《タレント・元こずえ鈴が華麗なる転身》LA在住「ドジャー・スタジアム」近隣でショップ経営「大谷選手の入団後はお客さんがたくさん来るようになりました」

文房具店「Paper Plant」内で取材を受けてくれたフリーディアさん

 日本人の父と、日本人とブラジル人のハーフである母の間に生まれ、2000年代にバラエティ番組『ウチくる⁉』(フジテレ系)や深夜情報番組『チェキラ!』(日本テレビ系)などで活躍したハーフタレントのこずえ鈴さん(44)。人気絶頂で芸能活動を休止後に渡米。芸名を本名のフリーディアに戻して結婚、1児の母となっていた……いったいフリーディアさんは今、どこで何をしているのだろうか。【前後編の前編】

【写真】志村けんさんにプレゼントされたという愛犬との写真。他、長男・エヴェレスト君との2ショットなど

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「ロサンゼルスのチャイナタウンで、小さな文房具屋さんを経営しています」──フリーディアさんはその文房具店「Paper Plant」内で、今回の取材を受けてくれた。約26平米の店内では、カラフルでかわいいペンやノート、カード、シール、マスキングテープ、Tシャツなど数百アイテムを扱っているという。

「文房具は子どもの頃から大好きで、とくに日本の文房具店にはかわいいものがいっぱいあったから、お仕事が休みの日には伊東屋や世界堂などによく通っていました。いつかは文房具店を開きたいと思っていて、息子が生まれたあと、グリーティングカードのブランドを起ち上げたのがきっかけで、お店を持つまでになりました」

「Paper Plant」の店内には、フリーディアさんがデザインしたオリジナル製品も置かれている。

「もともとイラストを描くのが好きだったんです。でも、オリジナル製品は少しだけ。多くは、日本や米国内から仕入れたものです。

 人気があるのは、ロサンゼルス・ドジャースをモチーフにしたシール。私がデザインしました。こっちでは、こういうシールを自分のウォーターボトルに貼る人が多いのです。ドジャー・スタジアムが近くにあるので、大谷翔平選手と山本由伸投手がドジャースに入団してからは、日本のツアーバスがたくさん来るようになって、関連グッズを探すお客さんがこの店にも流れてくるようになりました(笑)。

“ほぼ日手帳”も人気です。売っているのは、ロサンゼルスではうちだけなんですよ。それから、ネコちゃん柄のブックカバーとか、私がこの店をデザインしたオリジナルのトートバッグも人気ですね」

 お店は毎日9~16時まで営業。フリーディアさんは月曜から金曜まで店に出ている。

「文房具とコーヒーの組み合わせが好きで、コーヒーショップとシェアしています。お店を始めたのは2019年。それからパンデミックがあったり、ビジネスパートナーが転居したりいろいろあって、このお店は2022年2月にオープンしました。おかげさまで経営は順調です。大金持ちになる? 目指していないです(笑)。好きなものを作って、お客さんに喜んでもらって、毎日楽しく過ごしていくのが、自分の幸せだから」

 仕事がオフの土日は、小学2年生の1人息子・エヴェレスト君との時間だ。

「一緒に自転車に乗ったり、公園に行ったり。長期休暇には、ノースカロライナにいるお母さんに会いに行ったり。去年の8月には、彼は初めて日本に行ったんですよ! 私は8年ぶり! すごく暑くて、デパートやコンビニ、地下鉄で涼みながら移動しました(笑)。でも、息子は日本が楽しくてずっと興奮していて、暑さは気にならなかったみたい。

 息子が2歳まではずっと日本語で話しかけていたんですけど、プリスクール(保育園)に通い始めたら、わからなくなってしまいました。でも、初めて日本に行ったら『I’m Japanese!』と急に目覚めて、日本の親戚や友達とコミュニケーションがとりたくなって、『うんこドリル』を買って帰って日本語を勉強するようになりました(笑)」

 これからは年に数回、日本とロサンゼルスを往復するのが理想で、日本に“ロサンゼルス感のある文房具”を売り出していけたら、と語る。

日本の芸能界に思うこと

 芸能活動にはもうあまり興味がないのだろうか。

「そんなことはありません。行ったり来たりしながら活動できるなら、またやりたいです。芸能活動は面白かったし、働くことは好きですから。忙しかったけど、日本全国を回ることができて、志村けんさんやタモリさん、所ジョージさんらとも共演させてもらって、毎日が新しいことの連続で楽しかった。

 コロナで志村けんさんが亡くなったニュースには、ビックリして悲しかったです。志村さんは私が20歳の誕生日に、チワワをプレゼントしてくれたんですよ。誕生日に突然、電話がかかってきて『今、(マンションの)下にいるよ』って。降りて行ったら、車のドアを開けて、『はい』って(笑)」

 そのチワワは渡米の際にも連れて行き、15歳まで長生きしたそうだ。フリーディアさんは、改めて日本で活動した“こずえ鈴”時代を振り返った。

「“こずえ鈴”の芸名は、事務所が年配の方にも親しみやすく、個性的な名前を、と画数をみて決めてくれました。ただ、当時私はまだ20歳前後と若く、大人として成長していく段階で『ああしたい』『こうしたい』という自分の意見が出てきますよね。いつまでも子どものイメージのままではいられなかった。でも、日本の芸能界は楽しい思い出ばかりです」

 大人になったフリーディアさんの活躍を、またテレビで見られるか──。

 後編ではフリーディアさんに家族の近況、そしてLA在住の理由などについて語ってもらっている。

後編に続く

◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)

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