだよ。そういうことを、本書を通じて知ってもらいたかったんですよね。

――実際、今の音楽は以前と比べてつまらなくなったと思いますか?

武部 J-POPの中にいろんなジャンルの音楽が生まれてきたのはすごくいいことだと思います。ヒップホップもあれば、アコースティックなものもあれば、ロックもあって、ブラックミュージックに寄ったものもあって。今、いろんなアーティストがいろんなジャンルの音楽を自由に表現ができるようにはなってきたのはすごくいいことです。

その反面、やっぱり音楽が聞き流されてしまいがちになっていて、心に刺さるような音楽が減っている。それは作り手である我々の問題でもあると思います。だから、なるたけ刺さる音楽を作りたいし、そういうボーカリストがどんどん出てほしいと思っています。

――そんな中で本書では、武部さんと関係性の深い松任谷由実や吉田拓郎さんはもちろんですが、近年登場した歌い手についても触れられています。例えばYOASOBIやAdo、藤井風といった若手のことも、彼らの歌声がなぜ我々の心を動かすのか、結構なページを割いて語っています。

武部 そうですね。本の中では、例えば藤井風くんとか、Mrs. GREEN APPLEの‎大森元貴くん、Tani Yuukiくんのことも書きましたけど、他にもimaseくんとか、崎山蒼志くん、君島大空くんとか、気になる若手はたくさんいるんです。今回は自分との関係性が強い人にページを割いたので書ききれなかった人も多いんですけど、みなさんに敬意を持って見ています。

だってエンターテインメントの世界って、音楽だけじゃなくて、小説でも映画でも、変えていくのは若い人じゃないですか。自分たちが若い頃もそうだったけど、既存のものをどうやって壊していこうかとか、今までなかったものをどうやって生み出していこうかとか考えるのは若い人たちです。だから僕はそういう人たちがのびのびと音楽ができる環境を作るのが最後の仕事かなって思っていますね。

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■ユーミンや一青窈を間近で見てきてリスナーに伝えたかったこと

――松任谷由実さんについては一番ページを割かれていますが、単純な歌い方だけではなく、ユーミンの人生と歌との関係や、コンサートとの関係、コード進行の変遷などと絡めて論じられているところが、武部さんならではの視点だと感じました。

武部 そうですね。やっぱりユーミンとは接してきた期間が長いので、さまざまな変化を近くで見てきました。でもユーミンは、例えば年齢とともにキーが変化していくことについても、すごくポジティブに受け止めてる人だと思います。だから、単に「荒井由実時代」「松任谷由実時代」と分けるだけでなく、いろんな時期ごとにいろんな変化があったことを書いてみたかったんです。

あと、これはすごく失礼な言い方かもしれないけど、ユーミンはボーカル力とか、ものすごく歌がうまいとかで評価されて売れた人ではないと思うんです。でも売れたのには複合的な理由があると思います。作家性の高さや曲の素晴らしさはもちろん、その届け方、コンサートの演出まで。自分の声を理解した上で、それが一番おいしく届くような曲を書いて、選んで、届ける。そういう歌い手がいつの世も一番強いんだっていうことを伝えたかったんですね。

――ユーミンや拓郎さんとの印象的なエピソードも多数登場しますが、武部さんが編曲を手掛けられた一青窈さんの『ハナミズキ』についての話も非常に印象的でした。おそらく多くの人があの曲はラブソングだと認識していると思いますが、武部さんは本書の中で、「反戦歌」であると述べられています。

武部 もちろん歌はいろんな捉え方があるので、ある人は恋愛の歌として、ある人は親子の愛として、ある人は世界平和の歌として捉えてくださっていいと思ってるんですけど、送り手側としては「君と好きな人が 百年続きますように」という歌詞には、「みんながそういう思いを持ったら争いはなくなる」という意味を持って作った歌だということは伝えたかったんです。本人もコンサートのMCなどで話したことがありますけど、なかなか深いところまでは話せないですからね。

『ハナミズキ』はアメリカで同時多発テロが起こった際に、現地に住む彼女の友人とその恋人のことを思って書いた歌で、2人が乗れる箱舟が救いに来てほしいっていう気持ちが込められています。「水際まで来てほしい」という歌詞や、「どうぞゆきなさい お先にゆきなさい」と船に乗るのを譲り合う光景や、「果てない波が終わりますように」という歌詞も出てきます。

でもこの歌で歌われている思いは、戦争だけに限らず、いろんな関係において大事なことだと思っていて、だから広い意味ではラブソングになるんじゃないかと思いますね。

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■日本の音楽が世界中で受け入れられるようになる

――本書では80年代から2020年代までの大勢の歌い手について論じられていますが、その間に音楽の聴き方がどんどん変わっていきました。音楽単体ではなく動画で見る人が増えたり、テレビを観る人が減ったりしていますが、武部さんはそういった変遷をどう見ていますか?

武部 僕は45年、音楽の仕事をやってきて、音楽を届けるメディアも変わったし、音楽を作るための技術的なことも変わってきて、そういうものの進化や発展には常に敏感でいなくてはいけないと思っています。だけど、やっぱり音楽そのものがぞんざいに扱われている状況に関しては、僕はすごく否定的だし、失礼だなと思うこともあります。

例えば映画を倍速で観たり、音楽でもイントロや間奏を飛ばして聴いたりするっていう話がありますよね。クリエイティブな人は、音楽だけじゃなく映画でも小説でも建築でも何でもそうですけど、それこそ命がけで作ってるわけで、それなのにそんな受け取り方をされてると聞くと、もう少し作り手の意図を汲んで、表現をきちんと受け止めてよって思いますね。

――音楽をアルバム単位で聴くということも減りました。

武部 最近そういうことって減りましたよね。そもそもCDプレイヤーを持っている人も少ないし、家にテレビがない人も多いですよね。でも、だからと言って「最近の若者はろくにきちんと音楽を聴かないで」って片付けてしまうのも違うと思います。今はスマートフォンで音楽に触れることが主流なのは確実なことので、それでも届く音楽、刺さる音楽っていうのを僕たちは考えていかなきゃいけないし、受け取り手ももっと丁寧に聴いてほしいと思うわけです。

テレビ番組に関しては、要するに視聴者からしたらテレビ自体が面白くないんだと思います。それは音楽番組だけに限らず、どんな番組においてもリアリティがないから。昭和の頃の音楽番組はみんな生放送で、放送事故とか何が起こるか分からない怖さもありましたけど、その分すごくリアリティがあって面白かったですよね。

僕はテレビに関しては作り込まれたものよりもリアリティがあるもののほうが視聴者に届くと思うので、テレビが今後生き残っていくためには全部生放送にするしかないんじゃないかと思ってます。でも今はコンプライアンスの問題もあって言いたいことも言えないし、気にしなくちゃいけない細かいことも増えました。そういうこともテレビをつまらなくしている原因かもしれないと思います。いつかまた、昭和の生放送の音楽番組のような番組に携われたらいいなって思いますね。

――最後に、今後の音楽界に期待することは何ですか?

武部 やっぱり、僕らの世代でなしえなかった、世界で評価される日本人アーティストがもっと増えることですね。坂本九さんの『上を向いて歩こう』以降、誰も全米チャート1位を取っていないのです。それも、日本語の歌詞で。アニメのテーマ曲が世界でヒットする例はありますけど、そこだけに留まらず、歌モノの音楽がそれ単体で世界的な評価を得るようになってほしいなと思いますし、今後どんどん生まれてくる可能性はあるんじゃないかと思います。

もしかしたらYOASOBIがそうなるかもしれないし、藤井風くんがなるかもしれない。そういう兆しは確実にありますよね。日本の音楽が日本語で、世界中で受け入れられるようになる。そういうアーティストが生まれていってほしいですね。そしてそういう期待を密かに抱いている歌い手たちをこの本でたくさん取り上げているので、ぜひ読んでいただきたいですね。

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【写真】武部聡志

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■武部聡志(たけべ・さとし)
1957年生まれ。作・編曲家、音楽プロデューサー。1983年より松任谷由実コンサートツアーの音楽監督の他、一青窈、今井美樹、平井堅、JUJU 等のプロデュース、音楽番組『FNS歌謡祭』や『MUSIC FAIR』の音楽監督などを歴任。

■集英社新書『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』
日本で1番多くの歌い手と共演した音楽家が語るかつてない"究極のボーカル論"――。
真の「優れた歌い手」は何が凄いのか?
音程やリズムが正確な「うまい歌い手」であっても、それだけでは時代も世代も超えて人々の心を揺さぶる「優れた歌い手」ではない。
彼らはテクニックではなく、もっと大切なものを音楽に宿しているのだ。
1970年代から音楽界の第一線でアレンジャー・プロデューサーとして活躍し、日本で一番多くの歌い手と共演した著者が、松任谷由実や吉田拓郎、松田聖子、中森明菜、斉藤由貴、玉置浩二、MISIA、一青窈など、優れた歌い手たちの魅力の本質を解き明かす。

■武部聡志・著『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』刊行記念イベント
11月29日(金)19:00よりNHKカルチャーセンター青山教室で開催 
これまで出会ってきた優れた歌い手たちの魅力を武部聡志さんが語りつくす貴重な会です。書籍購入特典として、サイン会・撮影会もございますので、ぜひお越しください。(オンラインでの参加も可能です)

詳細はこちら

取材・文/酒井優考 撮影/山添 太 ヘアメイク/下田英里

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