坂本龍一さんの最期を追ったドキュメンタリー “東北の子供たちのオーケストラ”への思いと“再放送中止”の顛末

坂本龍一さん「一周忌秘話」

 自らの最期をさらけ出すのも、それを見守る側にも、相当の勇気と覚悟が必要だっただろう。音楽と生き、音楽と共に人生を締めくくった希代の音楽家は死を前にして何を考えたのか──あれから1年が経ち、我々は幸いにもある番組を通して、その足取りを辿ることができた。

【写真】娘を抱きかかえる坂本龍一さん。マイクで脱原発を訴える坂本さんなど

 その日は雨が降っていた。病院のベッドに伏せる男性はすでに意識がなかった。だが指だけは、彼が彼であることを最期まで刻みつけるかのように、ピアノの鍵盤を弾く仕草を止めない。その1時間後、この世を去った──。

 昨年3月28日に坂本龍一さん(享年71)が亡くなってから1年が経った。一周忌を機に、多くの追悼番組が放送されたが、中でも話題を集めたのは、4月7日に放送されたNHKスペシャル『Last Days 坂本龍一 最期の日々』(以下、Nスペ)だ。

 遺族が提供した手記や創作ノート、プライベートフィルムやインタビューの肉声などが公開され、亡くなる1時間前の坂本さんを遺族が撮影した映像もあった。これまで見ることのなかった坂本さんの貴重な映像の数々に、番組は大きな反響を呼び、「もう一度見たい」との声が殺到。しかし当初予定されていた4月11日の再放送は急きょ休止となった。

「番組のホームページに休止が告知されると、SNSには、『なぜ放送できなくなったのか』『録画したかったので残念』などの声が溢れました。番組のインパクトが大きかっただけに、視聴者の落胆は大きかったようです」(テレビ局関係者)

《それまで健康とか身体とかほとんど考えたことがない、野獣のように生きてきたんです。万に一つも疑ってなかった。それを後悔はしましたよ、もちろん》──Nスぺで公開されたインタビューで、坂本さんは健康に無頓着だったことを深く悔やんだ。

 坂本さんの中咽頭がんが最初に判明したのは2014年。放射線治療で寛解するも2020年に直腸がんが見つかると、続けざまに肝臓やリンパへの転移がわかり、治療しなければ「余命半年」であることを宣告された。

「Nスぺが公開した当時の坂本さんの日記には『死刑宣告だ』『俺の人生、終わった』などの絶望や、『何もせずに半年過ごすか、副作用に耐えながら5年生きるか』といった治療への心の揺れが綴られていました。一縷の望みを抱いて2021年1月、20時間に及ぶ手術を受け、術後は現実と妄想の区別がつかなくなるせん妄に苦しみながら、懸命に病と闘う姿も放送されました」(音楽関係者)

 2か月に及ぶ入院生活を経て退院するも、その後に新たな肺への転移や合併症が生じて入退院を繰り返した。過酷な闘病生活の中、坂本さんは日記に「焦るな!」「野生の力を漲らせろ!」などと自らを鼓舞する言葉を書き綴った。

 2022年10月には「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバー・高橋幸宏さん(享年70)の軽井沢の自宅に病を押して訪れた。脳腫瘍を患った高橋さんは体調不良で直前に入院しておりニアミスで対面が叶わず、坂本さんは盟友に向けてこんな激励メッセージを残した。

《高橋幸宏さま 生き直そう。坂本龍一》

 だが高橋さんは2023年1月に逝去。そのおよそ2か月後、息苦しさを訴えて入院した坂本さんは自らの死期を悟り、延命治療をあきらめ主治医に緩和ケアを依頼した。死の3日前には、4人の子供のうち海外に住む長男を除く3人とひとりずつ対面して別れを告げた。このとき、次女で歌手の坂本美雨(43才)にはこう語りかけたという。

「いい人生だった」

“教授”の最期の日々を追いかけた衝撃の番組について、ある芸能関係者が語る。

「YMOや環境問題などで知的かつクールに活動した姿とは程遠く、闘病の痛々しい姿や亡くなる寸前の生々しい映像にショックを受けた視聴者は少なくありません。再放送が急きょ休止になったのは、“こんな映像を流していいのか”というファンの声を聞いた遺族がストップをかけたからだとも囁かれました」

「むげにできない。やっぱり切れない」

 番組の中でも多くの時間を割いて紹介されたのは、坂本さんが最後まで気にかけていた「東北ユースオーケストラ(TYO)」のことだった。

 坂本さんが代表・監督を務めるTYOは2015年に結成されたオーケストラで、東日本大震災時に岩手、宮城、福島に住んでいた小学生から大学生約100人がメンバーだ。2016年から毎年3月に定期演奏会を開き、『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』など、坂本さんの曲を演奏してきた。震災を風化させないとの思いから手塩にかけて育てたTYOについて、坂本さんはNスぺでこう語った。

《むげにできない、絶対に。だから東北の子供たちのオーケストラも簡単にはやめられないし、やっぱり切れないですよ、僕は》

 2023年3月、亡くなる直前の坂本さんは病院でTYOの定期演奏会をスマホを介して生視聴した。病のため、2年連続で参加を見送らざるを得なかった。そのときの様子もNスぺで公開された。頬がこけ、酸素マスク姿で弱々しくベッドに横たわる坂本さんは、演奏が始まると目を閉じて、まるで指揮するかのように右腕をゆっくりと振り始めた。

 この演奏会では、坂本さんが作った曲に合わせて、震災時小学5年生だった男の子が作った「ありがとう」という詩が朗読された。さまざまな復興支援に感謝する言葉が続いたのち、最後の一節で「おじいちゃん 見つけてくれてありがとう さよならすることができました」との言葉が読み上げられると、坂本さんは目を見開いて「これはやばい」とつぶやき、顔をクシャクシャにして必死に涙をこらえた。

 生前、「東北ユースオーケストラを見守ってほしい」と常々話していた坂本さん。その思いを継ぎ、4月13日にはETV特集『未来へのETUDE 坂本龍一監督から東北ユースオーケストラへ』(NHK)が放送された。

「坂本さんという道しるべを失ったオケの子供らが胸の内を語り合い、震災を風化させないための新たな一歩を踏み出す内容でした。坂本さんがNHKに『自分に何があってもTYOを追いかけてほしい』と託して実現した番組で、いわば坂本さんの“遺言”です。亡くなって1年、オケの子供たちは今後も坂本さんの志を受け継ぎ、音楽とともに復興の道を歩んでいくでしょう」(テレビ局関係者)

 日本が生んだ偉大な音楽家のラストデイズを映し出したNスぺ。実は再放送がなくなったのは突発的な理由からだったという。

「当日、日米首脳共同記者会見のニュースが入り急きょ延期になったそうで、後日改めて再放送されました」(別のテレビ局関係者)

 Nスペでは、YouTubeでひたすら雨音を聴く坂本さんの姿が映し出された。闘病中、音楽を聴く体力がなくなった坂本さんは雨の音を好んだからだ。今年3月28日、坂本さんの一周忌にも雨が降った。空が教授の死を悼んでいた。

※女性セブン2024年5月2日号

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