ひろゆき、中野信子と脳を科学する① 中野信子が脳科学者を目指したワケ【この件について】

「中学生の頃、『脳を勉強しないと私は生き延びられない』と思ったんです」と語る中野信子


「中学生の頃、『脳を勉強しないと私は生き延びられない』と思ったんです」と語る中野信子

ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。今週からは脳科学者の中野信子さんがゲストです。中野さんはなぜ、脳科学者を目指したのか。それには小さな頃の体験や環境などが大きく影響しているそうです。

***

ひろゆき(以下、ひろ 今回から新たなゲストをお迎えします。脳科学者の中野信子さんです!

中野信子(以下、中野) よろしくお願いします。

ひろ 早速ですが、中野さんはなぜ脳科学者の道を選んだんですか?

中野 私は幼い頃から「コミュニケーションに難がある」とよく指摘されていました。自分ではその認識はなかったんですが、実際に変な振る舞いをしてしまうことが多かったようです。それで次第に「もし自分の行動に生物学的な基盤を求めるなら脳だ。脳を勉強しないと私は生き延びられない」と思うようになったんです。それが中学生の頃でした。

ひろ かなり早熟ですね。

中野 そうですね。ただ、振る舞いが変でも成績が良ければ免罪符になっていたんです。しかし、それが許されるのは高校卒業までだろうと。でも、学者ならある程度の変人でも許容されるのではないかという期待がありました。

ひろ 具体的に何が変だと思われていたんですか?

中野 当時は、いわゆる「写真記憶」の能力があったんです。授業で見たものを写真で撮ったように覚えられました。その能力のおかげでテストは毎回高得点が取れるんです。そして、当時の私はこの写真記憶が同級生も同じようにあるものだと思ってました。

ひろ おお、嫌な予感しかしないです(笑)。

中野 「授業で学んだことを書けば100点を取るのが当たり前なのに、なんでみんなは70点くらいしか取らないんだろう」と(笑)。だから先生に花を持たせるために100点を取らないのが礼儀なのかなとか考えました。そして事件が起きます(笑)。

ひろ ついに(笑)。

中野 「みんなはどうして100点を取らないの?」と周りの人に聞いてしまったんですよ。そうしたら周りの人がサーッと引いたんです。あのときの「しまった」という気持ちは今でもよく覚えています。その出来事があって、私は「空気を読む」ということができないし「みんなのルールと私が生きているフレームが違う」ことに気づきました。

ひろ 空気を読めるようにしようとは思わなかったんですか?

中野 そのトレーニングには相当な時間がかかるだろうと思いました。だから、なんとか脳の仕組みを理解して、自分の足りないところを補おうと思ったんです。

ひろ 空気を読めない原因を、ご自身ではどう分析されます?

中野 ある社会科学の分野の方の言葉を借りると、「多くの人は生まれてくるときに〝台本〟を持っている」らしいんです。ただ、「ごくまれに台本を持って生まれてこない人がいる」と。みんなが最初からインストールされているアプリが、私には入っていないような感覚ですね。

ひろ 最近話題の「境界知能」(平均的ではないが知的障害でもない、IQ70以上85未満の状態)の人って約7人にひとりいるといわれるじゃないですか。そういう人は学校にいなかったんですか?

中野 いなかったですね。

ひろ 中学から進学校に通っていたんですか?

中野 私立の中学校に通っていました。私は成績が良かったので授業料が安く済むという理由でそこを選びましたが、同級生は比較的裕福な家の子が多かったです。

ひろ というと、ある程度経済的に恵まれた家庭の子供たちが集まっていて、多様性の少ない環境だったわけですね。そんな中にひとりだけ中野さんという変わった子がいたと。

中野 もっと詳しく言うと、ハイコンテクストのコミュニケーション(言葉以外のコミュニケーション)を小さいうちからできる人たちが集まっている学校だったと思います。

ひろ 空気が読めるのはもちろん、相手の表情や声のトーンからも感情が読める、つまり、コミュ力も抜群に高い人たちが周りにいたわけですね。

中野 そういう人たちに囲まれてしまった感じです。

ひろ 親が金持ちだと、いろんな大人と交流する機会が多くなるじゃないですか。で、「この人には逆らってはいけない」「この人には生意気を言ってもいい」といった空気を読む力が身につきやすいですよね。中野さんみたいな特性を持つ人は、あまり偏差値の高い学校に行かないほうがいいのかもしれませんね。小学校は公立だったんですよね。そのときも少し浮いていたんですか?

中野 はい。茨城県の小学校でした。周りの子は農家のお子さんが多くて、体が頑健で身体能力も高く、勉強よりも外で遊ぶことを優先するような環境でした。私はそこに東京からいきなりやって来た。しかも言葉遣いも少し違う。確かに浮いていたと思います。

ひろ つまり、小・中・高と、常にエイリアンとしてのポジションだったんですね。

中野 そうなんです。だから「あの子は成績はいいけどちょっとおかしいね」とか「将来、犯罪者になるかもしれない」なんて言われたりもしました(笑)。

ひろ マジですか。

中野 はい。歴史小説などで勝った武将が、敵方の女性や子供の処遇を決める場面があるじゃないですか。ああいうときは、女子供であっても容赦なく処刑するほうが将来の禍根を絶つことができますよね。

ひろ 恨みを買わないですからね。源氏は平治の乱で平家に負けましたけど、源頼朝は子供だったため処刑を免れました。んで、その後に源頼朝が平家を滅ぼした。

中野 敵対する者は全員殺してしまうほうが、長期的に見て禍根を残さず、多くの人に迷惑をかけない。それが最も合理的な解決策に思えるんです。

ひろ 合理的に考えるとそうなんですが、普通は「女性や子供まで殺すのはかわいそう」だと考えますよね。

中野 まさに。なので、「情がない人だ」というような評価をされ、それが高じて「犯罪者になる」と言われたのではないかと思います。

ひろ 多くの人がふたつの方向性をごっちゃに考えてしまうんですよね。合理性で考えた場合の最適解と、感情的な側面、つまり「殺される側の気持ちになったら嫌だよね」という考えは別じゃないですか。中野さんはそれを分けて考え、問題に対する最適解を導き出そうとしていたわけですよね。

中野 そうです。もちろん、殺される側の気持ちが想像できないわけではありませんよ。別の問題として提示されれば、その気持ちを想像することはできます。ただ、その場面では「どちらがより良い判断か」という点に焦点を当てていたんです。

ひろ つまり、勝ったほうの武将の立場に立って考えていたわけですよね。

中野 そのとおりです。

ひろ 中野さんの思考プロセスを聞いていると、典型的な理系思考ですね。

中野 私もそう思います。こういった経験も私が学者、特に脳科学者になろうと決心したきっかけのひとつになりました。

***

■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA) 
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など 

■中野信子(Nobuko NAKANO) 
1975年生まれ。東京都出身。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに勤務後、帰国。主な著書に『人は、なぜ他人を許せないのか』(アスコム)など

構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾

「中学生の頃、『脳を勉強しないと私は生き延びられない』と思った」と語る中野信子

ジャンルで探す