初の書き下ろし小説を発売のふかわりょう「ロケの合間に出川哲朗さんに『ポスト出川は、おまえだ』と言われて、慌てて大きくかじを切りました(笑)」

初の書き下ろし小説『いいひと、辞めました』を上梓したふかわりょうさん


初の書き下ろし小説『いいひと、辞めました』を上梓したふかわりょうさん

「小心者克服講座」ネタで鮮烈な芸人デビューを果たし、現在はMC、DJ、執筆と幅広く活躍するふかわりょうさん。初の書き下ろし小説『いいひと、辞めました』がどのように生まれたのかを直撃! デビュー時から現在まで変わらない創作活動への姿勢と、一方で変化してきたバラエティへの向き合い方とは?

【書影】ふかわりょう『いいひと、辞めました』

■小説もネタも、誕生のきっかけは似ている

――ふかわりょうさんによる自身初となる書き下ろし小説『いいひと、辞めました』(新潮社)は、主人公が自身のキャラクターを一変させる物語です。このアイデアはどこから生まれたんですか?

ふかわ もともと何かを作るとき、生活をしながら自分の中に引っかかった単語やフレーズを集めて作ることが多いのですが、今回の本でいえば、タイトルにも入っている「いいひと」。

今の時代、「いいひと」って多義的で、使う文脈によってポジティブにもネガティブにも聞こえるじゃないですか。損な役回りもあったり。

だから僕としては、自覚なき「いいひと」が、その逆のサイテーな方向に振り切ろうとする過程に、人間のおかしさや、現代社会へのフラストレーションを織り交ぜた感じです。

誕生の仕方でいうと、デビュー時の「小心者克服講座」というネタも似たような構造だったかもしれないです。あれは駆け出し時代にアルバイトでコンビニのレジ打ちをしてるときに、お客さんから「あ、6円あります」って言われたのが妙に引っかかって。

当時は"あるあるネタ"って概念もなかったと思うので、ネタになると思っていたわけではなく、ただ残ってて。それと同じ時期に、エアロビの、あそこでしか見かけないあの笑顔が頭から離れなくて。

ちょうどその頃、テレビから聞こえてくる音楽では満たされず、タワレコとかHMVの端っこにあるヴァリアス・アーティスツのところでコンピレーションアルバムを買いあさっていたんです。その流れで『London Jazz Classics 3』の2曲目(ドナ・マクギーの『 Mr.Blindman』)を聴いたときに体中にブワァ~としびれのようなものを感じて。

その曲を流しながら、エアロビの格好をして、そこにラーメンを食べるときに装着していたヘアターバンをして、引っかかったフレーズを言うネタができたんです。それで世の中に名刺を配ることができたっていう。

だから、特にあの曲との出会いは大きかった。でも、たまたま僕に引っかかっただけで、スルーする人もいるでしょうから、結局本人とその物が共鳴するかどうかだと思うんです。

すべてに対してではないんですけど、僕は自分の中にすごく反応する性感帯みたいなところがあって(笑)。そこは今も変わってないですね。

ふかわりょう

――もし「小心者克服講座」を思いつかなかったら?

ふかわ どうなっていたんでしょうね......。この間、大学時代の同級生から「名古屋で会社勤めしてるんだけど、イベントがあるから来てくれ」と頼まれて出演したんですよ。在学当時、ノートを借りたりしてお世話になってたから恩返しのつもりで。

そしたら、その同級生が某生命保険会社の支社長になってたからビックリして。実はその彼、僕が20歳のときに「一緒にお笑いやろう」って最初に誘った人なんです。

でも、「お笑い好きだけど、さすがに仕事では一緒にできない」と断られて、お互いに別々の道を歩んだんです。

それから30年後、僕は現状こうなってて、彼はそのまま会社に勤めて名古屋の支社長になってる。それってなかなか感慨深いし、あのとき僕の誘いを断って本当に良かったなって(笑)。

もちろんコンビ組んで成功する未来もなくはなかっただろうけど、これで良かったんだろうな、みたいな。ちなみに彼には「芸人保険を作ってくれ」と伝えておきました。明日がわからない時代ですから。

■ターニングポイントは出川さんのひと言

――そしてブレイク後、突如若手のひとりから新世代の注目株となり戸惑いはありませんでしたか?

ふかわ ネタをやるのとバラエティ番組の対応って違うじゃないですか。どっちかっていうと、そっちに戸惑いました。ネタは個人芸だけど、テレビは団体芸。

それぞれが絵の具を持っているとしたら、テレビ番組というひとつの絵画を描くのに「僕はこの色をお貸しできます」って感じで色を持ち寄って作り上げるもの。バラエティは特に。だから、むしろ個人でネタを披露するのとは違うフェーズに入ったときに、どうしたらいいか路頭に迷いました。

そんな中で、ちょうど30歳になる頃かな。『内村プロデュース』(テレビ朝日)のロケの合間に出川(哲朗)さんが僕の膝をポンッと叩いて「ポスト出川は、おまえだからな」と言ってくださったんですよ。それで慌てて大きくかじを切りました(笑)。というのも、出川さんにはとうてい及ばないと思ったので。

それがあったから『5時に夢中!』(TOKYO MX)のMC(2012~21年)ってところに漂着できたのもあると思います。たまたまの巡り合わせですけど、神のお告げだし幸運だったと思います。

ふかわりょう

――出川さんの言葉がターニングポイントになったと。

ふかわ あと20代は自分の役割について考えることが多かったんですけど、30歳以降はどちらかというと全体を見渡すようになりました。周りが楽器に見えてきたんですよね。

「自分がどう鳴るか」じゃなくて、「周りの人をどう鳴らすか」。周りの音色を意識するようになった気がします。『5時に夢中!』のMCを始めるあたりは、もう明確に意識してましたね。

僕はずっとクラブDJをやってるんですけど、手綱を握る側の番組MCって、テンポとかリズムとか緩急とか、DJと重なるものがあるんです。そういうキャリアもいい作用を生んだのかもしれないです。

■"正しさ"を強いる風がこの小説を生んだ

――タレント活動とは別に多くの著書を執筆されています。年齢で創作に対する向き合い方に変化はありますか?

ふかわ 20歳の頃からは時間がたっているので、心の底にあるよどみというか原液のようなものの量や濃度は、より発酵して大変なことになってると思うんですけど(笑)。でも、ある意味、その原液は何十年も継ぎ足した秘伝のタレみたいにもなっていて。

時代とか世間の価値観みたいなものとの相性が良ければ僕もスッと飲み込めるんでしょうけど、うまく消化できないものだから、どんどんたまっていくんですよね。

その"消化できないもの"がいろんなことを表現するエネルギーになってるんだと思います。今回の場合は、以前から知る新潮社の編集者さんがスイッチを入れてくれて、今の時代に僕が消化できないものを小説として排泄した感じですね。

――実際に書き始めてからはスルスルと出ましたか?

ふかわ 割と快便でしたね(笑)。もちろん頭の中にあるものを言葉で構築するのは容易なことではないんですけど、出した今、僕の体内もすごく調子がいいというか。頭の中っていろんな情報が散らばってるじゃないですか。

悩みを書き出すと気持ちが整理されることってあると思うんですけど、小説ってその延長線にあると思うんです。頭の中にあることを、テーマにのっとって書いてるので。今回の本も「いいひと、辞めました」っていうひとつのキーワードがあって、その磁石に砂鉄がブワ~ッと集まってきたイメージです。

ふかわりょう

――なるほど。

ふかわ やっぱり今の時代って"正しさ"を強いる風がものすごくあるじゃないですか。それがなかったらこの本は生まれてないですね。婚活とか恋愛市場における"いいひとの印象"っていうのが物語のスタート地点ではあるんですけど、きっとそれだけではこの一冊には到達できていなくて。

昨今吹き荒れている"時代の風向きによって生まれた渦"があったからこそ書けたものだと思うんです。

本の中でも少し触れてるんですけど、僕は「天才のB面に対して、社会はどう向き合っていくのか」ってところにすごく興味があって。まさに今、象徴的なことが起きてますよね。

「われわれは天才のA面を享受し、B面が気に入らなかったらそのレコードを破棄してしまうのか」っていうような、非常に大事な局面が訪れている気がします。この小説に正解が書いてあるわけではないんですけど、そういうことを考えるひとつのきっかけになってもらえればうれしいですね。

●ふかわりょう
1974年生まれ、神奈川県出身。慶應義塾大学在学中の20歳でお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いへアターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。以降、テレビ、ラジオほか、DJや執筆など、その活動は多岐にわたる。近著に『スマホを置いて旅したら』(大和書房)、『ひとりで生きると決めたんだ』(新潮社)、『世の中と足並みがそろわない』(新潮文庫)、アイスランド旅行記『風とマシュマロの国』(幻戯書房)などがある

■『いいひと、辞めました』
新潮社 1760円(税込)
「いいひと」なのにモテない四十路の独身男・平田が、立派な「サイテー男」になる人生180度回転劇

取材・文/鈴木 旭 撮影/渡辺凌介

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